第3話
頬に突き刺すような風が冷たい。
オーガの月になった。ここの土地は大陸でも北側なためか、南にある国よりも空気が冷たくなるのが早い。ゴーストパレードが行われる頃には雪もチラつくことだってある。何せ学園都市は山の麓だ。山の天気は変わりやすく、それは住んでる地域にも影響が出る。
それでもお日様が頂点まで到達すると、辺りは温かくなる。暑すぎず寒すぎず、とても丁度いい気温になるので生徒の制服も、まだ厚手ではない。黒のローブは熱を吸収するので、暑くなることもある。それでも、冷たい風が頬を撫でる度に体温を調整してくれる。とても過ごしやすい季節だ。
本日の午前は新学年でのホームルーム。その後は、遠方からやって来る新入生たちの入学セレモニーだ。既に校内は浮き足立った生徒たちで湧いている。先日まで実家のある遠方まで帰った生徒たちが、久しぶりの再会に喜びあう。それを視界の隅で確認すると、改めて己の友好関係の薄さが伺えて気落ちしてしまうのだ。
ユノは早朝、寮の管理人から受け取った、新学年の教室に向かいながら、少し冷える空気も吹き飛ばす生徒のエネルギーに胸が押しつぶされそうになる。
友だちのいないユノにとってはそれがあまりにもの眩しく羨ましいものなのだ。長くその熱気に当たると己自身が見えない暗闇に落とされていく感覚がしてとても辛い。あまり人が多いところには居たくないな、ユノはそう判断してはとそそくさと足を進め、新学年の担任のいる薬学実験室へと向かった。
石造りのお城は、冷えた空気を吸い込んで建物内部を冷やしてばかりだ。少しだけ冷気に当てられながら、広い廊下をひとりで歩く。時間になれば魔法で建物内部を一気に温かくしてくれるが、それまでは時間はまだしばらくかかるだろう。
青く澄んだ空には、祝福を呼ぶようにことり達が舞踊り歌っている。山々に色づく緑に所々の赤が見える。冬に近づくにつれて、茶色になり白くなるが、北国のため針葉樹林が多い。冬でも青を身に纏う木の方がが多く、やはり逆に枯れた草木はよく目立つ。窓から中庭の生徒たちを少し羨ましげに長めながら、ユノは実験室へと入った。
そこには今期から同じクラスになる生徒がちらほらと見受けられる。魔法使いは母数がとても少ない。教師も多くは無いしもちろん生徒も多くない。ひとりの教師に30人前後の生徒。同学年のクラス分けは大抵2クラスから3クラス程度。男女は共学。それでも初等部から高等部までこの学園にいるのだから、生徒の数はやはり多いのだろう。
受ける科目はその学年で決まっているが、基本は単位制。クラスごとに時間割は決まっていた。更に、この学年から進路が決まってくる。アカデミーに行く者、手に職を付けていきたいと思う者。それぞれの思いが更に、教室内の生徒を分けていく。そして、時間割もそれに合ったカリキュラムが組まれると言うものだ。
クラスごとに決まっていた時間割が個々に合わせた時間割に変わる。ここからはクラスごとと言うよりは個人毎で、クラスメイトでさえ、授業で会わなくなることだってあるだろう。会うとなれば、休み時間やお昼休み等ですれ違う、または遠目で確認するか、待ち合わせて会うか、こういうセレモニーの時にクラスで集まった時くらいだろう。あくまでクラスは請け負った担任が管理しやすいように集めただけであり、生徒たちにとってはさして学園生活においての何か大きな役割というわけではなくなるのだ。
ユノは、人の少ない教室で適当な席に落ち着いた。教室の壁には、様々な実験道具に材料がひしめき合うと同時に、壁に吊るされて乾燥されているハーブのせいで少しだけファンシーさを感じる。魔法薬学の授業で使う教室なので、薬箱も多い。担当の先生自体が清潔好きなのか、個人でもやってるのかテーブルの上から棚、床の下までとても綺麗に掃除されている。普段実験で使う薬草釜は綺麗に洗浄され棚に綺麗に重なって置かれていた。薬草をすり潰す薬研も壁の縦に並んで綺麗に鎮座されている。
ものは多いが、綺麗に整頓されているので、どこに何があるのか明白だった。知識の少ない学園の生徒が触っても、対したことの無い、毒性の強くない薬品ばかりが教室には置かれている。もっと劇薬と呼ばれるものは、扉続きになってる担任の控え室の方だろう。あそこは、厳重で、普段先生たちは生徒の出入りがあるため鍵をそこまでかけないのだが、ここは24時間施錠状態だ。むしろ、控え室のくせに先生がそこにいることは少ない。授業がある時間帯。
それは、生徒たちが質問とかで尋ねてくるだろう時間帯。その時間帯は基本、教室の教壇に先生は腰を据えてレポートを纏めていた。それは一重に鍵を開け閉めして対応するのが面倒だからという理由に他ならなかった。それを繰り返すことで鍵のかけ忘れとかも有り得るから尚更なのだろう。念には念をということだ。
なので、そんな先生が担当をしていれば教壇に既に居てもおかしくないはずだが、実際に今教壇に担任はいない。昨日祖父から貰ったプリントを思い出し、転入生が来るのだったと思い直した。人が縦に3人、横に何人並ぶだろうと思う大きな黒板の上に丸時計が掛けられている。
その時間を見てもまだ8時。授業開始時間は9時なので、まだまだ時間がかある。話す相手もいない。先生は不在。やることもないのでユノは、友だちのいない教室で先日図書館の本を開いた。
ユノは読書家だ。それは一概に友達がいないからもあるが、入学当初のランドール家に対してがむしゃらに努力した時の名残でもあった。昼休みはひとりでご飯を食べた後に図書館で借りた本を開く。放課後は図書館で宿題を含めて復習と予習をする。はたから見たら生真面目で優秀な優等生だ。魔力量も多く、家柄も悪くない。
それなのに、純血ではないということでユノの価値が大きく下がっていく。たったそれだけのことである。どれだけ努力してもどれだけその努力が身についても、心ない言葉をかけられることが今だって存在するのだ。それは、同じランドール家の中だけではない。他の純血を重んじている家からは特に酷かった。
それが、彼らの嫉妬心からくるものというのを理解しているため、ユノはあえてその言葉に乗らずにしゃんと胸を張って立っている。その姿が更に輪をかけて刺激することもある。そのせいか、ユノへの遠巻きも酷くなった次第だ。
学園は好きだ。知らないことを学ぶことが出来る。知りたいと思ったことを詳しい人たちに聞ける。好きな魔法に更なる磨きがかかるし、知らなかった魔法を知り得て実践だってできるのだから。さらに、そのトップにいるのが祖父であるということもあって、ユノはなんとか学園で生活ができた。それでも同じ年の友だち言える関係の人ができないのだけが、どこかユノを寂しくさせていた。
その寂しさをカバーしていたのが本であった。勉強のための専門書も好んで読むが、ある一定の年齢の時に出会った物語の世界はもっとのめりこめた。年頃が夢見る恋愛小説家ら、わくわくとどきどきが止まらない冒険譚。頭をひねって次を楽しみにさせられる推理小説など、ユノは多岐にわたって文字に没頭する。気が付けば図書館で本を借りることよりも休日は、学園都市の本屋さんで本を選ぶのも楽しみの一つになっていた。
そんなユノが読んでいるのは、「魔力が少なくても魔法が使える一覧(簡易版)」である。そこまで厚さもなく、普段魔法の授業を受けずに乗り切ってきたと聞いた。これから転入してくる生徒が困らないようにしないとならないと思えば、自ずと昨日の祖父の呼出し後には図書館でこの本を借りていた。
友達になれなくとも、少なくとも不便のない学園生活は送って欲しい。祖父たちに任されたのであれば、それはそれでしっかりとサポートをしたいのだ。それは責任感からなのか、それとも友達いならななくてもとは言っていたが、億が一の期待か。
9年間この学園で過ごした中で、ユノは入学した時のように胸を膨らませていた。
学園に大きな鐘の音が鳴り響く。本に没頭していたユノはあたりに生徒がいたことに気が付かなかった。ざっとクラスを見渡して男女合わせて20人程。
9年間代わり映えのないクラスメイト。クラスの変更は度々あるが、ほとんどが顔見知りだ。顔見知り以上の枠にははみ出すことはないが、彼ら彼女らがユノに危害を加えることもない。そのため、ユノの座った席の隣に人が座ることも無く、長机に人1人から2人分の隣が空いている。少し寂しいと思うも、いつもの事であるためか、静かに諦めていた。
鐘の音が響き渡ってから数分。もしかしたらもっと短い数十秒だったかもしれない。がやがやと楽しそうな会話を打ち切ったのは、激しい音を立てて教室の扉が開いたからだ。中に入ってきたのは、長身のひょろっとした男性。
年齢は若いのに、普段から整えていない伸びきった髪や、その猫背のせいで数段歳が上にも見える。実験以外の時は、伸びきった前髪が顔を隠して表情を伺うことが難しい。唯一前髪を上げ、整えてない髪をしっかりと髪紐でとめているのは実験する時で、その時に見える顔は、不健康な顔をしており常に目許にクマができていた。
冴えない男。第一印象も第二印象もさして差がない男は、この担当クラスのアルケイン・スタッドレイ先生だ。皆は、アルケイン先生やら、スタッドレイ先生やら、ミスタースタッドレイやら、博士やらとそれぞれに親しみを持って接している。それも、見た目はあれだが生徒一人一人にはしっかりと親身になって接する良き先生でもある。
一見取っ付きにくそうだが、説明は分かりやすく、ダメなことはダメだと強く言う。分からないところは親身になって対応してくれる。正に理想の先生であった。
アルケインは、長い足をコンパスのように伸ばして歩き、数歩で教壇に立つと教室中を見渡した。あの前髪のかかった状態で、分かりやすいくらいに首をぐるぐると動かしている。確認しづらいのであれば切ればいいのに。クラス中の生徒は心を一緒にしたに違いない。
「おーう、皆そろってんなぁ…そいじゃぁ、まぁ、今年1年担当となった。まあ、もう、9年間も付き合いあんだから自己紹介はいいよな。まあ、各個人に既に1年間のカリキュラムは渡ってただろう。
9年もなりゃ、この学園のことも理解してんだろ。特に特筆することはないな。そんじゃ、若者よ、今日からまた変わり身のない平凡な日常を送ると思った者よ。今日は、なんと非日常だ。――入ってこい」
アルケインの合図で閉ざされていた入口がガラッと開いた。
「先生、紹介雑ですねぇ〜」
「……」
2人の女生徒が足並みを揃えて教室に入ってくる。揃って、柔らかな日差しに当たったような金髪に、鮮やかな緑色の瞳。女子から見たら高身長で背筋がしっかりとのびている。
砕けた口調で入ってきた女生徒は、柔らかな髪に癖がついたショート。少し丸顔にくっきりはっきりした目鼻立ち。クリっとした明るい瞳が印象だ。人前に出るのを特に気にしていないのか、にこにことした人あたりの良さそうな可愛らしい笑顔を浮かべている。
「どうも、ルゥメリア・アッシェンバーグっていいます。気軽にルゥと呼んでください。ルゥは、しっかり混血ですが純も混も関係ないと思ってるので、仲良くして欲しいです」
明るい挨拶に次いで拍手が響く。クラスの印象は上々だ。
ルゥの隣に立つ女生徒が軽く視線をクラスに回した。ルゥよりも少し高い身長。長く綺麗な金髪を頭の高いところでひとつにまとめあげている。ルゥと違って大人びた顔つきに、少しだけ鋭利な目許は一言で言えばクールだが、少しだけ恐ろしくも感じる。整った目鼻顔立ちに薄い唇、すらっとした高身長は男装が映えそうだとユノは少しだけ思ってしまった。
目許の下に見える濃いクマや、どうしてだが彼女が着用しているマントは煤けて裾がボロボロてあるのは同年代だというのに苦労している様にさえも見える。
「エナ・アグネスだ」
遠目でユノが外見分析をしている間に、エナは口を開いた。多くは語らず、ひと言だけ。たったのひと言だが、まるで周りを拒否しているようにも思えるその立ち回りに、少しだけ胸が掴まれる。
同時に、周りがざわざわとざわめき出す。アグネス家の4番目の末っ子。名家の純血家にして魔力が極端に少なく産まれた異端児。先日祖父に聞かされた話は、ユノが思っている以上にこの界隈では有名らしい。
ひそひそとさざめく声は嫌でもユノの耳に入った。それを知ってか知らないか、教壇に立っているエナは澄ました顔をしている。
「はいはい。そこまでにしろー、まあなんだ、1年間同じクラスなんだから仲良くしろよなー」
教室中の声が一斉に止んだ。アルケインの視線が前髪越しで鋭くあたりを見渡したのだ。生徒が一斉に口を閉ざした。それに満足したのか、目許は見えないが、アルケインの口許がどこかにんまりと弧を描く。
「そんじゃぁ、そうだな。ふたりの席は――」
「はい。先生」
アルケインの言葉を遮って1人の女生徒が手を上げる。
「私、エナさんに魔法決闘を申し込みます」
その言葉にアルケインの雰囲気が再びぴりっと凍りついた。
魔法決闘。魔法界での競技としても名がある。魔力をぶつけるだけの初級の攻撃魔法だけを攻撃として用いて闘う。怪我はしないが当たると電流が走ったように痛い。何かしら白黒させたい時とか、相手の実力をハッキリさせたい時などにすることがある。
基本はスポーツとして成り立っており、大会以外の私闘では滅多に用いられることは無い。学園内では基本禁止としているが、教育者が第三者としての立ち会いをすることを前提として許可されている。もちろん、相手から申し入れし、それを相手側が承諾した場合にのみそれが可能となる。第三者から、その申し入れに茶々を入れることは出来ず、また、本人たちが承諾したのなら第三者は受け入れるしかない。
申し入れ時に教育者がいない場合は、2人で先生に確認しに行くまでが校則で決まっていた。その際は時間と場所を再度通達するが、今回はアルケインがそばに居るためにその手順は必要なかった。
アルケインは口を噤む。先も述べたとおり、申し入れをされた側が決闘に対しての承認をするのだ。アルケイン含めて教室の皆が彼女の事情を知っていたとしてもそれを懸念して止めることは出来ない。
(おいおい、新学年早々かぁ……こりゃぁ、先が思いやられる……)
アルケインは心の中で毒づいた。前髪の奥でエナに視線を送る。どうか、断ってくれ……と。きっと、決闘を申し込んだ女生徒は、エナの実力を見て貶したいのだ。普段純血にいびられる混血の生徒は、純血の家柄に一矢報いたい気持ちでいっぱいだったりする。
それが魔力量が少ない餌がひょこひょこと現れればこれみよがしに的にするに決まっていた。それも、教師が口出せない内容で。
もし、この決闘を受け入れてエナが負ければ今後1年半の学園生活はいじめの温床になるだろう。それを行わないように教師陣もいるが、見えないところでは限度がある。
アルケインは迷っていた。
今は授業中である為だと回避だって出来るのだ。教師がここで前に立たずにどうする。第三者が口を出してはならないという原則を破ったところで、泥を被るのはアルケインだ。これからのエナの生活に比べればどうとない。長い足を伸ばして、エナの前に立とうと動き出した時だ――
「いいわよ。その決闘。受けて立つわ」
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