第2話


 階段を上りきって踊り場に出ると、大きな柱を中心として、さらに上へと登れる階段が続いている。


柱には、人が1人入ることのできる窪みができており、学園にいる人達はそこを中継地点と呼んでいた。決められた窪みに体を収めて魔力を流せば、決められた校舎の廊下へと飛ばしてくれるからだ。


この踊り場の一個上は図書館のある廊下へと通じる中継地点や、寮の前に繋げてくれる中継時点がある。学園のあちらこちらにあるそれらを上手く経由して目的地に行かなければ、ただでさえ広いのだ、授業に間に合わないこともある。長年学園で暮らしていても未だに迷子になる。生徒は必ず地図を持ち歩く習慣にはなっているが、それでも迷うときがあるのだ。


ユノだって未だにその一人だった。それでも毎日通う図書館と生活している学生寮への道順や、中継地点の場所だけはしっかりと暗記した。所属クラスのある教室は担当となる先生によって、毎年教室が変わるので覚えられない。


 ユノは、人が1人入る窪みにそのまま身を滑り込ませた。腰に下げてある杖ポーチから、9年間ずっと付き添ってくれていた相棒をそっと引き抜く。抜き出しだ杖のとっては、手にしっくりと馴染む。ドラゴンと一緒で樹自体に魔力を持ち、世界のどこにあるかわからない世界樹。その枝で出来た杖は、入学当初に祖父母からプレゼントされた。


どうやって手に入れたかはわからないし、この杖の素材が本当に世界樹なのかも不明だが、初めて手に持った時に魔力がしっくりと馴染んだ。途端、胸にこみあげてきた感動を今でも覚えている。


 ユノは、ゆっくりと瞼を下ろして魔力を杖に集中させた。脳内で行先の魔法陣を思い浮かべると、それに呼応するように足元に魔法陣が浮かび上がる。下から吹き上がる魔力循環に体中をなでられながら、己の魔力につつまれる。それだけで心地よくて、それだけで安心する。そして、ユノはそっと口を開いた。


「――――――連れて行け。私を学園長室へ」


 一瞬にして包み込んでいた魔力が光りだした。次の瞬間、一筋の粒子を残すだけで、そこにユノの姿はなかった。



 一瞬の浮遊感のあと、地に足がつく。最初の頃は浮いた瞬間に地面だったため、バランスをとれずにこけることが多かったが、一日何回も行えばすんなりと慣れた。地面に足が付けば、閉じていた瞼を開けるタイミングだ。


 ユノはゆっくりと瞼を開ければ、目の前に身長の倍もある大きく分厚い厳格な佇まいの扉。学園でも有数の安全地帯ではないだろうか。目の前に佇んでいる扉は、この学園のトップがいる部屋に続く。窓から見える高さから、高いところにあるというのは頷けるが、地図にも載っていないどこにあるかもわからない部屋。さらに、中継地点はその都度提示されており、固定の場所はない。滅多なことがなければ生徒も来ることがないため、滅多に呼ばれることもない。


ユノは初めてではないが、初めてこの部屋に来た時はやはり驚いたし、ここまでの道順も教師から極秘で伝わった。時には、今回のように直接文が飛んでくる。それくらい、秘匿されており、だからこそ安全な場所なのではないだろうか。


 元々、ユノが経由した中継地点も普段はそこにはなく、招かれたときにだけ姿を現すのだからなお更だった。


 ユノは厳かな扉の前に大きく深呼吸をした。目の前に立っている扉の向こうにいるのが誰であるかはわかりきっているし、緊張するようなこともないのだが、やはり、こういうきちんとした場であれば自然と肩に力が入ってしまう。


 大きく吸った意気を深く吐いてしまえば、力んだ肩から力が抜ける。そして――


「ユノ・ランドールです」


 特別大きな声は出していない。それでも、廊下には響き渡る。ここの廊下の向こうには他の教室は見当たらない。己が立っている部屋の両側を見ると既に行き止まりで、どこにでも通じる中継地点がある。行きは一方通行なのに、帰りは多岐に渡るので下手すれば道に迷う。招待されていないものたちへの対処だろう。


やはりセキュリティはこの部屋が1番良いのだろうと、返事待ちの間に思考を回していたのも数秒。重々しい扉が、ひとりでにガコンと音を鳴らした。


 ぎぃ……ギギっと金具が擦れ合う音を廊下に響き渡らせながら、ピッタリと重なってた扉と扉の隙間か広がっていく。ゆっくりと明け広げられた扉の先は、扉の大きさに反して、少しだけ広いだけの部屋が拡がっていた。


 赤い絨毯は部屋の床いっぱいに敷き詰められている。正方形より、横に広い長方形の部屋。大きな窓の前、部屋の奥、真ん中にどんと大きな机。上質な椅子にはよく見知ったひとりの老人が腰を下ろし、机を挟んで向かいにはこれまたよく見知った身なりのいい男の人が立っていた。


「お待たせして失礼いたしました。ユノ・ランドール、ただいま参りました。学園長先生、エルメス先生」


 部屋の真ん中まで歩いては、机の前まで行く。ある程度の距離を取って足を止めれば、ユノはゆっくりと2人に腰を折って頭を下げた。


 そんなユノを大人二人は穏やかな表情で見つめている。とてもよく似た瞳に、どこか懐かしさを感じる面影に、顔を上げたユノは少しだけ安心したように息を吐いた。


「久しぶりだね、ユノ。何、かしこまらなくてもいい。立ち話もなんだから椅子とテーブルを用意しよう。紅茶とお菓子もいるかな?」


 椅子に座っている老人がおちゃらけた様子でユノにウィンクを送ると、どこからか出した杖を持った。指揮者のように杖を振ると、どこからとも無くローテブルと高級そうな革張りの大きいソファがテーブルを挟むように現れる。何も無かった空間に、来客用のソファとテーブルを出した後、老人は再度杖を振った。


今度はテーブルの上にクッキーと湯気の経つ淹れたての紅茶。それも場所が決まってるかのように既にカップは人数分に配置されている。ユノの場所は、おそらくひとつぶんのカップが置かれているところだろう。


「さすが学園長ですね。僕には無理だ」


「次期学園長が弱音を吐いていられないのだがな。まあ、お主の強みは魔法のみではなかろう。何もここまでする問題はない」


 若い男性が老人を学園長と呼んで親しげに笑いかけると、学園長と呼ばれた老人も楽しそうに笑った。その面影がとても似ている上に、穏やかな気性はやはり親譲りなのだなとユノも納得してしまう。


 ユノが素直にソファに腰をかければ、それを見ていた大人たちも彼女の向かいのソファに並んで腰をかけてくれた。穏やかなふたりの表情を見ながら紅茶に口をつけると、ほっと体から力が抜けていく。


優しく落ち着く味。それは、ユノの好きな味でそれを彼はよく熟知していた。普段の生活では先生と生徒ではあるが、彼らはユノの身近な人たちでもあるのだ。


 そっと、和やかにエルメスに話しかける学園長は、ランドール家の前当主であるフラメル・ランドール。現、ユノの後見人で保護者でもある。学園内ではできるだけ、学園長と一生徒としての距離を保っていたが、このように祖父の顔されてしまえば、ユノも嬉しくて孫の顔になる。そしたら途端にこの空間が、祖母のいる屋敷の談話室の気分だ。ここに祖母が居ない事実だけが、少しだけ寂しくさせる。


「ところでおじい様、本日はどのような用件で私を呼ばれたのですか?」


 用意されたクッキーを手に取って口に運ぶ。バターをふんだんに使われており、濃厚な香りが鼻を抜ける。ざっくりしっとりした舌触りのクッキーは、隠し味の塩がちょうどいい塩梅となり甘すぎず、紅茶によく合う。


「ああ、そうだったな。ついつい、孫に会うと嬉しさで本題を忘れてしまう。歳をとると忘れっぽくて敵わんな」


 ただ、大好きな孫とお茶会を開くだけ開いて本題を忘れていたように、朗らかに笑うフラメルにユノは少しだけ苦笑いを零した。歳だ歳だと口にする彼だが、実際は実年齢よりは活発で、記憶力もいい。


実際は忘れてなどいない。昔から遜色のない彼の魔法は、歳をとった今も磨きをかけている。魔力の衰えもなければ足腰の衰えも感じない。見た目は古の魔法使いに見えるのに。元気のコツは一体なんなのだろうとユノも考えてしまうほどだった。


 それに関してはフラメルだけではない。同時に祖母も足腰も健康で、魔法に衰えも感じない。結果、行く着く思考の先は、このランドール家が健康体なのだろうかとひとり納得してユノは紅茶をすする。


 そんなユノの思考に気が付かないフラメルは、杖を持って軽く振る。途端、今度は机の上から二枚の紙がひらりと舞う。ぱらぱらと音を立てながらユノの目の前で踊って浮かんだ。


「いやなに。明日から新学期が始まるだろう」


 ユノは、紅茶をソーサ―にそっと置くと、耳をフラメルに向けて目の前に浮かぶ二枚の書類を手に取った。


「今年は珍しく二人の転入生がくるんだがな、どちらもユノと同じ学年なのだ。その内ひとりの魔力がほとんどないと聞く。名前を聞く限り家は、純血派で有名な名門ではあるんだがな、どうやら彼女は異端児だと言われておるらしくての。


前の学校では座学を主に授業を受けていたんだが、流石にそろそろ魔法の実技をしないとならないとのことで、フレンメルスの腕輪を所持している我が学園へと転入をとのことだ」


 名門の子とのことで、目に留まった書面に記載のある名前にユノは内心驚いた。


「なぜ、この子は最初からこの学園に入らなかったのかしら」


 国内でも有名な家名。家も王都内にあったはず。ユノの両親がいた研究施設の代表でもある。そんな家柄の子どもがこのエルフォトラール魔法学園に入学しないほうがおかしいのだ。


「ふむ、そこは私たちの知るところではないため、憶測でしか言えないがな。先も言った通り異端児だと一族で軽蔑をされている。その結果、その異端な存在を外に、ましてや伝統のある学園には入学させたくはなかったのではないかな。ここは、昔からの家門が多く並ぶ。そこに名門からの異端児は悪い意味で目立つからな」


 あごひげを撫でながらフラメルはゆっくりとした口調で話す。その言葉にユノは口を閉ざした。


(異端児……それは私が良く理解している。混血の私が魔力量が多いだけで注目の的なのに。ましてや逆のパターンだった場合)


 胸が強く締め付けられる。考えただけでも安易に想像できた。針の筵。簡単に人は人を傷つけることができるのだ。


(だからと言って私に何が出来るのだろうか)


 助けることが出来るのかと言えば答えは否だ。友だちのいないユノにとって、彼女を導く方法がよくわからないのだ。明るい性格ではあるが、一定距離から踏み込むことをためらってしまうために、壁を高く築き上げてしまう。


 それをフラメルは知っていた。そして、同い年の子どもたちはもっと理解していた。外部からの人間はユノの事を知らないからこそ友だちになれるのではないかと、少しでもと保護者心が働いたのだが、当のユノ本人は少しだけ躊躇っているようだった。


「すぐに仲良くなってほしいわけではないさ。君は学年でもトップだ。そしてよくこの学園を思ってくれる。生活態度だっていい。先生たちからは高評価だ。そんな君だから、転入生の世話をお願いしようと思っただけなんだよ」


 それに言葉をつなげたのはエルメスだった。紅茶を一口含みながらユノに視線を向ける。優しい瞳は父であるフラメル譲りなのだろうか。記憶に遠い、父も同じ優しい瞳をしていた気がする。一族で見ると、ユノに対する当たりは強いが、現当主であるエルメスはユノには好意的だった。


絶対的な祖父であるフラメルへの信頼感からか、フラメルがユノに対する接し方を見て行動しているようだ。エルメスには妻もいなければ子どももいない。フラメルが最後ユノをエルメスの養女として手続きをしないかと打診をするくらいには、信頼関係は出来ている。それは学園という特別な環境下だったからなのもあるだろう。ユノが優秀であればある程、一族は口を出さないのと同じだった。


エルメスもその優秀さを認めている。しかし、養女になってしまえば跡継ぎ問題も出てきてしまうためかその流れは長年保留となっていた。ユノがフラメルが面倒をみたのは一重にエルメスという存在が、すでに一族のトップに立っていたからに過ぎない。次の跡継ぎ問題にユノが担ぎあげられてしまうのはユノも出来れば避けたいのである。


 それをフラメルもエルメスも気がついてる。だからこそ強く言わないのだ。そして教育者として2人はユノが健やかに学園生活を送ることを望んでいる。彼女の友達がいない問題はフラメルとエルメスの中でも問題視してるのだ。


 純血が尊ばれるこの魔法界で、混血はあまりにも立場が低い。立場の高い家から立場の低い人間が生まれてしまえばそれだけで、触らぬ神に祟りなしである。彼女がランドール家の子どもでなければこれ程までに注目を集めなかったというもの。運命というものか。それと似ているようで似ていない、それでいて重たい運命を背負うものがこうやって学園に集まるのもまた業なのだろうか。


 ユノはすっと息を吸って吐く。静かに、空気に馴染ませるように。


「わかりました。その役目、やらせて頂きます」


 どこかまっすぐに見つめるその母親譲りの黒く澄んだ瞳が、フラメルとエルメスを捉えた。

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