第20話 失いたくない

 アマリリスがテオドールと再会してから二カ月が経ち、王城で開かれた夜会にルシアンとふたりで参加していた。


 ルシアンの腹黒教育は続いているが、最近では後半からは教育を切り上げて社交にも力を入れている。王太子妃として人脈作りも疎かにできないため、苦肉の策だった。


 日に日にアマリリスの評価が高まり、今ではこぞって貴族たちが関わりを持ちたいと近づいてくる。バックマン公爵夫人の後押しもあり、夫人たちと談笑する場面も増えた。


「アマリリス。貴女のおかげでようやくナタリーが元気を取り戻したわ」

「まあ! ナタリー様、お久しぶりでございます。お元気そうでなによりですわ」

「アマリリス様! とてもお会いしたかったです………本日はお礼を伝えたくて伯母様にお願いして連れてきてもらったのです!」


 優雅なカーテシーを交わして、ふたりの麗しい令嬢は笑顔で語り合う。


「あの時、アマリリス様がきてくださらなかったら、わたくしはずっとあのままでした。心が壊れていつか自身を害していたかもしれません。本当に助けていただき、ありがとうございました」

「私はただお話を聞いていただけですが、お役に立てたようなら嬉しいことですわ。ブロイス伯爵夫妻の愛情をたくさん受けられたから、回復も早かったのでしょう」


 バックマン公爵夫人から相談を持ちかけられたのは、アマリリスがテオドールと再会を果たした直後のことだった。



 突然、アマリリスのもとを訪れたバックマン公爵夫人は思い詰めた表情で切り出した。


『アマリリス、突然押しかけてごめんなさい。でもお願い………どうか、助けてほしいの』

『バックマン公爵夫人、よほどのことなのですね? まずは詳しくお聞かせください』


 詳細を尋ねると、かわいがっている姪が一週間近くタウンハウスの部屋に引きこもり、家族とも話さず同年代のアマリリスなら心を開くかもしれないから話し相手になってほしいと言う。


 ダーレンとの婚約期間も変わらず接してくれたバックマン公爵夫人の頼みならばと、アマリリスは快諾しブロイス伯爵家を訪れナタリーと面会した。


 最初に会った時のナタリーは、アマリリスが一歩近づくとビクッと身体を揺らし、震える手をなんとか抑えようと恐怖に耐えている様子だった。


『初めまして、アマリリス・クレバリーと申します』

『お、お初にお目にかかります………ナタリー・ブロイルでございます』


 腕を身体にピッタリと寄せて背中は丸まり俯いたままで、流れ落ちた髪の隙間から紫から黄色になりつつある内出血の後が見えた。

 それは首筋から肩にかけて数カ所あり、いわゆるキスマークだと理解する。


(ナタリー様は確か婚約されていたはず………でも、相手が婚約者ならもっと幸せそうにするわよね。ということは——)


 そこでアマリリスは心情を読みながら、穏やかに優しく、決してナタリーは悪くないのだと言い聞かせ続けた。やっとのことで真実を聞き出せば、アマリリスの推理は正しかった。


 まさか暴行した犯人がエミリオだとは思わなかったが、クレバリー家の人間が来たことで暴行されたことをバラされると思い面会に応じたとナタリーは後に語った。


 そのあとはブロイル伯爵が調査を重ね、ようやく決着がついたと手紙が届いたのが数日前のことだ。


 ナタリーの婚約者もエミリオに激しく怒り、その調査に率先して身を投じた。そして「妻になるのは君しかいない」と言って深い愛で包み、ナタリーはようやく元気を取り戻したのだ。




 今では弾けんばかりの笑顔で夜会に参加できるようになり、アマリリスも感涙で視界がぼやける。


「そういえば、ダーレンからも同じような調査書類が届いていたけど、あれはなんだったのかしら?」

「え、ダーレン様ですか?」

「ええ、すでに調査が終わった後で届いたから、意味がわからなくて……」

「もしかすると、ロベリアがなにか掴んで情報を流したのかもしれません。ダーレン様の勘当を解いてほしかったのではないでしょうか?」


 ロベリアの考えそうなことをバックマン公爵夫人に伝えると、途端に瞳から光が消えた。


「そう。私の覚悟はまったく伝わっていないことは理解できたわ」


 冷ややかな空気をまとうバックマン公爵夫人に声をかけようとしたところで、「リリス」と呼ぶ甘やかな声が鼓膜に響く。


「ルシアン様」

「我がフレデルトの若き獅子、ごきげん麗しゅう存じます」

「我がフレデルトの若き獅子にご挨拶申し上げます」


 シャンパンを片手にしたルシアンがアマリリスの肩を抱き寄せて、他に見せない笑顔を向ける。バックマン公爵夫人もナタリーもすぐさま膝を折り王族への口上を述べた。


「バックマン公爵夫人にナタリー嬢だね。夜会を楽しんでいるようでなによりだ。僕も交ぜてくれるかな?」

「あらまあ、アマリリス様を独占してしまって申し訳ありません」

「ふふふ、ルシアン殿下はアマリリス様がとても大切なのですね」


 バックマン公爵夫人とナタリーにまで揶揄からかわれて居心地が悪くなり、この場から逃げたい心理が手伝ってアマリリスはそばを通った給仕からピンク色のシャンパンを受け取った。


「あ、ロゼを取ってしまったわ」

「普通のがよかったら、僕のと交換する?」

「いえ、問題ありません」

「僕がロゼを飲みたくなったんだ。交換して」


 少々強引だがアマリリスの意図を汲み取ったルシアンは、手にしていた琥珀色のシャンパンを差し出す。


 そんなやり取りを見ていたバックマン公爵夫人とナタリーは、ニヤニヤしながら見守っていた。ますます居た堪れなくなり、アマリリスはさっとルシアンのグラスと交換してシャンパンを飲み干す。

 

「ふふ、リリスはそんなに喉が渇いていたの?」

「ええ、たくさん交流を図りましたので、喉を潤したかったのです」

「僕も喉が渇いたな」


 そう言って談笑を続け、ルシアンは薔薇色のシャンパンを半分ほど飲んだところでグラスを落としてしまった。


「ルシアン様、お怪我はありませんか?」

「大、丈夫………」


 ところが、ルシアンはそのまま床に膝をつき倒れ込んだ。すでに意識が朦朧としているようでぐったりとしている。

 アマリリスは思考より先に床に膝を突きルシアンを抱きしめた。


「ルシアン様! ルシアン様!」


 たった今まで穏やかに歓談していた空気が一転し、騒然としはじめる。


「誰か! ルシアン様が………!!」

「大至急、医師を呼びなさい!!」


 アマリリスは青ざめた顔で横たわるルシアンを腕に抱き、バックマン公爵夫人が医師を手配し、ナタリーが騎士を呼ぶのを遠くに聞いていた。


 ルシアンはすでに意識がなく、どんなに呼びかけても反応がない。状況からして毒を盛られた可能性が高いとアマリリスは推察した。


 そうであれば、ルシアンはこのまま二度と目覚めないかもしれない。つまりそれは——。


(——ルシアン様が、いなくなる……?)


 両親が亡くなり、すべてを失いひとりぼっちになった日がフラッシュバックする。あの時のようにルシアンも失うかもしれないと思ったら、アマリリスの胸は張り裂けそうだった。


(嫌だ、失いたくない。私は、ルシアン様を失いたくない——)


 ルシアンの強引な口付けも、嫌だなんで少しも思わなかった。きっとアマリリスのそんな気持ちを、ルシアンは見透かしていたのだろう。


 アマリリスはようやく理解した。

 ルシアンに求められて嬉しかったのだと、翻弄されるほど心惹かれていたのだ。


 クレバリー侯爵家での日々を過ごすうちに、自分の心に蓋をすることに慣れてしまって、こんなことになるまで気が付かなかった。


 激情が宿る紫水晶の瞳に見つめられて、甘い言葉で愛を囁かれ、さりげない優しさで包み込んで、誰をも魅了する美貌に心が掻き乱される。


(私は………ルシアン様を、とっくに好きになっていた)


 ルシアンを失いたくない。その気持ちでアマリリスはいっぱいだった。



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