第19話 どんなに足掻いても

 ロベリアはクレバリー侯爵家を自分のものにするため、計画を練っていた。


(——お兄様は女癖が悪かったわ……そうよ、前に言っていた女は、確かブロイル伯爵家の娘を婚約者から無理やり寝とったと自慢していたわよね? なんという名前の令嬢だったかしら……?)


 エミリオの話にまったく興味のなかったロベリアはいつも聞き流していたが、ブロイル伯爵はバックマン公爵夫人の生家だったので覚えていた。だが、そこにエミリオを追い出すヒントが隠れているので、懸命に思い出そうとしていた。


 しかし、どれだけ考えても名前が出てこなくて、メイドがいてもひとり言のようにブツブツと呟いている。


「うう〜ん、ブロイル家の令嬢はアメリーじゃなくて、レスリー? 違うわね……ヒラリーでもないし……」

「もしかして、ナタリー様でしょうか?」

「そう! それだわ!」


 口を挟んできたのは十年近く働いている古株のメイドだった。リネンの交換に来ていたが、思わずと言った様子で口を挟んできた。


「ああ〜、スッキリしたわ。ところで、あんたはどうしてナタリーのことだとわかったの?」

「はい、私の生まれがブロイル伯爵領でしたので、もしかしたらと思ったのです」

「ふーん、そうなの。それじゃあ、今度は証拠を集めないといけないわね……」


 ロベリアはそんな偶然があるのだなと思っただけで、すぐに次の問題へ思考を移す。


 調査をさせてその証拠をダーレンの名前でバックマン公爵夫人に送りつければ、兄の非道を許せない妹として見直してもらえるかもしれない。

 ダーレンにしても従妹の窮地を救ったとして、今後の援助が期待できる。


「ねえ、調査を依頼したいから、専門の業者を探してきてちょうだい」

「え? 調査ですか?」

「そうよ、なんでも調べてくれる業者よ! さっさとして!」


 こうしてロベリアは調査の専門業者を使って、エミリオとナタリーのことを調べさせることにした。


 それから二週間が経ち、ロベリアが依頼した調査内容が届けられた。書類や音声の記録を確認しロベリアとダーレンはニヤリと口角を上げる。


「うふふふ、これでお兄様をブロイル伯爵へ押し付けられるわ!」

「確かに……でもこれだけの会話内容や証拠を集めるなんて、いい仕事をするじゃないか」

「こんなに簡単に計画は進むなんて、きっとダーレン様がクレバリー侯爵家の当主になる運命だったのよ」

「まあ、私の手にかかれば領地経営で財を築くことくらいなんでもない」


 しかもブロイル伯爵は社交シーズンが終わった今も王都のタウンハウスにいるらしく、計画を進めるのにはもってこいのタイミングだった。ロベリアはエミリオを追い込む証拠を手にしてほくそ笑む。


「これでクレバリー侯爵家はわたしたちのものになるわ……!」




 その翌日、ロベリアは上機嫌でダーレンと一緒に映像記録の水晶を眺めていた。


 映像はクレバリー侯爵家に訪れた客人が応接室へ入ったところから始まる。

 客人は言葉使いこそ丁寧だが有無を言わせぬ怒気を放っていて、その隣にはギリギリと奥歯を噛みしめる夫人がいた。


 少し遅れてクレバリー侯爵とエミリオがやってきて、メイドがお茶を運んで人払いをする。これは今回の計画がうまく進んだか確認するために、事前にロベリアが仕込んでおいた魔道具だ。


『突然の訪問を失礼する。私はジャクソン・ブロイル、隣は妻リーナだ。クレバリー侯爵とエミリオ殿に娘ナタリーに関する重大な話をしにきた』

『いえ、そのナタリー嬢に関する重大な話というのは、いったいどのようなことでしょうか? それにエミリオも関係あるというのですか?』


 事情を知らないクレバリー侯爵は面倒だという気持ちを滲ませているが、ナタリーの名前を聞いたエミリオはハッとした表情をした。


『エミリオ殿が関係あるかどうかは、当の本人がよくご存知でしょう』

『さようでございますか。では、人払いもしましたので詳細をお聞かせください』

『……私たちの誰よりも大切な娘を、そちらの獣にも劣るご子息に力ずくで汚されました』

『なっ、そんなことは——』


 クレバリー侯爵は反論しようとしたが、エミリオが青い顔で俯くのを見てそれが事実なのだと理解する。さらに追い詰めるようにブロイル伯爵が言葉を続けた。


『ある方の尽力で事実が明らかになったのです。今まで誰にも言えずにひとり悩んでいた娘は、ずっと屋敷に引きこもり私たちとも会話すらできない状態でした』

『わたくしたちも領地に戻らず、傷ついた娘の心にずっと寄り添っています。宝物のような娘にこんな仕打ちをされて、許せるはずがありませんわ!』


 ブロイル夫人は膝の上で拳を固く握り、憎悪の炎が燃えあがる瞳でエミリオを睨みつけている。


『こちらがその証拠のコピーです』

『…………』


 ブロイル伯爵はそっとテーブルに書類を差し出した。クレバリー侯爵は無言で書類を手に取り、内容に目を通していく。読み進めるほど眉間の皺が深くなり、言い逃れできないと察したようだった。


『私たちはエミリオ殿への厳罰と慰謝料を請求いたします。クレバリー侯爵がしっかりと裁きを下してくださるならそれでも結構ですが、処罰が甘いようであれば裁判も辞さない覚悟です』

『さ、裁判なんて、ダメだ! そんなの無理に決まっている!』

『ナタリーを無理やり手籠にした貴方が、なにを無理だというの!?』


 ブロイル伯爵のもっともな希望にエミリオが焦って否定するが、その言葉にブロイル夫人が激昂した。怒りのあまりソファーから立ち上がり、今にも飛びかかりそうだったがブロイル伯爵が宥める。


 クレバリー侯爵はどうにか処罰を軽くできないかと、言い訳をしはじめた。


『しかし、エミリオは後継者で、厳罰と言っても限界がある。慰謝料の増額で納得していただきたい』

『ナタリーもひとり娘で、我々の後継でしたが? それに、クレバリー侯爵にはロベリア嬢がいて、バックマン公爵家のダーレン様と婚約していると聞いています。後継問題はどうにでもなるでしょう。そもそも金銭だけで解決できるほど簡単な問題だとでも思っておられるのか?』

『ですが、娘のロベリアには後継者としての教育はなにも——』

『いい加減にしてください! ナタリーは姉であるバックマン公爵夫人がかわいがっていた姪でもあり、今回のことも報告済みです。どんなことをしても貴方たちには罪を償ってもらうぞ!!』


 ここまで怒りを抑えていたブロイル伯爵も、ついに声を荒げた。


 あれだけ厳しいバックマン公爵夫人の姪に手を出したのだから、エミリオがタダでは済まないのはロベリアでもわかる。それにクレバリー侯爵はバックマン公爵家の名前を出されたら、すべてを飲み込むしかないことも理解していた。


(バックマン公爵夫人を敵にしたら本当に恐ろしいのよ。お兄様を密告したことでダーレン様も許されるはずだし、そうなったらクレバリー侯爵を継ぐのはわたしでも問題ないわ)


 ロベリアの読み通り、クレバリー侯爵は深くため息をついてブロイル伯爵の要望をすべて聞き入れた。


『………わかりました。それでは、この場で嫡男エミリオを廃嫡し、クレバリー侯爵家から追放いたします。慰謝料の金額は提示された金額で支払いましょう。それでどうにか怒りを鎮めていただきたい』

『では、文書として残していただきたい。その通りに対応されなければ、すべてをつまびらかにしてクレバリー侯爵にも罪を問います』

『承知した』


 クレバリー侯爵は家令のケヴィンを呼び出し、書類を作成していく。その様子を見ていたエミリオは、己の身を案じて父に縋りついた。


『そんな………父上、お願いです、助けてください……! 酒の勢いでやっただけなんです! 屋敷から出てどうやって生きていけばいいのですか!?』

『黙れっ! この私の顔に泥を塗りおって!! そんな出来損ないの息子などいらんわ!!』


 エミリオはクレバリー侯爵の叱責に情けなく泣き出し、ブロイル伯爵夫妻は氷のような視線をふたりに向けていた。


「うふふ、あはははは! 思った通りの展開だったわ!」

「まったくだな。明日にはクレバリー侯爵から話があるだろうか」

「そうね。きっと朝一番で呼び出されて、わたしが後継者になるはずよ。ダーレン様も今回のことでバックマン公爵夫人に許しを乞えば、これからは援助だってしてくださるわ」

「うむ、そうだな。やはりアマリリスからロベリアに乗り換えて正解だった」


 祝杯をあげたロベリアとダーレンは気分良く眠りについた。




 翌朝、朝食の席にエミリオは姿を見せなかった。

 代わりにクレバリー侯爵から食後に執務室へ来るように言われ、ロベリアは笑みを浮かべて頷いた。


「クレバリー侯爵家の後継者は本日よりロベリアとなった。これからはそのための勉強もしてもらうから、そのつもりでいろ」

「はい、お父様。精一杯頑張りますわ!」

「それと、アマリリスが正式にルシアン殿下の婚約者になったと王家から通達があった。今後はそちらとの付き合いも始まるから、礼儀作法もしっかりと身につけるように」

「——え?」


 喜びの絶頂から一転、突如冷水を浴びせられたように心が凍りつく。

 確かに以前夜会でエスコートされていたが、せいぜい愛妾になるのだと思っていた。


「どういう、ことですか? アマリリスが、ルシアン殿下の婚約者って……」

「どうもこうも、ルシアン殿下に見初められて婚約者に決まったのだ。国王陛下の許可も得ているそうだ」


 それはつまり、アマリリスがロベリアよりも高貴な女性になるということで、今まで下に見てきた女に頭を下げなければならなくなるということだ。


 それは、山より高いプライドを持つロベリアには耐えられない屈辱である。


(どうして! どうして、わたしよりあの女の方が立場が上なのよ!? あんな女にそこまで価値なんてないでしょう!?)


 ロベリアは自分より聡明で美しく成長したアマリリスが、妬ましくてたまらなかった。そんな憎い女に跪くのが嫌でクレバリー侯爵の指示通り、アマリリスの婚約者を奪ったのだ。


 それなのにアマリリスが王太子の婚約者だというなら、このままでは逆立ちしても敵わない。

 悔しくて、腹立たしくて、ロベリアは醜く顔を歪めて怒りに震えていた。



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