第18話 翻弄される悪女
アマリリスはひとしきり泣いた後、用意された紅茶を飲んでようやく落ち着きを取り戻した。
テオドールの胸元を涙と鼻水でべちょべちょにしてしまって、今頃になって羞恥心が込み上げる。
(テオ兄様の上着をあんなに汚してしまった上に、ルシアン様の前でみっともなく泣いてしまったわ……!)
恥ずかしがるアマリリスを優しく見つめていたテオドールが、おもむろに口を開いた。
「ルシアン殿下、この度は妹との再会をご提案いただき誠にありがとうございます」
「いや、婚約者が喜ぶことをしたかっただけだよ」
ルシアンの言葉にアマリリスはハッとした。まさかサイコパスであるルシアンがそのような理由で、テオドールとの再会をセッティングしたとは考えていなかった。
そんな風に心を砕いてくれたルシアンに対して、サイコパスだと偏見を持ちすぎていたとアマリリスは反省する。ただアマリリスを喜ばせるためだという言葉に、胸の奥がポカポカと温かくなった。
「ですが、こうして心置きなくアマリリスと会うことができ、心より感謝申し上げます。リオーネ王国モンタス辺境伯騎士団長テオドールとして、有事の際にはお力になるとお約束いたします」
「ふむ、それはとても魅力的な申し出だね。だけど、まずは僕の提案を聞いてほしいのだけど、いいかな?」
「ルシアン殿下のご提案、ですか? もちろんです。拝聴いたします」
アマリリスはルシアンの横顔へ視線を向ける。真っ直ぐにテオドールを見据えるルシアンの瞳は、今までに見たことがないほど怜悧で鋭くアマリリスは目が離せない。
「クレバリー侯爵家のことだ。由緒ある侯爵家の状態が芳しくないから、正当な後継者が建て直す必要があると考えている」
「それでは、アマリリスが……」
「いや、リリスはいずれ王太子妃として采配してもらうから、侯爵家の管理をするのは難しい。そこで、テオドールに後継者の打診をしたいのだけど」
「……っ!」
テオドールが息を呑む。両隣に控える騎士たちも、驚きに目を見開きすぐに眉間に皺を寄せる。
「恐れ入りますが、テオドール様は我がモンタス騎士団長です。テオドール様以上に団長にふさわしいお方はおりません」
「そうです、団長のお力があったからこそ魔物だって——」
テオドールが片手をあげて騎士たちの言葉を遮ったが、彼らの言い分ももっともだ。ルシアンは少しも表情を変えず、前を向いたままだ。
(ルシアン様はこの状況で勝算があるのかしら……?)
「ルシアン殿下の申し出は大変ありがたいが、これは俺ひとりで決定できる内容ではありません。モンタス辺境伯とも協議が必要です」
「うん、そうだね。ただ、ひとつ理解しておいてほしいのは、リリスは僕の婚約者になったということだ。つまりゆくゆくは王妃となる。その際に生家が没落しているというのは、リリスにとって好ましくない」
「……状況は理解しましたが、こちらの事情もあります」
「この件に関する権限は僕にあるから、ある程度融通するよ。しばらく王城に滞在してもらい今後も協議しよう」
「……はい」
渋い顔をして俯いたテオドールは数秒だけ目を閉じた。その様子からルシアンの申し出が嬉しくない内容なのだと、アマリリスは理解する。
義理堅く、曲がったことが嫌いなテオドールにとって、それほどモンタス辺境伯は大きな存在なのだろう。アマリリスは重くなってしまった空気を変えるためにも、テオドールへ問いかけた。
「テオ兄様、聞いてもいいかしら?」
「うん、なんだ?」
「モンタス辺境伯の騎士団に入団するまでは、どう過ごしていたの?」
アマリリスはずっと気になっていたことをテオドールに尋ねた。
「ああ、手紙にも書いていたな。実は養子に出されたというか、身ひとつで追い出されたんだ」
「えっ!」
もしかしたら大変な状況かもしれないと思っていたが、そんなことになっているとは思わなかった。十四歳の少年をひとりで国外へ放り出すなんて、そこまでクレバリー侯爵は私たちが疎ましかったのかと愕然とする。
そうなると、ユアンも同じような状況だったのではとアマリリスは簡単に推測できた。
「確かに養子になると聞いていたんだが、いざリオーネ王国に着いて養子先を訪ねたらそんな話は初耳だと言われてな。仕方ないから冒険者になった」
「テオ兄様が冒険者!?」
「なかなか性に合っていたが、剣の腕を見込まれてモンタス辺境伯にスカウトされたんだ」
「そうだったのですか……苦労をされていたのですね……」
アマリリスはあの屋敷で生き抜くことだけを考えていた。もっとできることがなかったのかと、今更になって激しく後悔する。
せめて家令のケヴィンに相談していたら、なにか情報が貰えていたかもしれない。災難が降りかかってきたら、ただ待つだけではダメだったのだ。
「何度もリリスに手紙を書いたんだけど返事がなかったから、きっと握りつぶされているのだと思っていたよ。それにフレデルト王国に入国することもできなくて、どうにもできなかったんだ」
十四歳の少年がたったひとりで生きていくだけでも過酷だというのに、テオドールはアマリリスのことをずっと気にかけていた。冒険者という危険な仕事をこなしながら、なんとか日々を過ごして辺境伯の騎士団長まで上り詰めるなど並大抵のことではない。
「心細い思いをさせて悪かった」
「テオ兄様はなにひとつ悪くありません。でも、クレバリー侯爵家を守れなくてごめんなさい。私の力不足で、もうどうにもならなくて……」
それでもテオドールはアマリリスを慮って、自分が悪いというのだ。
ルシアンの心配りと兄からの優しい言葉で、鋼鉄のように固かったアマリリスの心が、真綿のように柔らかくふわふわと解きほぐされていく。
「いいんだ。リリスがこうして綺麗なドレスを着て、笑顔でいれば侯爵家なんて必要ない」
「テオ兄様……」
アマリリスはここで、どうしてこんなに華美なドレスを着せられたのかようやく理解した。サプライズを計画していたルシアンが、兄を安心させるために手配したのだ。
(ルシアン様は本当にサイコパスなのかしら? 私の見立てが間違っていたのかもしれないわ……)
幸せな気持ちに包まれて、アマリリスは八年ぶりに心からの笑顔になった。
「あの、ルシアン様? どうされたのですか?」
城へ帰る馬車の中で、ルシアンはアマリリスの太ももを枕がわりにして座席に横になっている。執務室でもこんなことはしていなかったので、アマリリスはなにかあったのかと尋ねた。
「別に、なんでもない」
「なんでもなくはないようですが……」
「本当になんでもない」
ルシアンは話す気がないようなので、アマリリスはこっそりと感情を読み取ってみる。
(急に口数が少なくなってそっけない態度になったくせに、膝枕を求めてくる。視線も合わないわね……この態度に心当たりはあるけれど)
口に出して違っていたらとても恥ずかしいが、ルシアンのわかりやすい態度でほぼ確信に近い答えが出ていた。
しかし、にわかには信じ難い。
「……まさかとは思いますが、焼きもちですか?」
「はー、本当にリリスには隠せないね」
美貌の眉を歪めてルシアンはむくりと起き上がる。適度な重みと熱がなくなり、アマリリスは残念な気持ちを抱いた。そんな気持ちを打ち消すように、冷静な自分が顔を出す。
「いったいなにに嫉妬されたのか、わかりません」
「リリスがテオドールばっかり見てるから」
「……それは、八年ぶりの再会でしたので、そうなるのは当然かと思いますが」
「わかってるよ。実際リリスが喜ぶと思ってセッティングしたのも僕だし、それは成功したと思っている。でもさ、一ミリも僕のことを見ないし、話すのはテオドールとばかりだし……あー、もうこんな感情初めてだ」
珍しく感情的なルシアンを目にして、アマリリスは驚いていた。
ルシアンはガリガリを頭を掻いて、むくれている。でもアマリリスは嬉しくなってしまった。
いつも本心を覆い隠して心の底が読めないルシアンだったが、アマリリスはやっとその心に触れた気がしたのだ。ルシアンとテオドールのおかげでほぐれた心が、アマリリスの表情にも変化をもたらす。
「ふふふ、私にとっても初めてのルシアン様ですわ」
「っ! リリスはどこまで僕をかき乱すんだろうね?」
アマリリスの花が咲くような微笑みが心に突き刺さり、一方的に振り回されることにルシアンは苛立ちさえ感じている。紫水晶の瞳が捕食者のようにギラついていることに気が付ついたのは、ルシアンが手のひらがアマリリスの頬に触れたからだ。
「え、ルシアン……様?」
「たまには僕もリリスをかき乱していい?」
「それは、どう——」
アマリリスの疑問などあっさり無視して、ルシアンは強引に口付けをした。
柔らかな感触、身体が火照るほどの熱、もっと自分だけを見てほしいと願う想い。
それがルシアンから伝わってきて、アマリリスの思考が停止する。
どれほど触れ合っていたのか、とても長いような一瞬のような甘い時は終わりを迎えた。ゆっくりとルシアンが離れ、満足げに妖艶な笑みを浮かべる。
「真っ赤になって、かわいい」
「〜〜〜〜!!」
耳元で囁くルシアンの唇が触れて、アマリリスの身体が震えた。
問答無用の口付けだったが、アマリリスはそれに対して嫌悪感はない。心の準備ができておらず羞恥心でいっぱいなだけだ。
「あ、着いたみたいだね。せっかくだし、お姫様抱っこしようか?」
「結構です!!」
「ははは、怒ったリリスもいいね。もっと僕のことで心乱れてよ」
「…………」
ここで反応するのも悔しくて、アマリリスはしばらく無言を貫いた。
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