第17話 王太子のサプライズ

 アマリリスは祈るような気持ちで一通の手紙を送った。

 それは長兄であるテオドール宛てで、今のアマリリスの思いの丈を書いたものだ。


 ずっとテオドールに会いたかったこと、兄がこの八年間をどんな風に過ごしてきたのか気になっていること、苦労しているなら寄り添いたいこと。


 それから王太子ルシアンの婚約者になって、テオドールの入国拒否取消しの手続き中で、これからはいつでも会えることをしたためた。


(テオ兄様から返信が来ればいいけれど……)


 大きな不安と少しの期待が入り混じり、なんとも落ち着かない気持ちでアマリリスは手紙の返信を待っている。送ったのは三日程前だから、ようやくテオドールの元に届いた頃だろうと理解はしているが、考えずにはいられない。


 授業を受けていたルシアンは、そんなアマリリスの様子を敏感に感じ取る。


「リリス。なにか気になることでもあるの?」

「ルシアン様、失礼いたしました。少々考え事をしておりました」

「ふうん、どんなこと? 僕だって話くらい聞くよ?」

「いえ、大したことはございません」

「リリス」


 ルシアンの真剣な声音に、紫水晶の瞳に、アマリリスは囚われた。


「君の憂いを払うのは、婚約者である僕の役目だよ。なんでもいいから話してみて」

「ルシアン様……」


 アマリリスは誰かに頼るということを長い間忘れていた。それが許される環境ではなかったし、心優しい使用人たちは手助けしてくれたけど、大体のことは自分自身でどうにかしてきたのだ。


(婚約者だから頼ってもいいなんて……そう言われたらそうなんだけど、甘えすぎてもいけないわよね)


 ダーレンと婚約を結んでいる時、アマリリスは悩み事があると第三者の公正な意見が聞きたくて相談していた。まだ両親が健在でたびたびお茶の時間を共にしていたから、何度かその時間を使ってダーレンに話をしてみたのだが。


『はあ? そんなこと言われても私がわかるわけないだろう。くだらない話をしないでくれ』

『悪いが、今はそれどころではないのだ。それより私の話を聞いてくれ』

『それくらい自分で考えたらどうなんだ? お前にも考える頭はついているだろう?』


 何度も何度も、そんな風に切り捨てられた。今となってはどんな相談内容は覚えていないが、切り捨てられたことだけははっきりと記憶に残っている。


 その時の光景が鮮明によみがえり、アマリリスはできるだけ誰にも頼らず問題を解決してきた。その気概を持っていたからこそ、クレバリー侯爵家でもやってこれたのだからある意味いい経験だった。


「失礼いたしました。兄の手紙が届いた頃かと考えていたのです」

「そうだ、先日手紙を出していたね。すでに手配してテオドールの入国も許可は出ているから、いつでも呼び寄せられるよ」

「本当ですか……!? ありがとうございます!」


 アマリリスは満面の笑みで礼を伝えると、ルシアンはニヤリと笑ってとんでもないことを言い出した。


「ふふ、それでは頑張った僕にご褒美をもらえる?」

「はい? ご褒美ですか? ……あいにく私には差し上げるようなものはございませんが」

「そんなことないよ。そうだなあ、僕の外出に僕に付き合ってくれないかな?」

「……そんなことでよろしいのですか?」

「うん、今のところはね」


 最後の一言がアマリリスは引っかかったが、このまま進めば婚姻するのだし、どうやらルシアンはこちらのペースの合わせてくれるようなので気にしないことにした。


「承知いたしました。いつになさいますか?」

「それなら三日……いや、五日後がいいかな。妃教育も休みにするよう手配するから、午前中から出よう」

「かしこまりました」




 そうして約束の五日後、アマリリスはメイドに囲まれルシアンと出かけるための準備をしていた。


 メイドたちに促されるまま薄紫のドレスに身を包み、イエローダイアモンドのアクセサリーを身につける。真紅の髪はハーフアップにして金色の薔薇の飾りを差し込み、まるで夜会に参加するような格好だ。


(これは……かなり独占欲丸出しの衣装じゃないかしら? それにしてもこんなに豪華な格好で外出ということは演劇でも観にいきたいのかしら?)


 アマリリスの準備が終わると同時に、ルシアンが部屋まで迎えにやってくる。


「リリス、準備はできた?」

「ルシアン様。はい、ちょうど今終わったところです」


 そういうと軽い足取りでルシアンが入ってきて、うっとりとした表情でアマリリスを見つめた。


「はあ。リリス、想像以上に綺麗だよ。さあ、行こうか」

「あ、ありがとうございます……」


 ストレートな褒め言葉に内心で狼狽えながら、アマリリスはルシアンのエスコートに身を委ねる。ダーレンはこんな風にアマリリスを褒めたことがなかったので、実は褒められなれていないのだ。


 ルシアンをチラリを見上げると、バッチリと視線が絡みアマリリスは慌てて正面に顔を向ける。


(まさか、こちらを見ているとは思わなかったわ。それに、ルシアン様も正装に近いくらい衣装を整えたのね)


 アマリリスのアドバイス通り、ルシアンの衣装は黒や濃紺など暗めの色が多くなった。今日も黒の上下に金色の刺繍が贅沢に施され、真紅のベストで華やかさを出している。


(……というか、私の色を使っているのね。これでは私まで執着心丸出しみたいだわ)


 ため息をつきたいのをこらえて、用意されていた馬車へ乗り込んだ。

 ゆっくりと馬車は動き始め、窓から覗く景色が後ろへと流れていく。城門を抜けて街の中心部へと向かって進んでいた。


「ルシアン様、今日は観劇でもされたいのですか?」

「観劇ではないかな。でもリリスが絶対に喜ぶことだと思う」

「私が喜ぶことですか……?」


 そんなことがあったかとアマリリスは考えた。街中で喜ぶと言ったら、極上のスイーツに舌鼓を打つか、自由を満喫して好きに過ごすくらいだが、それなら夜会できるようなドレスは少々不釣り合いだ。


「まあ、楽しみにしていてよ」


 それだけ言って、ルシアンは車窓へ視線を向けた。


 それから三十分ほどして街の外れにある、東へ向かう乗り合い馬車の乗降口へ着いた。大勢の人が荷物を抱え行き来している。

 アマリリスはルシアンに促され、馬車から降りてエスコートされるまま歩き始めた。


「ルシアン様、ここからどこへ向かうのですか?」

「もう目的地に着くよ。少し待つかもしれないけど」


 ルシアンの意図がまったく読めないアマリリスは困惑するばかりだ。多くの馬車が集まる乗降口は、王都の中心地から外へ向かう馬車と、外から王都へ入ってくる馬車で停車する場所が異なる。渋滞や事故を避けるための措置で、こればかりは王族でもルールに従うしかない。


 王都へ入ってくる馬車の乗降口まで来ると、先に到着していた侍従がルシアンに駆け寄り報告してきた。


「ルシアン殿下、お待ちしておりました。先方様はすでにご到着でございます」

「そうか。ではそちらへ向かおう。リリス、こっちだよ」


 ルシアンのエスコートで馬車の乗降口から程近い高級レストランへ向かって歩く。店内入ると一階と二階に客席があったが、他の客は誰ひとりいなかった。


(さすがに王族が利用するとなると貸切なのね……)


 アマリリスは二階の客室へ案内され階段を登っていくと、次第に二階のフロアが視界に入る。三人組の男性客がいることに気が付き、わずかに話し声が聞こえてくる。


「テオドール様、落ち着いてください。もうすぐ来られますよ」

「落ち着いていられるか、八年ぶりなんだぞ」

「シスコンが酷すぎても嫌われますよ?」

「ぐっ」


 アマリリスは階段の途中で足を止めた。


(嘘……嘘、まさか——)


 あと数段登れば二階のフロアに上がり切るというのに、身体が固まって動けない。


「リリス、ほら」


 ほんの少しだけ強引にルシアンがエスコートしてくれたおかげで身体が動き、足音を立てて階段を駆け上がる。その音に気が付いた男性客たちが振り返り、短く切り揃えられたブラウンの髪の青年が大きく目を見開いた。


 それは紛れもなく生き別れになっていた長兄、テオドールだった。


「テオ兄様っ……」

「リリス——!!」


 すっかり逞しくなった腕に抱きしめられ、アマリリスも背中に手を回してギュッと力を込める。テオドールを見上げると精悍な顔つきにはなっていたが、優しげな深い緑の瞳は別れた頃のままだった。


 ポロリと雫がこぼれ落ち、アマリリスの頬を伝う。


「テオ兄様、会いたかった……ずっとずっと会いたかった!!」

「ああ、すぐに戻ってこられなくてごめん。またリリスを泣かせてしまったな」

「テオ兄様……テオ兄様! ふっ、うぅ……!」


 今までひとりだと思っていたから耐えられた。とっくに枯れたと思っていた涙が後から後からあふれてくる。

 そんなアマリリスを抱きしめるテオドールの瞳にも、キラリと雫が光っていた。



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