第16話 輝くほどの美しさ

 ルシアンはいつもよりご機嫌の様子で笑みを浮かべ、午前中の執務室では王太子補佐のカッシュと事務処理を進めていた。


 アマリリスが不穏分子を排除してくれたおかげで面会が激減し、午後の腹黒教育が終わればルシアンとアマリリスはそのまま終業となる。


 あまりに機嫌がよすぎて幸せオーラを放ちすぎたのか、カッシュが呆れ顔で口を開いた。


「ルシアン、顔が緩みっぱなしだぞ」

「いや……リリスと一緒にいられるのが嬉しすぎて、これ以上キリッとするのは無理だよ」 

「はあ、もう十年も片思いを拗らせてたからな……無理もないか」


 カッシュは苦笑いを浮かべる。王都の西に領地を持つアンデルス公爵家の嫡男カッシュは、ルシアンの幼馴染であり数少ない友人だ。ふたりで執務をこなす時は、いつも気楽な言葉使いになる。


 ルシアンはようやくチャンスを掴み、人生で初めて欲しいと思った女性を婚約者にした。十年間もの間ひっそりと積み重ねた想いは簡単に昇華するわけもなく、ルシアンの腹の底で黒くドロドロとした執着となっている。


(リリスを手にするため父上も巻き込んで囲い込んだから嫌われているかと思ったけど、予想以上にクールで聡明だから助かったな。これなら僕がリリスの心を掴むのも早まりそうだ……)


 たとえ嫌われていてもアマリリスを手放すつもりはないし、時間をかけて口説き落とそうとルシアンは思っていた。死ぬまでに愛を返してくれたら上出来だし、愛されなくてもルシアンのものだと理解してくれたら、それでいいとさえ思っている。


 こんな重苦しい感情が自分の中にあると知ったのは、アマリリスに出会って半年が過ぎた頃だった。

 どんなにアマリリスをあきらめようとしても想いは募るばかりで、この気持ちを消し去るのは無理だと悟る。


 無理やり婚約をすることもできたけれど、ダーレンの婚約者として頬を桃色に染めたアマリリスを悲しませるのは嫌だった。


 苦肉の策として常にアマリリスの情報を集めていたが、ひどい状況だと知ってもなにもできず本当に歯痒くてたまらなかった。婚約者であるはずのダーレンに何度か忠告したがまったく頼りにならず、アマリリスの状況は悪くなり悪女の噂が広まるばかりだったのだ。


 その状況からアマリリスを救い出そうとルシアンは父に相談したが、その時は立太子もしていなくて意見を述べてもまともに取り合ってもらえない。ましてやバックマン公爵家とクレバリー侯爵家の縁談に王族が口を挟むべきではないという父の意向もあり、ルシアンにはどうすることもできなかった。


 仕方なく調査のためにクレバリー侯爵家へ忍ばせていた王家の影へ命令して、アマリリスが飢えないように、好きなだけ勉強できるように、誕生日には金貨を用意して、ルシアンの名前は伏せつつ影を通して家令を動かしていた。


 そうしてやっとのことで、アマリリスをルシアンの教育係にできたのだ。


 ところが、兄であるテオドールの消息を掴み、アマリリスは早々に教育を終えてルシアンのもとから去ると言った。ルシアンはほんの一瞬もアマリリスを手放すつもりはないから、父を巻き込んで先手を打った。


「さて、書類はこれで終わりかな?」

「ああ、そうだな。次は……」

「カッシュ、次は僕の仕事を手伝ってほしい」

「ルシアンの仕事? 他になにかあったか?」


 首をひねるカッシュに、残忍な悪魔の如き笑みを浮かべてルシアンは言葉を続ける。


「リリスは僕の最愛なのはわかってると思うけど、その彼女を傷つけた人間たちがいるんだ」

「あー、そう。そっちの仕事か」

「うん。僕はね、奴らを許す気は毛頭ないんだよ」


 ダーレンはバックマン公爵家から勘当され、クレバリー侯爵家に身を寄せている。強欲な一家ごとまとめて処分しようとルシアンは計画していた。


「ルシアンがそんな風に怒るのを初めて見るな」

「そう?」

「いつも飄々としていて、負の感情とは無縁なのかと思っていた」

「まあ、それはそうなのかもね。リリス以外の人間に興味ないし」

「はあ、はっきり言うねえ……ということは、俺もどうでもいい人間のひとりかよ」


 カッシュもまた王太子を理解している数少ない友人だと思っていたので、ポロッと心の声がこぼれてしまった。女々しい言葉になってしまったが、ルシアンもカッシュを友人だと思ってくれていると信じていたから、ルシアンの言葉はショックだったのだ。


「うーん、カッシュは友人だと思っているけれど、リリスと比べたら——」

「わかった! 比べなくていい。友人だと思っているなら、それでいいんだ」


 カッシュがもう聞きたくないとばかりに言葉を挟んだので、ルシアンもそれ以上は続けなかった。


(リリスと比べたら、どんな物もどんな人間も、この世界ですら色褪せてしまうけど)


 それほどまでにルシアンから見たアマリリスは眩しく女神のような存在だ。ルシアンの婚約者はアマリリスの花言葉である、『輝くほどの美しさ』を体現している。


「で、計画は立ててあるのか?」

「これからだよ。今のクレバリー侯爵家の状況を知ってる?」

「ダーレンが身を寄せているとは聞いたが……内情までは掴んでいない」

「ふふ、実はこんなことになっているんだ——」


 ルシアンはクレバリー侯爵家の内情を正確に把握していた。それは使用人として忍ばせている影からの情報だから間違いない。


 現在はダーレンとエミリオの間で後継者問題が勃発しそうだと、ルシアンは掴んでいた。現在はエミリオが嫡男で後継者として育てているようだが、その進捗は芳しくないと聞く。

 教育をまともに受けていないアマリリスの方が博識で、領主としての才があると報告を受けていた。


 それに財務状況もよろしくない。クレバリー侯爵はバックマン公爵家との繋がりを利用しようとしていたが、それはダーレンが勘当されたことで使えなくなった。


 アマリリスが去ってからますます悪化の一途を辿り、没落まで秒読み段階と言える。

 それらをカッシュに説明し、どうしたら気が済むような処分できそうか思案した。


「ここで本当の後継者が出てきたら、面白くなると思わない?」

「本当の後継者って……あ!」

「ふふふ、さてどうやって奴らを追い込もうか。ギリギリまで足掻かせて絶望の底に叩き落とそうかな。あとで周知するのも面倒だし、目立つところがいいよね?」

「目立つところって……夜会かパーティーか?」

「うん。リリスだって夜会で婚約破棄されたんだし、文句は言えないよね」


 極上の笑みを浮かべ、どんどん瞳から光を消していくルシアンを見て、カッシュはポツリと呟いた。


「本当にルシアンだけは敵にしたくないよ」



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