第15話 王太子の婚約者

 王太子ルシアンの婚約者が決まったと周知されたのは、夏の暑さも過ぎ去り秋へと季節が変わる頃だった。アマリリスが春に王城へやってきてから四カ月ほど経っている。


 アマリリスが婚約者となり、妃教育も始まった。それでも本を読み漁ったおかげで教養は十分あるとみなされ、主に貴族関係や礼儀作法について学んでいる。


 午前中に妃教育、お昼からルシアンと合流し腹黒教育をこなす忙しい毎日だ。


 公式にアマリリスが婚約者だと発表されてから、ルシアンは場所を問わずこれでもかと愛情表現をしてくるようになった。今も執務室で休憩の時間なのだが、侍従がいるにもかかわらずアマリリスを膝の上にのせて抱きしめている。


「はあ、リリスに癒されるなあ」

「……ルシアン様、授業を再開しますのでいいかげん下ろしてください」


 腕を解こうとしてもビクともしないので、アマリリスは無我の境地に至っていた。

 しかし、そろそろアマリリスが精神的に限界で、少し早めに昼休憩を切り上げて腹黒教育に戻りたい。


「まだ休憩時間でしょう? ちゃんと休まないと効率が悪くなってしまうよ」


 ルシアンは幸せそうに微笑んでもっともらしいことを言うが、アマリリスはこの甘さに辟易している。


(いつでもどこでもくっついてくるのは、いい加減にやめてほしいわ……! 社交界にも見事に広まって、面倒しかないのに!)


 アマリリスがルシアンの寵愛を受けていることは、すでに周知の事実となっており国王も王妃も温かく見守っていた。貴族令嬢からは今でも刺々しい視線を向けられたり、こっそり嫌味を言われるがそんなことはたいした問題ではない。


 本当に面倒なのは、ルシアンの懐に入りたいと擦り寄ってくる貴族たちだった。ルシアンやバックマン公爵夫人のいないタイミングを狙って、アマリリスに近づいてくる。


 当然、相手はアマリリスよりも立場が上な気難しい貴族ばかりなので、角が立たないように流すのが神経を使うのだ。


「ルシアン様、休憩は終わりです。今日はこの後、面談があるので、これ以上は私のパフォーマンスが落ちます」

「それはいけないね。では続きはまた後で」


 ルシアンは名残惜しそうにアマリリスの真紅の髪へキスを落とし、ようやくその腕から解放された。


(今日はこの後、ルシアン様と貴族たちの予算に関する面談があるのよね……)


 アマリリスはルシアンに兄の行方を真剣に探してもらうためにも、役目をしっかり果たそうと考えている。まずはさまざまな貴族と接触して、ルシアンやフレデルト王国にとって害となる貴族たちを教えることにした。


 そのことは国王をはじめルシアンにも伝えてあるので、アマリリスが判定できるだけの機会を積極的に設けてくれるのだ。




 そうして午後から五人の貴族たちの面談にアマリリスも同席した。

 今はすでに婚約者だと周知されているので、以前ほど明確に拒絶の態度は見られない。ただ、なぜアマリリスが面談に同席するのかと警戒している様子だ。


 ひとり目はフロスト子爵家の次男、エドガー。文官として王城で勤務しており、今日は王太子の事務官へ部署異動の申請をされたので、面談することになったのだ。


「では、名前を」

「エドガー・フロストと申します。本日は面談のお時間をいただき誠にありがとうございます」


 ルシアンの問いかけにエドガーは澱みなく答える。アマリリスはエドガーの挙動をジッと見つめた。

 挨拶の後に唇を舐めて、膝の上で拳を作っていることからしても緊張しているのが見て取れる。瞬きが多いが、ここまでよく見られる反応だ。


「今回は僕の事務官へ異動希望を出しているけれど、理由を聞いてもいいかな?」

「はい。私は今まで財務部に在籍して経験を積んでまいりました。そこで、ルシアン殿下は事務官にも場合によっては決裁権を与えていると伺い、自分の力量を試したくなったのです」

「そう、随分やる気があるようだね」


 ここでルシアンがチラリをアマリリスへ視線を向ける。

 今のところ特に気になるところはないが、緊張しているという情報以外読み取れない。アマリリスはなにも反応しないでいると、ルシアンは次の質問へ移った。


「もし異動になったら、どの部門の担当をしてみたいか教えてくれ」

「は、はい」


 エドガーは真っ直ぐにルシアンを見つめたまま、はっきりと希望を伝える。


「できれば、復興支援の予算担当が希望です。困っている民のために直接的に関わる部門にやりがいを感じます」


 瞬きが三回連続し、いまだにエドガーの視線はルシアンから外れない。口角は上がっているものの目は笑っておらず作り笑いを浮かべている。


(……これは嘘ね。エドガー様は別に復興支援の予算担当になりたいわけではない。後半は本音みたいだけど、なぜここで嘘の希望を伝える必要があるのかしら?)


 ルシアンとエドガーの会話が途切れるのを待って、アマリリスは口を開いた。


「エドガー様。困っている民に直接関わるなら、他にも孤児院に寄付を担当する部門や治療院に関する部門もありますが、どうして復興支援を選ばれたのですか?」


 アマリリスの質問に一瞬だけエドガーは真顔に戻る。本当に驚いたようで、想定外の問いかけだったようで、すぐに笑みを浮かべた。


 しかし、わずかに瞳が左右に揺れて、唇を隠すように口を結んでいることから、この後の答えには自信がないようだ。


「それは、つい先日もブリジット領で災害が起きた時に、緊急時に困っている民の力になりたいと強く思ったのです」

「そうですか。ブリジット伯爵とは親しいのですか?」

「いえ、王城でお見かけしたりすれ違うことはありましたが、深くかかわることはありません」


 エドガーは膝の上で握った拳を開いて閉じた。わずかに手が震えているように見え、焦り、緊張、ストレスの反応が読み取れる。


 アマリリスは嘘をついているとわかっても、そこにどんな嘘が隠れているのかわからないため、より深く探るため追求の手を緩めない。


 このやり取りでルシアンの事務官決定がされるのだから、より厳しく問い詰めた。


「そうですか……おかしいですね。フロスト領とブリジット領は隣接していて、フロスト子爵が運営する商会へブリジット伯爵領でとれた魔鉱石を卸しているため友好関係にある。つい先日、妃教育でそう教わったのですが、教師が間違っていたのでしょうか?」

「……それはあくまで父と兄のことなのです。次男の私は縁がございません」

「そうですか、失礼いたしました」


 アマリリスが追求の手を止めると、エドガーはホッとするようにため息を吐いた。


(理由はおいおいルシアン様に調べてもらうとして、エドガー様の異動は見送りね。怪しすぎるわ)


 ルシアンの視線を感じたアマリリスは、にっこりと微笑む。これが面談を終えていいという、アマリリスのサインにしていた。


「エドガー、面談はここまでだ。結果は後日通達するから、下がっていいよ」

「はい。それでは失礼いたします」


 エドガーが退席すると、ルシアンは隣に座るアマリリスに身体を向けて頬杖をつく。


「リリスはなにか読み取ったみたいだね」

「はい。まずエドガー様の希望は、復興支援の部門ではありません。それにブリジット伯爵にかかわりがないというのは嘘の可能性が高いです。異動は見送った方がよろしいかと」

「あれだけの会話でそこまで読み取るなんて、さすがリリスだね」


 ルシアンはうっとりとした眼差しで見つめてくるから、アマリリスは居心地が悪くなった。こういう甘い雰囲気は全く縁がなかったので、どうしていいのかわからない。


「それは簡単です。人が嘘をつくときは必ずマイクロサインを出すので、それを見逃さないように注意深く見ているだけなのです」

「うん、それがそもそも難しいと思うよ。僕は特にリリス以外に興味ないから、読み取れる気がしないなあ」

「それでも、経験を積めばなんとなくわかるようになります」

「じゃあ、それまではじっくり教えてもらおうか」


 ルシアン様の紫水晶の瞳がギラリと光る。なぜか頷いてはいけない気がして、曖昧に微笑んだ。


「それとフロスト子爵とエドガー様、ブリジット伯爵も以前嘘をついて支援金の申請をしていたので、調査された方がよいと思います」

「わかった。それは僕が手配するよ」

「では、次の面談に進みましょう」


 そんな調子でルシアンとアマリリスは害をなす人事を避け、敵意を持つ貴族たちを炙り出していった。



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