第13話 国王の提案

 夜会の翌日、アマリリスは国王の執務室へ呼び出された。その理由は明白で、今後もルシアンに教育が必要かどうか国王が判断したということだ。


 執務室へ続く廊下を一歩一歩進んでいく。


(ここで教育が必要ないとジャッジされれば、すぐにでもテオ兄様に会いにいこう)


 東の国へ行くには王都を抜けて街道をひたすら進み、山を越えなければならない。幸い辺境伯の領地はフレデルト王国と南の国にまたがっており、山さえ越えればテオドールがいる辺境伯領となっている。


(移動に乗合馬車を使っても十日から二週間というところね。うーん、嫁ぎ先や就職先の斡旋を断って、成功報酬を金貨にしてほしいとお願いしてみようかしら)


 テオドールと合流できたら次に次兄のユアンを探したいが、そうなると結婚や仕事は逆に足枷となる。ルシアンの教育が必要ないとなれば国王陛下の機嫌が悪いことはないだろう、とアマリリスは交渉することに決めた。


「失礼いたします。国王陛下、お呼びと伺いまいり——」

「リリス、待っていたよ」

「ルシアン様……! どうしてこちらに?」


 てっきり国王陛下と話すものだと思っていたアマリリスは、ルシアンの姿もあることに面食らう。嫌な汗が背中を伝うが、ルシアンはいつも通り穏やかに微笑んでいた。


「うむ、今日の話はルシアンも同席させた方が良さそうだと判断した。そちらにかけてくれ」


 国王陛下に促されるままビロードのソファーに腰かけてから、教育を終えるならそれもまた当然の判断だと思い直す。


 王城に連行された時と同じように正面に国王陛下とルシアンが腰を下ろした。出されたお茶でカラカラになった喉を潤し、アマリリスは国王陛下の言葉を待った。


「昨夜の夜会でルシアンの行動を確認した。貴族たちと対等に渡り合い、さまざまな情報を引き出しておった。アマリリスの話題が多かったが、概ね満足のいく結果であった」

「それでは……!」


 早速の国王陛下の嬉しい言葉に、アマリリスの期待は高まる。


「だけどね、僕としてはまだリリスから学びたいことがたくさんあるし、ずっとそばにいてほしい」


 喜びも束の間、ルシアンの言葉でそう簡単には解放されないのだと思い知らされた。


 しかもルシアンは国王陛下の前で、堂々とアマリリスを愛称呼びしている。さらにそばにいてほしいと明言され、逃げ道はあるのだろうかとアマリリスは考えた。


「ルシアンの教育もさることながら、なによりも大切な女性であると聞いておる」


 どうやらルシアンが手を回したようで、すでに手遅れのようだ。


「ここまで強く女性を求めるルシアンは初めてでな。其方であれば王太子の正妃としても能力は十分だ。このまま正式な婚約を結んでもらいたい」

「…………」


 アマリリスの心は絶望に染まる。

 まさか今日、国王陛下からルシアンと婚約してほしいと言われるとは考えもしていなかった。拒絶を許さないような目に見えない圧力がかけられて、アマリリスは返事ができない。


(どうしてこうなるの……!? 王太子の婚約者なんて面倒なことしかないのよ! しかもあのサイコパス王太子の妃なんて荷が重すぎるわ!!)


 国のトップから限りなく命令に近いお願いをされて、どうやって断るか懸命に頭を働かせる。下手にこちらの情報を出してしまったら、それを逆手に取られそうでテオドールのことも迂闊に口にできない。


「恐れ入りますが、悪評がついてまわる私はルシアン様の妃にはふさわしくないと存じます」

「それも昨夜の夜会で確認したが、ルシアンが正しく情報を修正したので其方の評価がかなり変わったのだ。バックマン公爵夫人の尽力もあり、すでに問題ないと結論が出ている」

「そうだよ、リリス。なにも心配ないし、僕の教育係兼婚約者になってくれないかな? 正式な婚約者ならテオドールの入国拒否を取り消せるんだ」

「どういう……ことですか?」


 アマリリスは初めて聞いた情報に戸惑った。テオドールが入国拒否をされていたことは初耳だし、それならアマリリスに会いにこられるはずがない。


 しかし、優秀なテオドールが入国拒否されるようなことをしたとは考えにくかった。


「これは僕も今朝知ったばかりなんだけど、どうやらクレバリー侯爵が手を回したようなんだ。どうやってもエミリオに侯爵家を継がせたかったのだろうね」

「……そうですか。それなら納得ですわ」

「だけど王太子の婚約者の兄なら、それをひっくり返せる」


 ルシアンの言葉はアマリリスの心を揺さぶる。だが、この話に乗れば、もう引き返すことはできない。


「リリス」


 猛毒を含むルシアンの甘い囁きが、アマリリスを追い詰めるように言葉を紡ぐ。


「僕の婚約者になれば、テオドールもユアンもこの国に戻ってこられる。他に望みがあるなら、僕がすべて叶えるよ」

「クレバリー侯爵家の使用人たちを王城で雇っていただけますか?」

「そんなことでいいの? お安いご用だ」


 天使のように微笑む冷酷なサイコパスに、アマリリスは陥落寸前だ。兄たちと使用人たちの未来と、アマリリスの自由のどちらが重要か考えて目を閉じた。


(ルシアン様を相手に政略結婚すると思えば割り切れるだろうか。ケヴィンたちの暮らしも保証できるし、兄様たちがこの国へ戻れるなら、まったく興味がないけれど妃教育も頑張れる……か)


 そもそも貴族令嬢なので、幼い頃から家門のために嫁ぐのだと教わっている。アマリリスはようやく腹を括って、そっと目を開けた。


 ルシアンはアマリリスの答えがわかっているのか、嬉しそうに目を細め口角を上げる。手のひらで転がされて悔しい気持ちもあるが、これが最も合理的だとアマリリスは自分に言い聞かせた。


「兄たちの捜索や入国拒否の取り消しと再会、それと今現在クレバリー侯爵家で従事している使用人たちの就業先の斡旋。このふたつを満たしていただけるなら、婚約のお話をお受けいたします」

「ふふ……では交渉成立だね。リリス、嬉しいよ」


 心の底から嬉しそうにルシアンは笑みを深める。

 アマリリスの弱みにつけ込み権力を使って懐柔したルシアンだが、その表情からはいっさいの罪悪感が感じられない。他者の気持ちに共感できないサイコパスは、時として非情な手段を簡単に用いてくるのだ。


(このやり方がサイコパスらしいわね……)


 今はルシアンの執着心がアマリリスに向かっているためあの手この手で絡め取ろうとするが、興味をなくせばあっさりと解放されるはずだ。その際はまた悪評が流れるだろうけど、そんなことは今更である。


「ではリリス、こちらの書類にサインしてくれるかな? 今交渉した内容は後ほど別紙で用意するから安心してね」


 心底嬉しそうに笑みを浮かべるルシアンが、バサッと音を立てて書類をテーブルの上に置いた。以前教育係になる時はなかったが、今回は用意されている。つまりルシアンは、今回の交渉について最初から勝ちを予想していたのだ。


(はあ……いつか私に飽きて解放してくれたらいいのだけど)


 心の中でため息をついたアマリリスは、すでに用意されていた婚約の書類に苦笑いした。




     * * *




 アマリリスが去った後の国王の執務室では、今まで見たことがないほどルシアンは嬉しそうに笑みを浮かべている。幼い頃から優秀だったがどこか冷めた表情のルシアンが、唯一の女性に出会い幸せそうに笑うのを国王は父として喜ばしく思っていた。


 しかも相手は侯爵家の娘で身分も問題なく、周りの心を読み手のひらで転がすほど聡明だ。さらに使用人まで気にかける慈悲深さと、国王である自分にも怯まない豪胆さも持っている。


「ルシアン、私が手を貸せるのはここまでだ。アマリリスの心しかと掴むのだぞ」

「もちろんですよ、父上。必ずリリスの心を僕で染め上げます」




 ルシアンがアマリリスのことを父に話したのは、ダーレンが婚約破棄を告げたパーティーの三日前だった。


 それまで調査を重ねてきたアマリリスの資料と、婚約者だった令嬢の不貞の証拠を持参してきてこう言ったのだ。


『父上、僕はアマリリス・クレバリーを妻にします』

『なにを言っておる、お前はすでに婚約者が——』

『こちらは彼女の不貞の証です。王族の婚約者として不適格なので、先方の有責で婚約破棄します』


 提出された不貞の証拠を見て国王は愕然とした。信頼していた臣下の娘であったが、何年も前から他の男と通じており深い関係にあると書かれている。物的証拠も揃っており、疑いようがなかった。


『だが、アマリリスは稀代の悪女と呼ばれている。そんな令嬢では許可できんな』

『あれは演技です』

『なに? 演技だと?』


 ルシアンから幼い頃のアマリリスの立ち居振る舞いを聞き、これまでの調査報告書に目を通した国王は低い声で唸る。


『ううむ……これが事実であれば、クレバリー侯爵にもなんらかの処罰が必要だ』

『それは僕が対応します。ですがアマリリスが悪女のふりをしているというのは、ご納得いただけましたね?』

『ああ、だがアマリリスもダーレンと婚約を結んでいる。どちらにしてもお前の希望は通らないであろう』

『ダーレンは三日後のパーティーで、アマリリスに婚約破棄を告げると情報が入りました』

『ふむ……そういうことか』


 口角を上げたルシアンは、その才能を活かしアマリリスを絡めとる計画を提案してきた。まずは婚約破棄後にアマリリスの身柄を確保し婚約を打診するつもりだが、難色を示すようであれば他の方法で王城に引き止め婚約者候補とする内容だった。


『よかろう。では詳細を詰めるぞ』

『ありがとうございます。父上』


 花が咲くような笑みを浮かべ、ルシアンは作戦会議を進めていく。その様子を見た国王は密かに驚いていた。


(こんなにも誰かに固執するルシアンは初めてだ)


 なんでもそつなくこなすルシアンは穏やかではあるが、なにかに対して情熱を見せることがなかった。非情な決断もあっさりと決断し淡々と実行していく。それは為政者として必要な要素ではあるが、ルシアンの心が見えず心配もあったのだ。


(やっとルシアンの本音を聞いた気がするな……)


 人間らしいルシアンの行動に、国王として、父としてなにをしてでも応えたいと強く思う。


 こうしてアマリリスにとって理不尽な命令が下されることになった。



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