第10話 王太子は愛を乞う
ルシアンがすべて打ち明け、アマリリスがサイコパス王子だと認識してから、ますます遠慮なく口説かれるようになった。
王城に来てから二カ月経つが、今日もルシアンの執務室でふたりきりになり腹黒教育の時間なのだが、アマリリスがソファに押し倒され、ルシアンが獰猛な視線で見下ろしている。
「リリス先生。こんな風に押し倒されたらどうするの? ほら女性はか弱いから逃げられないでしょう?」
青い生地のソファに広がるアマリリスの真紅の髪を掬い上げ、ルシアンがうっとりとした様子で唇を落とした。
「私はルシアン殿下の寵愛を受けておりますが、お覚悟の上でしょうか? と返します」
「うん、さすがだね。他の貴族ならそれで引くだろうね。でも、僕はそれくらいで引かないけれど?」
「ルシアン様。私の信頼を裏切るというならお好きにどうぞ。その場合はこれから先、なにがあっても貴方様に心を開くことはありません」
ルシアンみたいなタイプには罪悪感を煽る言葉も、権力でねじ伏せるような言葉も通じない。あくまでも将来的に自分の利益にならない、むしろ損失しかないと思わせないと動いてはくれないのだ。
「……はあ、やっぱりリリス先生には敵わないね。僕は貴女のすべてが欲しいのに、その心が手に入らないなら我慢するしかないよ」
そう言って、ルシアンはようやくアマリリスの上から身体を退ける。何食わぬ顔で起き上がり、アマリリスは乱れた髪を直しながら心の中で絶叫した。
(ちょっと! どうして毎回こんな甘ったるい空気になるのよ!? ねえ、腹黒教育を受けるのでしょう!? ていうか、ルシアン様に腹黒教育なんて必要ある!? ないわよね!?)
そこでアマリリスが気が付いた。
(そうだわ、もう終了認定すればいいのでは……!?)
最近ではルシアンの教育というより、ふたりきりになったらアマリリスが口説かれているだけなのだ。ルシアンは腹黒になる必要はなく、サイコパスのままで十分にやっていける。
そうであれば、国王にそのことを認めさせ早々に教育係を引退すればいい。嫁ぎ先だって、クレバリー侯爵家の使用人の働き口を紹介してくれて、兄を探させてもらえるところならどこでも構わないのだ。
「ルシアン様。次は夜会へ参加しましょう」
「夜会へ? ふうん、リリス先生のエスコートができるならそれもいいね」
「それでは国王陛下へ参加できる夜会がないか尋ねてみますわ」
「それくらい僕の方で準備するよ?」
「いいえ、教育係として最善の夜会を吟味したいので、私が決定いたします。よろしいですわね?」
「そう、リリス先生がそこまで言うなら」
そう言って、ルシアンはふわりと笑みを浮かべる。
アマリリスは教育係の権限を使って、どの夜会に参加するか国王と交渉する機会を得た。これでルシアンには内密に、終了判定するための準備を進めてもらうよう国王に依頼できる。
(これで私の教育係生活もあとわずかだわ……!)
ルシアンの教育について相談があると国王に伝言を頼んだ数日後、あっさりと謁見することになった。アマリリスはこのチャンスをものにするべく気合十分である。
「今日は父上との謁見でしょう? リリス先生は緊張していない?」
「ルシアン様、ご心配いただきありがとうございます。緊張などしておりませんわ。それよりもこんなにピッタリと寄り添う必要はないと思うのですが」
謁見は夕方であったため、ルシアンへ午後の授業を済ませてから国王の執務室へ向かう予定だ。この日もルシアンに女性の躱し方を教えてほしいと頼まれ、散々密着しながら指導していた。
「どうして? 僕の隣は居心地が悪い?」
「このようにがっちりと腰を掴まれると、身動きが取れませんので不自由ですわ」
アマリリスはルシアンの微細な表情も見逃さないようにしているが、読み取れるのはただただハチミツみたいに甘い愛情表現ばかりだ。
これが慕っている相手なら言うことはないのだが、あいにくアマリリスの真の目的は別のところにある。むしろルシアンの愛情の深さや執着を知って、逃げ出したい気持ちがますます強くなっていた。
「んー、それなら僕にご褒美をくれる?」
「ご褒美ですか……?」
「そう、ここまで結構頑張ったよね? リリス先生がご褒美をくれたら、父上との謁見の間おとなしく待っているから」
ルシアンの言うご褒美とはどんなものなのか、安易に頷いてはいけないことだけはわかる。アメジストの瞳は楽しげに細められ、醸し出す色気が半端ない。その辺のご令嬢なら一も二もなく目を閉じるだろう。
「内容によりますわ。どのようなご褒美がほしいのですか?」
「ふふ、そうだなあ……ほんの少しだけ目を閉じてくれる?」
アマリリスはルシアンの提案がそこはかとなく胡散臭く感じた。目を閉じたらなにをされるかわかったのもではない。そんな危険な行動を受け入れるつもりないのだ。
「……お断りします」
「ええ、どうして? 一瞬で終わるけど」
「その一瞬が命取りのような気がします」
「ふはははっ! さすがリリス先生だね。キスしようと思ったのに引っかかってくれないか」
思い通りにならなくてもそれすら楽しいとルシアンは笑う。ルシアンにだけは隙を見せたらダメだと、アマリリスは心の底から思った。
「それでは、そろそろ時間なので失礼いたしますわ」
「はあ、残念だな」
アマリリスは国王陛下へ謁見するためソファーから立ち上がり、扉に向かって歩き出した。
「あ、リリス先生、ちょっと待って。忘れ物だよ」
なんだろうと思って振り向くと、腕を掴まれ眼前にルシアンの美貌が迫っていた。突然のことで固まって動けないアマリリスの唇の端を、柔らかなルシアンの唇が掠めていく。
「うーん、唇を狙ったのに。リリス、わざと避けたの?」
「ち、違いますが、不意打ちは卑怯です!」
「卑怯でもなんでも、リリスが僕を男として見てくれるならどんなことでもするよ」
いつものふんわりした雰囲気はどこへ行ったのか、アマリリスに愛を乞うルシアンになにも反応できない。
あまりにも真っ直ぐで、あまりにも切なげで、あまりにも真剣で——。
(もう! 他にもっと素敵なご令嬢がたくさんいるじゃない! どうして私なんか……)
アマリリスがルシアンの婚約者になったとしても、クレバリー侯爵家の後ろ盾など期待できない。遅かれ早かれ没落する家門だ。母方の親族も没交渉でそちらに頼ることもできない。
たとえどんなにルシアンに望まれたとしても、アマリリスが王太子妃としてふさわしくないのは明白だった。
「時間ですので、失礼いたします」
そんな思考ごと振り切るように、ルシアンの執務室を後にした。
気持ちを切り替えて、アマリリスは国王陛下の執務室へやってきた。
「我がフレデルトの揺るぎなき太陽。本日はお時間をいただき誠に光栄でございます」
「今後、堅苦しい挨拶はしなくてよい。アマリリスにはルシアンが世話になっている。それでルシアンについて相談があるそうだな?」
「ありがとうございます。はい、ルシアン殿下の教育についてお話がございます」
「なんだ?」
多忙な国王の時間を無駄に使わないよう、アマリリスはズバッと核心に切り込む。王家の色でもあるロイヤルパープルの瞳は、威厳を放ちながらアマリリスを射貫くように見つめていた。
「ルシアン殿下の腹黒教育でございますが、聡明で計算に長けたお方であり、相手の腹の中を読まなくても、状況に合わせて的確な指示や行動を取ることができます。よって、これ以上お教えすることがございません」
「うむ、それは私もわかっておる。能力は問題ないのだが、やはり多少腹の内を読めなければなるまい」
「いいえ、国王陛下。ルシアン殿下には為政者として類稀なる才能がございます。それは目的のためなら他者に対しても非情な決断ができ、常にフレデルト王国のために最善の行動をとれるのです」
アマリリスはルシアンがサイコパスであることを濁しつつ、その手腕が素晴らしいと褒めちぎった。今はアマリリスに執着しているが、それをフレデルト王国に挿げ替えたらこの国はとんでもなく発展するだろう。
それにアマリリスが言ったことは嘘ではない。為政者として決断を迫られた時に、感情に揺さぶられないメンタルは非常に強力な武器となる。
今まで周囲から評価を得ていたところを見ても、ルシアンであれば問題なく国政をおこなえるとアマリリスは判断したのだ。
「ふむ。ではその証を見せてもらおうか」
「では、その証をお見せしたら、教育係の任は解いていただけますか?」
「よかろう」
「ありがとうございます。しかとその証をお見せいたします」
アマリリスは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます