第9話 サイコパス王子

 ——サイコパス王太子。


 アマリリスの中でルシアンはそう定義づけられている。ただしアマリリスはあくまでも書物を読んで身につけた知識なので、医師のように正確な診断ができるほど経験を積んでいない。


 しかも相手は王太子ということもあり、簡単に相談できる内容でもないのだ。初日の態度を思い出す限り、国王陛下もルシアンがサイコパスだとは考えていないだろうとアマリリスは予想する。


 本で読んだ対処法としては、サイコパスが執着している人間に裏切られたと思ったら途端に冷酷で残忍な敵意を向けるので、適度な距離を保つのがベストということだ。


 それゆえ先日提案された、ルシアンの婚約者になる代わりに兄たちを探してもらうというのも素直に頷けない。ルシアンの婚約者になってしまったら、きっと戻ることはできないだろう。


 それでもいいと思うほどルシアンに気持ちがあればいいが、あいにくそこまでの感情もないし、アマリリスは王太子妃になりたいと思ってもいない。貴族にすら執着がないのだから、面倒ごとはむしろ避けたいのだ。


 だからアマリリスはルシアンのことを注意深く観察し続けた。王城に来てから一カ月が経つが、今のところ特にアマリリスからはルシアンに気のある素振りは見せていない。

 このままの距離感を保ちつつ、お役目を果たしてさっさと隣国へ逃げるのが一番ではとアマリリスは考えている。


「リリス先生、今日はどんなことを教えてくれるのかな?」

「本日は趣向を変えまして、相手の反応も含めてこう考えているという考察をお教えします」

「なるほど、僕の場合はそのように教えてもらえるとわかりやすいな。さすがリリス先生だね」


 朗らかな笑みを浮かべてルシアンはアマリリスを見つめる。紫水晶の瞳にはありありと恋情が浮かび、熱のこもった視線をアマリリスに向けていた。


(いつの間にか私のことを愛称呼びしているわ……着々と距離を詰められている気がするわね)


 クレバリー侯爵家の没落といい、ルシアン様の執着といい、アマリリスがのんびりしている暇はなさそうだ。

 しかもルシアンはとても魅力的な容姿で、いつも朗らかに笑顔を浮かべ、アマリリスにだけ強烈な愛情表現をしてくる。


 これを続けられたら、うっかり気持ちが傾いてしまうかもしれない。思えば婚約破棄された日の王命がアマリリスの人生で一番理不尽だったと、ここで気が付いた。


 アマリリスは冷静に受け止めるきっかけが欲しくて、まずは事の始まりを聞いてみる。


「ひとつ質問をしてもよろしいですか?」

「ふふ、僕に興味を持ってくれたの? 嬉しいなあ。なんでも聞いて」

「……どうして私なのですか? 他にも見目麗しく貞淑なご令嬢はたくさんおりましたでしょう?」


 きょとんとしたルシアンは、ふんわりと微笑んでアマリリスとの出会いを語り始めた。




     * * *




 アマリリスと出会ったのは十年前、ルシアンが十三歳の時だった。


 すでに立太子を済ませたルシアンは、どこへ行ってもご令嬢や貴族たちに囲まれていた。それでも教えてもらった通りの反応を返して、つまらない時間を淡々と過ごした。


 生まれてからルシアンがなにかを欲しいと思ったことがない。腹が減れば食事はするが、それだって満腹になるならなんでもよかった。


 幸いふたりの姉にもかわいがられ、自分がどう振る舞えば周りが喜ぶのか理解している。そうしておけばさらにかわいがられ、ルシアンのプラスになると計算していた。


 そんなルシアンがある日、従弟のダーレンの婚約者が決まったということでお茶会に呼ばれた。その日も群がる令嬢たちに笑みを返して、ルシアンにとっては無意な時間を過ごしていたのだ。


 そんなルシアンを巡って、ご令嬢たちが争いを始めた。どちらがルシアンにふさわしいだとか意味のわかないことを言っていて、ルシアンは面倒な気持ちでいっぱいだ。


 そこに現れたのが、真紅の髪をなびかせた少女だった。琥珀色の大きな瞳は午後の太陽の光を受けてキラキラと輝いている。射貫くような真っ直ぐな視線から目を逸らせなかった。


『貴女たち、こんなところで言い争いなんてはしたないわよ。ルシアン殿下がお困りでしょう』

『でも、この子がわたしのことを馬鹿にしたのよ!』

『なによ、あんただってわたしを邪魔者だって言ったでしょ!』


 赤髪の少女は凛とした佇まいで、鈴を転がすような声で毒を吐く。


『……私からしたら、おふたりとも面倒なご令嬢としか思えませんわ。この場にふさわしくない行動をして恥ずかしくないの?』


 大輪の花のように可憐な見た目なのに、同年代の子供とは思えない毒舌。そのギャップが鮮烈で、苛烈で、ルシアンの心の奥深くまで入り込んでいく。


 その言葉で言い争っていたご令嬢たちはハッと我に返り、急におとなしくなった。少女が集まっていた令嬢たちに視線を向けると、みんなバラバラと離れていく。やっと静かになって、ルシアンは残った少女に声をかけた。


『ありがとう。どうしていいかわからなくて、助かったよ』

『いえ、突然割り込んで申し訳ありません。その、今後のことを考えて私が悪者になった方がいいと思い口を挟みました』

『今後のこと?』

『はい、ルシアン殿下はこれから婚約者をお決めになるのですから、ご令嬢と揉めない方がいいと考えたのです』


 ルシアンは驚いた。自分より少し幼く見える少女が、この国の王太子の婚約者について考慮した上で喧嘩の仲裁に入ったというのだ。


(——欲しい。僕はこの子が、欲しい)


 ルシアンは目の前の少女が欲しいと思った。

 生まれて初めて渇望した。


 炎のような真紅の髪も、すべてを見透かすような琥珀色の瞳も。花よりも艶やかな美貌も。すべて自分のものにしたいと、ルシアンは思った。


『君の名前は?』

『申し遅れました、私はアマリリス・クレバリーと申します』


 そう言ってカーテシーをするアマリリスは、実に優雅で繊細な所作でルシアンの視線を独占する。そこへこのお茶会の主役でもある従弟のダーレンがやってきた。


『アマリリス! こんなところにいたのか……あ、ルシアン殿下もおいででしたか! ちょうどよかった』


 ダーレンは屈託のない笑顔で、アマリリスの手を取り言葉を続ける。アマリリスはほんのりと頬を染めて恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


『クレバリー侯爵家の第三子アマリリス。この子が私の婚約者です』


 ルシアンの初恋と呼ぶには重すぎる気持ちは、一瞬で悲恋に変わり果てる。


 いっそのことダーレンから婚約者を奪うことも考えたが、アマリリスの恥ずかしそうな嬉しそうな笑顔が脳裏から離れなくて、強引なことはできなかった。そうこうしているうちに国王に言われ、ルシアンも婚約を結ぶことになったのだ。


(アマリリスが相手でないなら、誰でも変わらないし……どうでもいい)


 それでもアマリリスがどんな様子なのか気になって仕方なく、こっそりと調べていたのだ。その情報が十年後に役に立つとは、当時のルシアンは思っていなかった。




    * * *




「元婚約者のご令嬢になにか思うところはなかったのですか?」

「うーん、相手には悪いなとは思ったけれど、王太子だから婚約者は絶対必要だし。でも、どうしてもリリス以外を好きになれなくて。だから浮気してても目をつぶっていたんだよ」

「ではそのまま目をつぶっていてもよかったのでは?」

「リリスが婚約破棄されると情報を掴んだから、もう無視できなくなったんだよね」


 アマリリスの罪悪感を煽るように、ルシアンは言葉を選んで紡いでいく。


「リリスは僕に対して責任を取る必要があると思うんだ。だからずっと僕のそばにいてくれるよね?」

「いえ、まったくもって責任はないと思います」

「うーん、手強いな。まあ、そんなところも魅力的だけれど」


 ルシアンはアマリリスを手放す気などない。一度あきらめた宝をなにがなんでも手に入れたい。本当はもっと後で気持ちを伝えるつもりだったけれど、こらえきれなくて打ち明けてしまった。それほどアマリリスを深く想っている。


(もう十年も待っているから、あと二、三年くらいどうってことない。僕なしではいられないほど心を掴んだら、きっと閉じ込めても泣かないよね……?)


 アマリリスを独り占めしたいがゆえ、誰にも会わせないよう閉じ込めておきたい。さすがにそんな狂愛を披露するにはまだ早いとわかっているので、ルシアンはそっと胸の内でこいねがった。


(ああ、早く僕に堕ちてこないかな……僕しか見えないくらい甘やかして、アマリリスが溶けるほど愛したいな……)


 ルシアンがそんな危険な妄想をしているとは知らないアマリリスは、腹黒教育を早々に終わらせるため、次の段階へ進むことにした。



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