第6話 アマリリスの本気

 アマリリスはルシアンの教育手順について考えを改めた。


 嘘を見抜くのは、ある程度貴族特有の嫌味な言い回しに慣れてからの方がいいかもしれない。今までのやり方で政務は問題なく進んでいるようだし、嫌味が理解できれば言葉の裏を読み取れるようになる。


 それから嘘の見破り方を教えた方が効率がよさそうだ。それまではアマリリスが防波堤になればいい。つくづく損な役回りだが、そこは事務官に言って給金の交渉をすることにした。お金はいくらあっても困ることはない。


 そこでルシアンが呼ばれているお茶会のパートナーとして、一緒に参加することにした。アマリリスが一緒にいれば間違いなく嫌味な貴族言葉が聞けるので、ルシアンにとってもいい勉強になるはずだ。


 幸いにも二週間後にお茶会の予定があったので、アマリリスも同行することに決めた。


「アマリリス先生、ふたりでお茶会に参加するのは初めてだね」


 お茶会の会場へ向かう馬車の中で、アマリリスとルシアンは向かい合わせで座っている。お互いに色やデザインを揃えた衣装を身にまとい、はたから見れば仲のいい婚約者のようだ。


 ちなみにこの衣装は、最初からアマリリスの部屋のクローゼットに入っていた。ルシアンの用意周到さには感心するばかりである。


「ええ、そうですね。ルシアン様と一緒にお茶会へ参加するのは初めてですが、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 本当に嬉しそうに薄紫の瞳を細めるルシアンの笑顔は眩しい。アマリリスより三歳上のはずなのに、ルシアンの笑顔を見ているとなぜか庇護欲をそそられる。


 簡単な打ち合わせも終わり、馬車は会場となっているバックマン公爵家へ到着した。


 今日の目的はふたつある。アマリリスの悪評を払拭し、ルシアンの評価を上げること。もうひとつは貴族特有の毒のある言い回しの真意を、ルシアンに理解してもらうことだ。


(さて、それでは本気を出しましょうか)


 この瞬間からアマリリスはつま先から頭のてっぺんまで神経を張り巡らせ、自身の行動や仕草で与える印象を操作していく。


 すでに傲慢で最低な稀代の悪女と浸透している場合、さほど難しいことはない。貞淑な淑女の振る舞いをするだけで、そのギャップによって好印象を植え付けられる。


 わかりやすいのはいかつい強面の荒くれ者が、弱っている子猫を助けた時だ。見た目やイメージと反する行動を取ることによって、大きな効果を生むのだ。


 嬉しそうにエスコートするルシアンの右腕にアマリリスが手を添えて会場に入ると、一斉に視線が集中する。最大の効果を出すためには、わずかなミスも許されない。


「我がフレデルトの若き獅子。本日は私の茶会へお越しいただき光栄の至りでございます。どうかゆるりとお過ごしくださいませ」

「バックマン公爵夫人、お招きいただき感謝いたします。本日は婚約者候補のアマリリスもパートナーとして連れてまいりました」


 こんな風にルシアンがアマリリスを紹介すれば、バックマン公爵夫人は無視することができない。一瞬だけ鼻に皺が寄り、上唇がピクリと動く。


 アマリリスはこの反応を見て、やはり自分を嫌悪していると実感した。貴族の鑑のようなバックマン公爵夫人はほとんど感情を顔に出さないが、無意識で出てしまう反応は隠しきれない。


「……そのようでございますね。アマリリス嬢、お久しぶりね」

「ご無沙汰しておりました、バックマン公爵夫人。お元気そうなお顔が見られてとても嬉しく思います」


 アマリリスはバックマン公爵夫人の性格を把握していた。

 彼女は真面目で面倒見のいい性格だ。今はパーティーでのアマリリスの言動に対して、懇意にしていたのに裏切られたと嫌悪感を抱いている。


 だからまずはこちらからの好意を見せて、悪意を向けにくくする。真面目なバックマン公爵夫人にはより効果抜群だ。


「そ……そう。ではお席にご案内いたしますわ」


 バツが悪くなったバックマン公爵夫人は、アマリリスとルシアンを庭園へと先導する。会場に入るとルシアンは貴族たちに囲まれ、擦り寄る言葉を浴びせられた。一方アマリリスには、侮蔑の視線を送ってくるのだから器用なものだ。


「それにしても、どうして稀代の悪女が婚約者候補になどなっているのかしら?」

「そうよね、ルシアン殿下のパートナーなど悪女にこなせるわけがないでしょう」

「クレバリー侯爵からはなにも聞いておらんぞ。どうやってルシアン殿下をたぶらかしたのだ?」


 遠慮のない悪意がアマリリスに向けられる。ルシアンがアマリリスに騙されていると決めつけ、果敢に攻めてくる勇気は認めたいが、ルシアンの前でパートナーを貶めるのは悪手だ。今回は勉強も兼ねているので大歓迎ではあるが。


 アマリリスは困ったように眉を八の字に下げて、優雅に儚く微笑みを浮かべる。


「実は、従妹であるロベリアとダーレン様は密かに心を通わせていたのですが、私の存在があったため結ばれることができなかったのです。そこで一計を案じ、悪女のふりをして身を引いたのです」

「そんなでたらめを……!」

「信じられないわ」


 アマリリスの発言を信じがたい貴族たちに、わずかな動揺が広がる。実際に今日のアマリリスの立ち居振る舞いは完璧で、悪女の素振りは微塵も感じられないからだ。


「それは本当だよ。しっかりと調査した結果、間違いない事実だ。僕も婚約破棄したばかりだったけど、アマリリス嬢の献身に心を打たれて婚約者候補にと打診したんだ」


 ルシアンがベストタイミングで援護射撃を打ってくれる。王族の調査で間違いないと言われれば、認めざるを得ないし事実で違いない。アマリリスだって、なにひとつ嘘はついていない。


「……それが事実なの?」


 ポツリと聞こえた声は、バックマン公爵夫人のものだ。

 頬が隆起して口角が下がり、眉を寄せている。読み取れる感情は強い後悔。ずっとかわいがってきた息子の婚約者を信じきれなかった自分に対する怒り。アマリリスの状況を理解してやれなかった悔しさ。


 高潔なバックマン公爵夫人だからこそ、ここで罪悪感を煽れば完全に味方になるとアマリリスは読む。


「はい。バックマン公爵夫人を騙すようでずっと心苦しかったのですが……やっと本当のことを言えました。たとえどんなに蔑まれようと、お慕いしたダーレン様とロベリアには幸せになってもらいたかったのです。どうかあのふたりをお認めください」

「ああ、アマリリス……! 貴女はなんて健気なの……!」


 アマリリスの完全勝利が確定した瞬間だった。



 それでも嫌味を言ってくる貴族がすぐにいなくなるわけではない。


 しかしアマリリスの悪女が演技であったことが広まれば、真実を見抜いた王太子としてルシアンの評判は上がるだろう。伯父の立ち回り次第ではクレバリー侯爵家の評判も下がるし、ダーレンとロベリアについては不貞の噂がついてまわる。


 その後も嫌味を言ってくる貴族たちをあしらい、ルシアンに嫌みと切り返し方を実践で見せていく。素直すぎるが飲み込みの早いルシアンなら、今日のお茶会からもなにか学び取っているだろう。


(ふふ……これでいいわ)


 アマリリスには才能があった。


 もともと三兄弟の中でも桁違いに頭脳明晰で口が達者な上、抜群の行動力があり、目的のためには手段を選ばない冷酷さも持っている。そんな悪女としての才能があった。


 誰をも魅了する美しい容姿もあいまって、儚げに微笑みを浮かべれば妖精だと、傲慢に振る舞えば稀代の悪女として名を馳せる。


 最初からアマリリスへの態度が変わらないのはルシアンだけだったが、彼も非凡な才能の持ち主だ。貴族の事細かな情報をすべて把握し、瞬時に必要な計算ができる。国中の貴族令嬢を魅了する美貌で、いつも朗らかに微笑んでいた。

 

 きっとルシアンが腹黒教育を終えれば、誰よりも国を豊かに導く王になることだろう。


(さっさと教育係のお役目を果たして、使用人たちの受け皿と兄様たちを探しましょう)


 アマリリスはその決意を胸に、ルシアンと帰路に就いた。そして翌日からマンツーマンで教育をする計画を立てたのだった。



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