第7話 明らかになった本性
「それではルシアン様、しばらくはマンツーマンで授業をいたしますわ」
「うん、よろしく。アマリリス先生」
アマリリスは昨日お茶会で聞いた嫌味な言い方を例にとって、ルシアンへ教えることにした。実践に近い情報の方が理解が早いと考えたからだ。
表情や仕草に関する情報は置いておいて、厳選した貴族たちのセリフを思い浮かべる。
「これから私がルシアン様に貴族特有の言い回しをしますので、昨日の私の切り返しを思い出しながら答えていただけますか?」
「わかった。昨日のことなら鮮明に覚えているからやってみるよ」
ひと息置いてから、アマリリスは自身に向けられた悪意の言葉をルシアン用に変換して言い放つ。
「ルシアン様。王太子のお仕事が大変なら、しばらくお休みになられた方がよろしいのではなくて? 臣下に任せてもなにも問題ないものでございましょう?」
(意訳:お前如きでは今の仕事はこなせないのだから、もっと優秀な部下に任せて引っ込んでいろ)
アマリリスは昨日、婚約者候補など不相応だから引っ込めと言われたのだ。そこで『私もそうしたいのは山々ですが、ルシアン殿下が許可してくださらないのです』と言い返した。王族の判断に文句があるのかと暗に伝え、アマリリスがルシアンに溺愛されていると勘違いさせる発言であった。
さて、ルシアンはどう返すのかとアマリリスは透き通る紫の瞳を見つめる。
「……そうか、そうだね。僕のことを心配してくれてありがとう。それでは早速休暇を取るよ。こんなに心配してくれる君にすべて任せてもいいだろうか?」
「ルシアン様。残念ながら今のは十点ですわ」
「ええ、そうかな? 僕の仕事を代わってもらうのはいいアイデアだと思ったのに……」
「ルシアン様がこなされている仕事をやらせるのは、相手に現実を突きつける方法としてはよろしいですが、政務に対してリスクを負うことになります。進言した相手が有能とは限りませんので」
「うーん、なかなか難しいね」
こうしたことを何度も繰り返し、ルシアンにアマリリスの考え方を刷り込んでいくしかない。実践形式で見本を示し間違いを指摘するのが、一番早く成長していく。
「次の問題です。いつの間に新しい婚約者候補と懇意になられたのですか? つい先日婚約破棄されたばかりだというのに、随分行動がお早いのですね」
(意訳:まさかお前、婚約破棄の前から不貞を働いていたんじゃあるまいな?)
これに対して、ルシアンは朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「それはアマリリス先生が婚約破棄されたその日のうちに捕まえたんだ。彼女の悪女の演技が素晴らしくてね。誰にも渡したくなかった」
「いいですね、これなら及第点です。改善の余地はありますが、事実とも異なっておりませんし相手に婚約者候補の正当性も言及できています」
「アマリリス先生に褒められると、やる気が出るね! 次の問題も頼むよ」
ルシアンは嬉しそうに紫水晶の瞳を細める。よほど嬉しいのか頬までうっすら染め上げて、貴族令嬢がいたら卒倒しそうな色気が漂っていた。
アマリリスはそんなルシアンに多少はドキドキとしたものの、すぐに平静を取り戻す。
「では次です。婚約者候補でしかない女と揃いの衣装など、ルシアン殿下の株を下げるだけですわ。若く気高い獅子にふさわしいのは高貴なロイヤルパープルです。私ならどんな色でも着こなしますのに」
(意訳:どこの馬の骨かもしれない女などルシアン様に不釣り合いなので、私を婚約者にしてください)
この台詞に、一瞬でルシアンから凍てつくような視線が放たれる。
「悪いけれど、人を見る目はあるから、僕の選定に間違いはない。アマリリスほど王家のロイヤルパープルが似合う女性はいないよ。それに——」
ルシアンはアマリリスの真紅の髪を掬い上げて、そっとキスを落として続ける。
「アマリリスに騙されて翻弄されるなら、それも本望だ」
予想以上のルシアンの迫真の演技に、アマリリスは反応が遅れた。
微細の表情を読み取っても、その言葉に嘘は見られない。薄紫の瞳に揺れている感情は、今までアマリリスが触れたことがないものだ。
アマリリスが嘘か真か判断がつかないことなど、そうそうない。そんなアマリリスでも今のは一瞬真実なのではと思うほどだった。
しかし腹黒教育のためにここにいるのだから、そのお役目をしっかりと果たさなければと気持ちを切り替える。
「ルシアン様。今の答えは素晴らしいと思いますが、いささか刺激が強いようでございます。使い所を選びますわね」
「そっか。やりすぎはよくないね。でもアマリリス先生が相手だと、調整が難しいな……」
アマリリスの言葉で、ルシアンはいつもの朗らかな笑顔に戻った。内心でホッとしながら、ルシアンに疑問を投げかけた。
「ルシアン殿下なら、今のままでも治世に影響がないように思いますが、どうしてここまでして腹黒になりたいのですか?」
「ああ、それはね。姉上たちのためなんだ」
「第一王女レイラ様と第二王女マリアーネ様ですね。フレデルト王国のために他国へ嫁がれたと聞いております」
「うん、祖国から遠く離れた異国で頑張る姉上たちの後ろ盾として、盤石の地位を築きたいんだ」
視線を落としてポツポツと話すルシアンに、アマリリスは自分を重ねて見てしまった。
アマリリスにもかわいがってくれたふたりの兄がいる。問答無用で引き離されたが、いまだに兄に会いたい気持ちが燻っていた。
「貴族の腹の中も読めない僕だけど……笑ってしまうよね?」
「いいえ」
アマリリスは即答した。
「ルシアン様の姉を思う気持ちを笑うわけありません。私にも兄がいて、他国へ養子に出されてから会えておりませんが……それでも兄を慕う気持ちは消えませんもの。ルシアン様の気持ちもお察しいたします」
「アマリリス先生……ありがとう」
ふんわりと微笑むルシアン様は、それは見惚れるような美しさだった。アマリリスはますます腹黒教育に力を入れようと決意を固める。
「そうだ、もしよかったら、僕がアマリリス先生の兄君を探そうか?」
「え……? ですが、すでに報酬は十分いただける契約になっております」
「それなら、報酬に見合った働きをすればいい」
ルシアンの言っていることは理解できるが、アマリリスに腹黒教育以外で差し出せるものがない。クレバリー侯爵家は伯父のものだし、財産と呼べるものもない。
唯一差し出せるとしたら身体くらいしかないが、ルシアンは王太子で醜聞を嫌うから、そういう提案をしてくるとは考えにくい。
「腹黒教育の他に差し出せるものなどございません」
「あるでしょう? 最高の宝物が」
「……? いったいなんのことでしょうか?」
いくら考えてもわからないアマリリスを、ルシアンはうっとりするような微笑みを浮かべて抱き寄せる。
突然の抱擁にアマリリスは思考が停止して、なにも反応できない。
「僕は、ずっと前から君が欲しかったと言ったでしょう?」
確かにルシアンは王城に来た日にそう言った。
「だけど、あれは悪い男の演技をしようとしたのではないですか?」
アマリリスはカラカラの喉を上下に動かす。あの時だって嘘をついている様子はなかった。
(もしかしてルシアン様の美貌に目が眩んで見逃した……? いや、そんなことはない。もう癖になるほど、表情を読み取るのは身についているもの)
「どちらかというと、悪い男の演技をしたとごまかした感じかな」
「どうして……そんなこと……」
「どうしてって、君を手に入れたかったからに決まってる」
アマリリスはルシアンの言っていることが理解できなかった。手に入れたければ、正面から申し出るものではないのかと、疑問しか浮かんでこない。
「ふふっ、君は初めて僕と父上に会った時に一瞬だけ拒絶反応を示したんだ」
「え……?」
「このままでは君の気持ちを掴めないと思ったから、ずっと教育係としてそばにいてもらえるようにしたんだ」
アマリリスの頭の中にコマ送りで謁見の時の場面が蘇る。確かに予定が狂ったから、嫌だと思う気持ちが出てしまっていたかもしれない。
「ですが、教育係になれと命令されたのは国王陛下でした」
「うん、アマリリスの反応次第であの場で婚約を申し込むのか、教育係になってもらうのか決めることになっていたんだよ。拒否反応がなければ、僕が先に話しかけてプロポーズする手筈だった」
「だから書類ができていなかった……?」
「その通りだよ」
ルシアンはニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。この場にそぐわない笑みに、アマリリスの背中に嫌な汗が伝った。
「あの、ひとつ質問ですが」
「なに? なんでも聞いて」
「ルシアン様は、他人の心が読み取れるのですか?」
「あ、それは本当にわからないんだ。というか興味がないんだよね。必要だから笑顔でいるし、状況によって悲しそうなふりもできるけれど」
ルシアンは状況に応じて相手の望む反応を返しているだけで、他人に興味がないとアマリリスは初めて理解した。
それなのにアマリリスには手の込んだことをして、ルシアンのものにしようとするくらい強く執着している。
「では、なぜ私に固執しているのでしょうか?」
「それは——僕が君を欲しいと思った……から?」
アマリリスはクレバリー侯爵家の図書室で読んだ、膨大な書物の記憶を漁った。こういった人間の特徴に心当たりがあったのだ。
(共感性に欠け、自己中心的な思考をするが、とても魅力的で社会的地位が高い場合が多い——サイコパス)
もし、そうだとしたら。自分はここから抜け出すことができるのか。
アマリリスは、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
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