第5話 ルシアンの実力

 翌朝、いつもより早く目覚めたアマリリスは、長年の習慣から自分で身支度を整えた。さすがに王城で用意されたベッドだけあって寝心地は抜群だった。


 昨日、アマリリスはクレバリー侯爵家から西の馬車乗り場まで、かなりの距離を歩いたのにすっかり疲れが取れている。


 伯父が来て以来、ゆっくりと湯船に入れなかったが、メイドが用意してくれたので思いっ切り足を伸ばしてくつろいだ。


 そんな幸せな時間を過ごしてぐっすりと眠れたので、今日は調子もいい。髪をまとめようとしたところで、昨日から世話をしてもらうことになったメイド、ジーナがやってきた。


 アマリリスが準備を済ませていたのを見て、血相を変えて駆け寄ってくる。


「アマリリス様っ! 私が! 私がお手伝いをさせていただきますので、どうか……!」

「あ……ごめんなさい。ジーナの仕事を奪ってしまったわね。それなら髪をお願いできる?」

「もちろんです! ですが、あの、もうひとつルシアン殿下より仰せつかっていることがありまして……」

「そうなの?」


 ジーナがクローゼットを開けると、そこには色とりどりのドレスが掛けられていた。カラーは淡いパープルやレモンイエローなどが多く、王族の妃たちが好んで着る色ばかりだ。


「あの、こちらのドレスをアマリリス様に着ていただくようにとのことです」

「そ、そう……」


 ここにあるドレスを着てルシアンの隣に立ったなら、あっという間に貴族たちの話のネタになるだろう。


(まあ、それも込みで引き受けたのだからいいけれど)


 昨日のうちに事務官から教育係の給金や勤務について、簡単に説明を受けたので納得はしている。こういった面倒事も含めての金額設定になっていた。しかもお役目を果たした暁には、希望の嫁ぎ先も紹介してくれるのだ。


 アマリリスはクレバリー家の使用人たちのことも考え、早々にルシアンに教育を施して受け皿を用意すると決意する。


 理解ある嫁ぎ先を用意してもらうか、または仕事先を斡旋できるような職場を紹介してもらうか、とにかくクレバリー侯爵家が没落する前になんとかしたい。そして、できることならお金を貯めて兄を探したいと考えていた。


(時間との勝負ね……幸いルシアン殿下は優秀だし、なんとかなるでしょう)


 その考えが誤りだと気付くのは、わずか一時間のことである。





 ルシアンが部屋まで迎えにきて、そのまま執務室へと案内してくれた。

 案内の途中、本日の予定を聞き出し、アマリリスはまずは様子見していたのだが——


「ルシアン殿下、こちらの申請は我が領地からのものでございます。先月の大雨によって交通の要である橋が壊れ、早急に修繕が必要ですが、小麦畑も被害を受けておりまして助成金の追加をお願いしたく存じます」


 南方の領地を治めるブリジット伯爵は、そう言いながら両手をお腹の前で組んでいる。時折、首元のクラバットを緩めながら、ルシアンに助成金の援助を申し出た。


 ブリジット伯爵領は広大な小麦畑を所有し、王国だけでなく隣接国にも輸出して経済状況は潤っている。


「そうか……それは早急に復旧が必要だね。わかった、僕から話を通しておくよ」

「ありがとうございます! それでは失礼いたします!」


 そう言って嬉しそうな顔でブリジット伯爵は出ていった。ルシアンは処理を指示して事務官に渡して次の面会を促す。


 橋が壊れ流通が滞れば確かに問題だが、助成金を捻出するほどなのかとアマリリスは疑問だった。


 実際にブリジット伯爵は話をしながら手のひらを隠し、『領地から』と『橋が壊れ』の部分で首元のクラバットに触れていた。さらに話が通った後に口の中で舌を動かすような仕草があった。


 いずれも隠し事をしたい時に現れる仕草だ。ブリジット伯爵とはさほど接点がないが、隠し事や嘘があるということで間違いないだろう。


 これも伯父一家の機嫌を損ねないために身につけた、対処法だ。なにが本心でなにが嘘なのか見抜き、怒りを買わないよう細心の注意を払っていた。


 その後に続く面会者も正直者はほぼいなかった。アマリリスが執務室にいることに嫌悪感を隠さない者も多く、ルシアンの評判は下がる一方のようだ。これは早急に対処しないとマズいかもしれない。


 やっと休憩時間になったので、アマリリスはルシアンに人払いを頼んだ。


「それで、話というのはなにかな? アマリリス先生」

「ルシアン殿下、早めに授業をしましょう。お時間を作れますか?」

「そうだな……午後なら比較的時間を作りやすいよ」

「承知しました。ちなみに午前中の面会者たちに嘘や隠し事があったのはご存じですか?」


 もしかしたらルシアンはわかった上で話を聞いていたのかもしれないと、アマリリスは念のために確認してみた。


「そうなの? どれも大変そうだったから、他で調整すればいいかと思って。それぞれの貴族が納めている税金の一割までの範囲内で足りなければ、すでに支給している助成金を減らして調整するから問題はないけど」

「……なるほど。それは素晴らしい記憶力と計算能力ですが、それとこれは別です」

「そうだね、よろしく頼むよ」


 ルシアンの朗らかな笑顔を見て、アマリリスはどこから授業を始めようかと頭を悩ませた。




 午後になり、やっとルシアンの政務が落ち着きアマリリスの部屋へと場所を変えた。ここならば、他の貴族がやってくることはほぼないため、腹黒教育に集中できる。


「よろしいですか、まず——」

「あ、その前に。僕は生徒だからルシアンと呼び捨てにしてほしいな」

「いえ、さすがに呼び捨ては無理です……ルシアン様とお呼びしますが、よろしいですか?」

「うん、それでいいよ」


 この申し出を聞いて、形から入るタイプなのだとアマリリスはルシアンを分析した。


 ルシアンがよく着る白系の衣装も似合ってはいるが、今後購入する衣装は黒やグレー、青などの落ち着いた色にしてもらうのもいいかもしれない。そう言った色を身にまとうことによって、色が気持ちに及ぼす効果も取り入れたい。


 気持ちを落ち着かせたり集中力を高めたり、その他にもルシアンが洗練された人物で嘘は通じないと不安感を与える助けになる。


「ルシアン様は相手の言うことを素直に聞きすぎです」

「確かに……そうだと思う」

「これから私が言うことを聞いて、どう感じたのか正直にお話しください」

「わかった」


 アマリリスはわかりやすい嘘をつこうと考えた。昨日、ルシアンに不意打ちされて悔しかったのもあり、ハニートラップを仕掛けるつもりで言葉を続ける。


「ルシアン様、本当は私……迎えにきてもらうのをずっと待っていたのです。クレバリー侯爵家では使用人同然の扱いでしたし、八年前に養子に出された兄たちとも音信不通で、ずっと孤独でした……」

「アマリリス……」


 ルシアンは眉尻を下げて、当人であるアマリリスよりもつらそうに話を聞いている。昨夜と同じようにふたりで並んでソファーに座っているから、肘や膝が軽く触れ合い互いの体温を感じとっていた。


 アマリリスの瞳は潤み、切なそうにルシアンを見上げる。その視線を受けたルシアンは、真剣な眼差しをアマリリスに返した。


「ですから王命とはいえ、このようにルシアン様のそばにいられるのは本当に奇跡なのです」

「アマリリス、僕は……」


 ルシアンの淡い紫の瞳の奥に、情熱的ななにかが燻っている。正義感に駆られて明後日の方向へ動かれては困るので、アマリリスはここで切り上げることにした。


「はい、以上です。今の言葉でなにを感じましたか?」

「——え?」


 ポカンとしたルシアンに、アマリリスは教育係の顔に戻って現実を突きつける。


「今の、は……」

「半分嘘で半分事実です。どこが嘘なのかわかりましたか?」

「いや。ちょっと、それどころじゃなくて……」


 頬から耳まで真っ赤に染め視線を逸らすルシアンは、貴族令嬢たちが生唾を飲むほどそそられる光景だ。


 しかしアマリリスにはその魅力が通じない。完全に仕事だと割り切り、多少強引でも最短でお役目を終えたいからだ。


「ルシアン様。昨日からの私の態度で、助けを待つだけの気弱な令嬢ではないと気付かないといけません。また調査されたからご存じだと思いますが、バックマン公爵夫人と使用人たちにはよくしてもらっていたので孤独ではありませんでした」

「あ、そうだった」

「それに、私がこの場にいるのは確かに奇跡的な確率かと思いますが、恋だの愛だのとは申しておりません」

「…………そう、だね」


 ルシアンの落ち込んだ様子を見て、少々やりすぎたかとアマリリスの良心がチクリと痛む。しかしこう見えてアマリリスより三歳年上の王太子殿下にはこれくらいの荒療治でもしなければ問題点がわからないだろう。


「でも、アマリリス先生が孤独じゃなくてよかった。これからは僕もいるから、気兼ねなく頼ってほしい」


 ほんのりと頬を染めたルシアンは、アマリリスの手を取ってキラキラとした瞳で至極真っ当なことを言い放つ。だが、アマリリスが求めているのはこういう返答ではない。


(あー、これはゴールまで遠いわ)


 翌日からの教育をどうするべきか、アマリリスの悩みは尽きないのだった。



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