第4話 王太子の腹黒教育係になりました

「これは王命である」


 そのひと言で、アマリリスはノーと言えなくなってしまった。


 侯爵家と縁が切れたと思ったら、今度はよりによって王族に捕まってしまうなど、なぜこんな展開になっているのか意味がわからない。


 アマリリスが絶句していると納得したと受け止めたのか、ルシアンがニコニコと朗らかな笑顔で口を開いた。


「それで教育を受けるにあたって、どうしても行動を共にする時間が増えると思うんだ。そこでいちいち呼び出していては時間の無駄になるだろうから、こちらで部屋を用意させてもらったよ」


 おそらく王城勤務者が暮らす宿舎に、部屋を用意してくれたのだとアマリリスは察した。住むところを探す手間が省けてありがたいが、国内にいると大きな問題が発生してしまう。


「ありがたい申し出ですが、伯父に断りなく出てきておりますので、一度帰らせていただきたいのですが」

「それはこちらで対処しよう。これは王命だとクレバリー侯爵にも伝えれば問題あるまい」


 王国最強のトップダウンなら、伯父とて反論できない。王太子の教育係ならエミリオも手を出すのは難しいだろう。アマリリスはようやく、この状況を受け入れる覚悟を決めた。


「……かしこまりました」

「それでは、明日になるが書類を用意するからサインを頼む。教育のスケジュールはルシアンの様子を見て決めてほしい」

「承知いたしました」


 国王はそう言うと席を立ち、部屋を後にした。わずか十分程度の謁見だったが、この後も政務が詰まっているため足早に去っていく。


「では僕が部屋まで案内します。その他にも教育係になっていただくにあたってお話がありますので」

「よろしくお願いいたします」


 ルシアンが宿舎まで来るのは気が引けたけれど、他にも話があると言われたら断れない。アマリリスは仕方なく案内をお願いすることにした。


 ふたり並んで通路を歩き、アマリリスのボストンバッグはルシアンが持っている。

 完璧なレディファーストに感心しつつ、ルシアンの高貴さと貧相なボストンバッグのギャップが申し訳なくなって、アマリリスはつい目を逸らしてしまった。


「アマリリス嬢、いや、これからはアマリリス先生かな?」

「先生はやめてください。アマリリスと呼び捨てで結構です。ルシアン殿下がこのような教育を受けられていると、周囲に悟られるのもよくありませんでしょう?」


 ルシアンはわずかに瞠目して、アマリリスの思慮深さに満面の笑みを浮かべる。


「ふふっ、わかったよ。でもやっぱり敬意を払いたいから、ふたりきりのときは先生と呼んでもいいかな?」

「それならば……よろしいと思います」


 ルシアンとのやり取りはアマリリスにとっても心地よい。使用人以外から、蔑みも嘲笑もない真っ直ぐな視線を向けられたのは、いつ以来だろうか。


(なんて素直で、王族なのに腰が低いのかしら。うっかり先生呼びを許してしまったわ……! ルシアン殿下なら、これはこれでありだと思うのだけど)


 そうこうしているうちに案内された部屋は、明らかに王城内でどうも王城勤務者の宿舎とは違うようだ。そもそも目にするのは護衛の騎士ばかりで、他の王城勤務者に会っていない。


「……ルシアン殿下、こちらは本当に私の部屋でしょうか?」

「そうだよ? もし場所がわからなくなったら騎士に聞けば案内してくれるから安心して。内装も気に入らなければ好きに変えていいよ」


 部屋に入ってみると、明らかに煌びやかな装飾の家具が並び、寝室が別にある。バスルームも完備しており、生活には困らないが部屋の様子が豪華すぎた。しかも専属のメイドまで用意されている。


「これはどういうことでしょうか? てっきり王城勤務者の宿舎を用意してくださったとばかり……」

「そうだね、それも含めて話をしようと思っていたんだ。このまま説明してもいいかな?」

「お願いします」


 ルシアンに促され、ふたり並んでソファーに腰を下ろす。ボストンバッグをメイドに預けたルシアンは、おもむろに話しはじめた。


「アマリリス先生につきっきりで指導してもらうには、どうしても理由が必要になるのは理解してくれる?」

「そうですね。ルシアン殿下のお立場でしたならなおのこと、不用意に女性をそばに置いておけませんわ」


 ルシアンは素直すぎるとはいえ政治的手腕もあり、魔法の扱いに長け、剣の腕も近衛騎士に匹敵するのは誰もが知る事実だ。そんな王太子がフリーになったとしたら、貴族たちは自分の娘を嫁がせようと必死になるに違いない。


(私が邪魔な存在になるのはわかりきったことだわ。面倒なことにしかならないのに、王命だから断れないなんて……本当に理不尽な世の中ね)


 かといって王太子であるルシアンが、悪女と名高いアマリリスから腹黒教育を受けているなど、口が裂けても言えないことだ。そんなことが知られたら、王太子としての素質を疑われてしまう。


「そこで、アマリリス先生には僕の婚約者候補として、そばにいてもらいたい」

「まあ、それが妥当ですわね。ではこちらの部屋を用意してくださったのも——」

「そうだよ。ここは王族に準じた者が使う部屋だ。僕の婚約者候補として、大切な人だとアピールできる」


 アマリリスは短くため息をついた。

 婚約破棄を宣言されてからここまで、およそ四時間ほどだ。いくら王家でも、こんな短時間ですべてを準備したとは考えにくい。どう考えても、随分前から調査して入念に準備を整えてきたとしかアマリリスは思えなかった。


「いつから私に目をつけていたのですか?」

「さすがアマリリス先生だね。これだけでわかるの?」

「ごまかさないでください。いつから計画していらっしゃったのですか?」


 アマリリスはルシアンのアメジストのような瞳をジッと見つめる。隣に座っているから思いの外距離が近い。ルシアンの端正な顔立ちから、ふっと柔和な笑顔が消えて、獲物を狩るような視線がアマリリスに突き刺さる。



「……ずっと前から君がほしかったと言ったら、信じる?」

「——はい?」



 思いもよらないルシアンの言葉に、アマリリスは思わず聞き返してしまった。

 それでも外されることのない視線は絡み合ったまま。息苦しいくらい真剣な眼差しが、アマリリスの心を掴んで離さない。


 だが次の瞬間、唐突にルシアンが項垂れた。


「……っあー、ダメだ。やっぱりアマリリス先生みたいに上手くできないな」

「え……?」

「アマリリス先生の真似して、悪い男になろうと思ったんだけど、難しいね」

「そ……そうでしたか。きちんと教えますので、ご安心ください」


 緊張が緩んだ瞬間にアマリリスの頬が熱を持ち始め、ルシアンから顔を背ける。こんな風に男性から言われたことがなかったので、反応が遅くなってしまったのだ。教育係としてダメな反応だったと、悔しさが込み上げる。


(ルシアン殿下はただ、腹黒教育を真面目に受けようとしているだけよ……! 落ち着け、私……!)


 咳払いして姿勢を整え、改めてルシアンに視線を向けた。


「それでは明日、早速ルシアン殿下の実力を見せていただけますか?」

「わかった、政務の間もずっとアマリリス先生がそばにいられるように手配する。明日の朝また迎えにくるけどいいかな?」

「はい、よろしくお願いいたします」


 こうしてアマリリスは王太子の腹黒教育係として、新たな生活を始めることになった。



 後に、この日がアマリリスの人生で一番理不尽な日だったと知るが、それはまだ先のことだ。



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