第8話

 1台の軽自動車が植木に突っ込んでいました。ほんの一瞬の出来事に私はただただ地面にへたりこんで、エンジン部分から煙が立ち上がるのを見つめるだけでした。もしも黒田さんが気付かなかったら。手を引くのが少しでも遅れていたら。今私はここで話してはいないでしょう……3人も周囲の人も雷に撃たれたように立ち尽くす中、初めに動いたのは軽自動車に乗っていた運転手でした。しかも運転席のドアが開き転がり落ちるように車から出て来たその人は、ついさっきまで話していた南郷さんだったんです。頭から血を流し、フラフラとした足取りで私達に近づいて来ました。朦朧としながらも血走った目で私を睨み付け

「なんであんたが生きててウチのリカコが死ななきゃいけないのよ・・・・・・あんたが代わりに死ねばリカコは戻ってくる・・・・・・今ここで死になさいよ!」

 そう言うだけ言って倒れ込みました。暫くして誰が呼んだくれたのか救急車とパトカーが到着して、南郷さんは病院に搬送されていきましたが、私が南郷さんを見たのはそれが最後でした。刑務所内にいるとかどこかの街に引っ越したなんて聞きましたが、定かではありません。警察に名前を伝えると苦い顔を浮かべてどこかに電話し始めました。他の若い警官から事情聴取を受けている間に職場から両親が駆けつけてくれたのですが、やはりここでも「長住家」。簡単に状況の説明だけされ、「裁判などの手続き等はこちらで全てやっておきますので」と家に帰されたんです。警察も私の家の事を知っているのだと、本当にこの街は我が家で回っているのだと実感しました。街のあちこちに私の家の私が知らない痕跡がある・・・・・・確かに家族が普段何をしていて、どんな交友関係があるのか詳しく知っている人は少ないでしょう。しかしそれとは別の、言いようの無い気持ち悪さを、運転席に座る父と、横に座って私の手を握る母に感じていました。二人は最早私の知っている両親では無い、いや、そもそも私は家族を誰一人として知らない、自分の事ですら・・・・・・自分の事は自分で守るしかない、この二人には頼れない。そんな思いを抱えて帰宅したその夜、誰かが私の部屋の窓を叩きました。


 コンコン

 と窓を叩く音が聞こえ、手元にあった鍵盤ハーモニカを窓に向けて長住さんは身構えました。子供達に幻聴を聞かせ、菊池君に何かを雨の様に浴びせ、長住さんの祖父を死に追いやった学校の霊がやって来たのではないかと。しかし

「・・・・・・ん・・・・・・ずみさん、長住さん」

「え・・・・・・・・・・・・黒田・・・・・・さんですか?」

 予想とは裏腹に、現れたのは黒田さんでした。夜の十一時を過ぎての突然の訪問には流石に不信感を抱かざるを得ませんでしたが、そんな長住さんをよそに驚くべき事を言ったのです。

「あの霊をどうにか出来るかもしれない」

 長住さんはその場で聞こうとしましたが、この場では説明が難しいと断られました。夜も遅く、親を起こさない為なのも理由でしょうがどこか切羽詰まった様子で、酷く何かに怯えていました。背後に広がる闇を気にして何度も後ろを振り返り、長住さんの言葉にすら過剰に反応していたそうです。

 黒田さんも霊の声を聞いてしまったのでしょうか。

 答えはノー。

 黒田さんは何者かによって襲撃されていたのです。常夜灯に照らされた顔にはいくつものアザがくっきりと残っており、どうやって逃げ出したのかは不明ですが、辿り着くまでにも波乱があったのは間違いありません。

「長住ちゃんに頼みたい事があるんだ。玄関でも裏口でもいいけど、とにかく校舎に入るための鍵を手に入れて欲しい。今週の金曜日までに。もし手に入れたらここに来て」

 ズボンのポケットからくしゃくしゃになった紙を渡し、声をかける間もなく夜の闇に消えていきました。

 翌日、長住さんは両親に登校しないように促されてしまったので、田添君と話せたのは火曜日の放課後。それも母が迎えに来るまでの10分間。とにかく端的に状況とお願いだけを伝えて、すり合わせられたのは水曜日でした。

田添君は南郷さんから渡されたパンフレットを隅から隅まで読んでいたそうで、疑問に思ったことを箇条書きにしてノートに纏めてくれていました。どれくらいの被害ならもらえるのか、いくら貰えるのか、行方不明か死ぬ時だけなのか、久保君の家はもらえるのか、そもそも人柱をした意味はあったのか、何故人柱になった子は僕達を連れて行くのか。

 他にもパンフレットには大量の付箋が貼ってあり、田添君の目の下には薄らとクマが出来ていて、急いで調べてくれていたのがわかりました。

「でもなんで金曜日なんだろう」

「多分……土曜日が創立記念日だからだと思う」

「創立記念日?何の?」

「何って……学校のだよ」

「あっ」

 創立記念日。学校が建てられた日。つまり、彼女にとって忌まわしい憎むべき日。

この日までに是が非でもあちら側に引きずり込みたい。そう考えていてもおかしくありません。まさに今この瞬間にも、声が聞こえ姿を見た人を襲うかもしれないのです。

 しかし、それが分かった所で校舎の鍵を手に入れられなければどうしようもありませんし、借りるなどほぼ不可能でしょう。

 そこで2人は思い切った作戦に出ました。


 金曜日の放課後。誰もいなくなった廊下に小さく金属の音が響きました。本来開いてはいけないはずの窓が開き、予定していた通りに黒田さんが枠を乗り越えて入ってきます。何かがあった時の為に鍵だけは開けたままにして、そっと窓を閉めました。当時の自分としても大胆な行動だったとは思いますが、それしか思いつかなかったのです。放課後になるのを待ち、音楽室に入りました。音楽室には子供が入れる程の収納スペースが沢山あり、吹奏楽部も無いので用事が無い限り誰かが来ることもありません。見回りの先生が音楽室に入って来た時には肝を冷やしましたが、流石にそんな場所に入っているとは思いもよらなかったでしょう。そうやって完全に校舎内から人がいなくなるのを待ち、七時を目安に一階に降りて裏門から少し入った所の窓を開けたんです。給食室と植木で目隠しになっているのでそこに来て、と指定された場所にメモを置いていました。よく見ると黒田さんは犯人がするみたいな手袋をしていたのですが、私達はそれを特に疑問に思う事も無く、3階への階段を登り始めました。

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