第2話 異世界へ


 囁き声の正体を知るため、その答えがある場所に連れてってくれるという話だったが――ひとまず、それは先送りになってしまった。


 理由は両親が死亡した後にやらねばならないことが山積みだったからだ。


 主に役所関係や相続について。


 当然ながら人生初の経験だったが、とにかく提出するべき書類や手続きが多い。もっと簡略化してくれよ、と嘆きたくなるほど。


 人が死ぬってのは大変なんだなと痛感するほどの作業量だったが、幸いにして夏子さんも手伝ってくれたこともあって、三日ほど要するだけで全て完了させることができた。


「終わったわね~」


 手伝ってくれた夏子さんは、コートとジャケットを脱いでからソファーに座る。それを見越してお茶を用意すると、彼女は俺に「ありがとう」と微笑んだ。


 俺の叔母――薬師寺夏子 三十歳 独身。


 母、柊木秋子の妹であり、母さんとは十歳差。歳の離れた妹ということもあって、母さんからは溺愛されていたらしい。


 俺が生まれる以前から頻繁に我が家へ遊びに来ており、母さんが結婚して俺を産んでからもそれは変わらなかった。故に俺も小さな頃から夏子さんに遊んでもらったり、どこかへ連れてってもらうことが多かったな。


 俺にとっても叔母というよりは、歳の離れた姉って感じだ。


 何より、彼女を「叔母さん」と呼ぶと怒る。夏子さんと呼びなさい、と顔を近づけられて怒られる。


「夏子さん、色々手伝ってくれてありがとう。でも、会社は大丈夫なの?」


「え? ああ、大丈夫よ~。理解のある上司と部下に恵まれているからね」


 ソファーに座っていた夏子さんは、Yシャツのボタンをプチプチと外しながら脱力気味に言った。


「さすがは大企業勤め」


 夏子さんは薬剤師の免許を持っており、数十年前から一気に大企業へと成長した新しい製薬会社に勤めている。


 母さんも生前は同じ会社に勤めていて、母さんも夏子さんも薬の研究部門で働いている。


「夏子さんって都内の研究所なんだっけ?」


「そうそう」


 母さんは地元――S県の都市部にある研究所で働いていたが、夏子さんは都内の本社近くにある研究所勤め。俺が住むこの家から夏子さんの家までは電車で一時間程度ってところだろうか。


 姉妹揃って優秀な研究者らしく、会社でも評判がいいと聞くが。だからこそ、上司も部下も休みを許可してくれたのかな?


「そんなことよりもさ。ハル君は? 役所関係の手続きは終わったけど、これからどうするか考えてる?」


 夏子さんにそう問われて、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 湯飲みの中のお茶を一口飲んでから、今のところ考えている『将来』を明かすことにした。


「今年の受験は見送ることにしたよ。勉強する気にはどうしてもなれなくて」


 現在、高校三年の冬。いわゆる、受験シーズンの真っただ中だ。


 俺も大学に進学して、大学を出たら母さんが務める製薬会社に就職しようかな? なんて思っていたけど……。


 さすがに今は勉強する気になれない。


 未だ両親の死を受け止めきれていないってこともあるけど、やっぱり一番は夏子さんの言っていた「囁き声の正体」についてだ。


 あれがどうしても気になってしょうがない。


「正直に白状するとね? 私も余計なことを言ったかも、と後悔してるの」


 夏子さんは大きなため息を吐きながら、やってしまったと言わんばかりの表情を見せる。


 同時に「姉さんはハル君に普通の人生を歩んでほしかったみたいだし」とも。


「ごめんなさい。逆に混乱させてしまったわよね」


「ううん。むしろ……。昔から疑問には思っていたから。自分のことだし、知っておきたいよ」


 あのカミングアウトは衝撃だったけども、自分でも長年疑問だったことに答えが得られそうなんだ。


 知りたいと思うのは当然だろうし、言ってくれて感謝もしてる。


「そっか……。じゃあ、手続きも終わったし明日にでも行こうか」


 答えが得られる場所に行く、と言うが……。目的地はどこなのだろう?


「どこへ行くの?」


「私と姉さんの故郷ね」


「故郷? 故郷って……」


 確か母さんの実家は東北にあったような? 実家に戻るのかな?


「まぁ、明日を楽しみにしてて?」


「……? うん」



 ◇ ◇



 翌日、俺は朝から夏子さんと共に家を出た。


 彼女が最初に向かったのは地元の駅だ。まずは電車に乗って都内へと出るらしい。


 電車に乗って都内に出ると、人込みに紛れながら繁華街を奥へ奥へと進んでいく。そうして辿り着いたのは、ちょいボロめの古本屋だ。


 キラキラでナウなヤングに人気な店が多い都内には似つかわしくない、と言ったら失礼になってしまうだろうけど。


 ここまでの道のりにあった店を知っていれば、俺が抱く感想も無理はないように思える。


「古本屋?」


「ええ」


 夏子さんは容赦なく扉を開けて中へと進んで行く。


 俺も後に続くと、彼女は店主であるお爺さんに「どうも」と声を掛けた。


「おや、なっちゃん。……そっちの子は?」


「どうも。私の甥っ子なの。姉さんの息子よ」


「ああ、なるほど」


 どうやら店主のお爺さんは夏子さんや母さんを知っているらしい。


 彼は俺に顔を向けると、優しそうな笑みを浮かべて「いらっしゃい」と言う。


 挨拶もそこそこに、夏子さんは店の奥へと進んで行った。


 そうして手を掛けたのは、従業員用と思われる扉のドアノブだ。


「そこってお客は立ち入り禁止なんじゃ?」


「大丈夫よ」


 またしても彼女は容赦なく扉を開ける。


 そして、バックヤードと思われる場所をズンズンと通過していき――更に奥の部屋にあったのは古びたエレベーターだった。


「エレベーター?」


 ビルの中にあったり、マンションに設置されているような最近のタイプとは違う。


 大昔に主流だった……。こう、扉が柵になっているタイプのエレベーターだ。


「うん、地下に行くよ」


 夏子さんと共にエレベーターへ乗り込むも、このあたりから俺の心臓は徐々に鼓動が早くなっていくのが分かった。


 古びたエレベーターに乗るのが怖いのではなく、どうして古本屋の地下に行くんだという疑問から。


 ドキドキと鳴る心臓の音を認知しながらエレベーターに乗っていると――辿り着いた先にあったのはだった。


「え、駅?」


「そう。地下鉄ね。まぁ、地図には載ってない秘密の駅なんだけど」


 エレベーターを降りると、夏子さんは地下鉄駅のホームに向かう。


「地図には載ってないって?」


 そう問いながらキョロキョロと周囲を見渡すと、同じく電車を待っているであろう人が数人いた。


 スーツを着た若いサラリーマン風の人。もう一人は白いTシャツにジーンズというラフな格好をした若い女性。もう一人は学生服を着た女の子。


 他にも旅行帰りっぽい老人やエコバックを肩に掛ける主婦っぽい人まで。


「う~ん。何て言えばいいかな……。ああ、そうだ。ネットとかで読める都市伝説に『存在しない駅がある』なんて記事があるじゃない? 読んだことある?」


「ああ、昔読んだことがあるよ。都内の地下には路線図に載ってない、使われてない駅があるだとか。条件を満たすと行ける不思議な駅だとか。オカルト的な話だよね?」


「そうそう。ここはそれに近いと言えばいいのかな?」


「ええ……?」


 どういうこと? と首を傾げていると、天井からぶら下がっていた電光掲示板がパッと光って文字が流れ始めた。


『二番ホーム エルディア行 まもなく参ります』


 なんて表示されたのだ。


「エルディア行き……?」


 どう考えても日本にある地名じゃない。外国にありそうな地名だけど……?


 すると、掲示板に表示された通り電車がやって来た。


 やって来たのだが、ホームに到着したのは電車と呼ぶよりは「蒸気機関車」と呼ぶ方が相応しいフォルムを持っていた。


 煙は出てなかったけどね。


「さぁ、乗って」


「う、うん」


 乗り込んだ電車の内装もレトロな感じ。赤いソファーのボックス席が並んでいる。車両間を隔てる扉も木製だし、車内に設置された灯りもアンティークなランプ。


 妙に雰囲気のある電車だな、と思う。


 ただ、乗客もそこそこいるのだ。


 俺達と一緒に乗り込んだ人達に加えて、前の駅から乗っていたであろう人達の姿も見られる。


「さて、どこから説明しようかしら?」


 空いていたボックス席に座ると、夏子さんは窓のブラインドを開けながらそう言った。


 窓の外は真っ暗だったけど。


「最初に言っておくと、これから向かうのは異世界よ」


「へ?」


 正直、何言ってるの? と言いたかった。たぶん、表情にも出てたと思う。


 夏子さんも苦笑いしながら「そうなるよね」と言ってたし。


「これから向かうのは、ハル君が知ってる世界とは別の世界。と言っても、こちら側とは違った歴史を歩んだ並行世界という見方が強いのだけどね」


 俺の家がある世界を地球と呼ぶならば、向こう側は「ジオ」と呼ばれる世界。


「他にもこちら側は科学世界。向こう側は神秘世界とも呼ばれるわね。地球側やジオ側なんて呼ばれることもあるけど……。まぁ、呼び方は色々よ」


 だけど、世界的には『同一』らしい。


 惑星単位で見れば、どちらも地球である。どちらもジオである。


 違いは歩んだ歴史が違うこと。


「地球側は科学が進歩したわよね? 石炭技術や電気技術が発明されて、家電製品やスマホなんて便利な道具を生み出しながら発展していったでしょ?」


「うん」


「だけど、ジオ側は科学技術が発展する前に『魔法』を見つけた世界なの」


「ま、魔法? 魔法って、あのファンタジーの? 杖とかステッキの先から火や水を出すやつ?」


「そうそう。ファンタジー小説とかアニメに出てくる、あの魔法」


 地球側は科学の発展と共に歴史を積み重ねてきた。科学を発展させたことで今の世界がある。


 しかし、これから向かう異世界は科学が発展する前に「魔法」を見つけた。魔法の素となる「魔力」や「魔素」といったモノを見つけた。


 よって、地球の歴史とは違った道を行った世界。科学技術よりも魔法技術が発展していった世界だと夏子さんは語る。


「ん? でも、さっき地球と同じって言ったよね? その言い方だと、向こう側が早期に発見したっていう魔力や魔素が地球側にもあるってことにならない?」


「おっ! いいところに気付くわね。ハル君が言った通り、地球側にも魔力や魔素は存在するわ。早期発見できなかっただけで、どちらの世界にも共通して存在しているの」


 どちらの世界にも魔力や魔素といった要素が存在する。どちらの世界にも科学技術が発展する要素もあった。

 

「実際、地球側でも魔法や魔術が使えるからね」


 違う歴史を歩んだ二つの世界であるが、共通している部分も存在する。


 先ほど夏子さんが語った「どちらも地球である」という部分だ。宇宙的に見ると、太陽の位置や他の惑星の位置などは変わりがないらしい。


 大昔に恐竜のような生き物がいたことだとか、人類が猿から進化したことだとか、そういった部分は同じだと考えられているという。


 故に歩んだ歴史が違う並行世界である、という見解が現状は最も有力な説だそうだ。


「へ、へぇ……」


 正直、まだ信じられない。


 夏子さんは大真面目に語っているだろうけど……。いきなり「魔法技術が発達した異世界に行きます」と言われて信じられるだろうか?


 そもそも、異世界に行くのに電車に乗るって。電車に乗って異世界へ行くって。


 いや、そもそも俺のことを「魔法使いだ」って言ったこともおかしいことなんだけどね?


「あ、信じてないでしょ? いや、無理もないか」


「そう簡単には信じられないよ」


 苦笑いを浮かべる夏子さんだったが、彼女は話を続けた。


「ただね? 昔から世界間の交流はあったのよ。一般人には知られていないだけで、大昔から異世界を行き来する術は確立されていたの」


 異世界の存在が見つかったのは偶然だったらしい。


 ジオ側の魔法使いが魔法の実験に失敗した結果、異世界同士を繋ぐ扉――ゲートを開けてしまったようだ。


 これが世界最初の『異世界ゲート開放』と呼ばれる事件であり、第一号ゲートはヨーロッパのとある土地に繋がった。


 以降、地球側とジオ側はゲートによって繋がったままになってしまう。


「数年はそのまま現地交流が行われたんだけどね。ある時を境に異世界の存在は隠されることになったわ。以降、両世界は限られた人間の間だけで繋がりを保ちつつも、独自の歴史を歩んできたってことね」


 現在、異世界の存在を知る者は限られている。


 それこそ各国のトップだとか、〇〇大臣だとか、どこかで聞いたことがありそうな外国の組織だとか、そういったレベルの人間しか知らないらしい。


 存在が隠されることになった当時よりも多少規制は緩くなったが、それでも異世界のことを知る人はかなり限られている。一般人は一生知りえない程度の秘密は保たれているようだ。


「隠すことになった理由は様々なんだけど……。そうだ。こっちの世界にある御伽噺に伝説の剣を持った騎士がドラゴンを倒す~、なんて話あるじゃない?」


「ああ、あるね。ヨーロッパとかの話だよね?」


「そうそう。あれって実際に起きたことなのよ。ジオ側に生息していたドラゴンがゲートを通って地球側に来ちゃったわけ。それをどうにかするべく、ジオ側の人間が地球側に渡って対処したの」


 そして、その一部始終を目撃した現地民が伝承や御伽噺として当時の様子を残した。こういった話の中には、実際に起きたことも本当に混じっているらしい……。


「そういう事件も起きたから異世界の存在は隠されることになったわけ。両世界の人間が協定を結び、同時に秘密を守る組織が作られたわ」


 そうして互いの秩序を守り続け、今に至るようだ。


「そ、そんな秘密にするような世界に行って大丈夫なの?」


「大丈夫よ。姉さんの子だから」


 ん? 待てよ? 忘れていたけど、これから向かうのは母さんのなんだよな?


 ということは……?


「正解! 私と姉さんは異世界人なのよ」


 夏子さんは「世界間渡航を許可された特別な異世界人なのよ」と。


「姉さんは仕事のために日本へ来たのよ。日本に渡ってから義兄さんと出会い、こっちで結婚してハル君を産んだってことね」


「そ、そうなんだ……。父さんは純粋な日本人?」


「うん。義兄さんは日本人ね。異世界の存在は知っていたけど」


 俺の父さんは考古学者であるが、その関係で異世界を知る人物の一人だったらしい。


 だからこそ、母さんと出会って結婚にまで至ったのだろうけど。


「あの時の姉さん、必死だったわね~」


 夏子さんは昔を思い出したのか、クスクスと笑う。


「ウチは代々魔女を輩出する家系でね? 日本に渡っての仕事も短期で終わるはずだったのよ。でも、義兄さんに恋した姉さんは必死に親を説得してね。日本に留まる許可をもぎ取ったの」


 曰く、薬師寺家に大騒動を巻き起こした大恋愛だったらしい。


 普段はホワホワしている母も若い頃は……って感じだったのかな?


「どうして母さんは秘密にしていたんだろう?」


 どうして異世界人であることを教えてくれなかったのだろうか?


 どうして普通に生きてほしい、と願ったのだろう?


「うーん……。まぁ、向こうの世界にも色々あるからね」


 困ったような表情を浮かべて語る夏子さんの言葉は歯切れが悪かった。


「ただ、姉さんもずっと秘密にしておくわけじゃなかったのよ?」


 それについて問おうとした時、車内にアナウンスが流れる。


『まもなく、ゲートの通過が完了します。次の停車駅はエルディア王国ヴェルナ領です」


 聞きなれない土地の名がアナウンスされたが、夏子さんは俺に「窓の外を見てて」と言う。


 彼女の言った通り窓を見ていると――暗かった景色に光が差した。


 ブワッと強烈な光が差し込んだ次の瞬間、窓の外には日本と思えない景色が映る。


「うわ……」


 線路沿いに広がる広大な畑。線路の先には巨大な都市が見え、都市の奥にはヨーロッパにありそうな城が建っている。


「あの畑は全部小麦畑なの。収穫時期に近付くと、車窓から見える景色が黄金一色になるのよ」


 タイミングが合うと更に綺麗な景色が見えると夏子さんが笑みを浮かべた。


「ん? あれは……?」


 続けて青い空を見上げると、空の先には小さな島? が浮いているような……。


 いや、待って!? 数十匹の鳥と一緒に空を飛んでいるのはドラゴンじゃないか!?


「ド、ド、ドラゴン!? あれってドラゴンじゃない!?」


 間違いなく、ここは日本じゃない。外国でもない。 


 俺は驚きのあまり、窓から顔を遠ざけてしまった。


「ね? 言ったでしょう?」


 ニコリと笑った夏子さんは、景色に驚く俺に告げるのだ。


「ここが君の住んでいた世界とは違う、ジオと呼ばれる世界よ」

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