初めて繋いだ手

「お兄ちゃん!?」


 そう呼ばれた店員は、イタズラっぽく笑った。


「よっ、朝陽」

「なんでお兄ちゃんがこんなところに居るの!?」

「今日からここでバイト始めたんだよ。朝陽には黙ってたけどな」


 話の状況がつかめなくて、オレは首をかしげる。


「あの、もしかして2人って兄妹きょうだいなの?」


 すると、篠原はオレのほうを見て言った。


「あ、ごめんね! 話し込んじゃって。そうなの。この人、私のお兄ちゃん」


 そして、お兄ちゃんと言われた男性はオレに挨拶をする。


「朝陽の兄の篠原光太しのはらこうたです。大学3年生です」


 篠原のお兄さんは、篠原と同じ黒色のストレートの髪で、明るそうな人だ。


「瀬尾拓夜です。妹さんとは同じ学校のクラスメイトです」

「俺、君のこと覚えてるよ。小さい頃よくマンガ読んでたたっくんだろ?」

「はい。マンガ好きが高じてオタクになりました」

「そっか。オレもオタクなんだよ。柚木真奈ちゃんの大ファンでファンクラブ入ってるくらい」

「オレも同じです」


 篠原のお兄さんは話しながら篠原の持っているCDを受け取って、それをレジに通す。


「1点で3300円になります。メイトの会員証はお持ちですか?」

「会員証って?」

「メイトの会員になって会員証を提示すると、メイトで商品を買う時に金額に応じてポイントが貯まるんです。貯まったポイントは次に商品を買う時の値引きに使えたり、ポイント景品と交換できたりします」

「へー。じゃあ、会員証持ってないので作ります」

「かしこまりました」


 そして、篠原はメイトの会員証を作ってCDを買う。

 篠原のお兄さんはCDと一緒に特典を手渡した。


「こちら、商品とメイト特典のクリアファイルとイベント応募券です」


 篠原の会計が終わり、オレもCDを買って、2人でCD売場を後にする。


「まさかお兄ちゃんが居るなんて思わなかったよ」

「オレもびっくりした。でも、篠原のお兄さん明るいな。コミュ力あるし、メイトの会員証の説明もばっちりだったし」

「そうだね。たしかにお兄ちゃんって人と話すの好きだから接客業向いてるかも」


 エレベーターが来るのを待っているあいだフロアガイドを眺めていると、3階に画材売場があることを思い出した。


「あ、3階寄ってもいい?」

「いいよ」

「ありがとう」


 エレベーターに乗って3階で降りてから、画材売場に向かう。

 そこには、最新の液晶ペンタブレットの見本品が置かれていた。

 実際に試し描きができるみたいだ。

 ペンを手にとって、モニターを見ながら線をひいてみる。

 描き味が紙と変わらないことに驚いて、感動した。

 篠原が聞く。


「たっくんって液タブ持ってるの?」

「持ってない。欲しいけど高くて買えないから」


 オレがそう言うと、篠原は商品のところに置いてある値札を見て驚いた顔をした。


「こ、これはさすがに私達のおこづかいじゃ買えないね……」

「だろ?」


 話しながら、オレは柚木真奈さんが演じたキャラのイラストを描く。

 すると、篠原は声をあげた。


「あ! このキャラ知ってる! 『IVORY ALBUM』の小方美奈こがたみなちゃんでしょ?」

「篠原よく知ってるな。『IVORY ALBUM』って男性向けの恋愛ゲームなのに」


『IVORY ALBUM』というのはオレ達が小さい頃に発売されたPCゲームだ。

 男性向けの恋愛シミュレーションゲームで、柚木真奈さんは複数いるヒロインの中の1人、小方美奈ちゃんを演じている。

 劇中歌やBGMなどの音楽のクオリティーが高く、また話の展開がすごいと話題になったことでゲーム発売と同時に人気を博し、ファンのあいだでは『アイルバ』と略され、発売から5年たった年にはアニメ化して、そのオープニング曲を柚木真奈さんが歌っている。

 今は続編の『IVORY ALBUM2』が出るくらいの名作だ。


「だって私アイルバ好きだもん。中学の時アニメ放送してたのを観てハマって、アニメのブルーレイ全巻そろえてゲームも買ったくらい。もちろん真奈ちゃんのアイルバのアニメのオープニング曲のCDも持ってるよ」

「篠原って本当に真奈さんが好きなんだな。まさかアイルバのことまで知ってるとは思わなかった」

「私、真奈ちゃんが出てるものならどんなものでも全部知っておきたいんだ」


 篠原の真奈さんに対する熱意がすごい。

 でも、それだけ好きなんだろうな。


「それにしても、たっくんって昔から絵上手いよね」

「小さい頃マンガオタクになってからずっと絵ばっかり描いてたからな」

「そっか。私は絵苦手だからうらやましいな」


 篠原はそう言って画材を眺める。

 オレは小さい頃の記憶を思い出した。

 しっかり覚えてる。

 あの時、絵を上手くなりたいと思ったきっかけは――。

 すると、篠原がオレの顔を覗き込んだ。


「たっくん、どうかした?」

「な、なんでもない」


 それから、メイトの中を2人でまわっていろいろ見て、買いものをしてから店を出た。

 池袋の通りを歩きながら、篠原のほうを見る。


「次どこ行く?」

「はい! 私、カラオケ行きたい!」

「いいよ。じゃあこの近くの――」


 そして、篠原の希望でカラオケ店に移動しようとした、その時。

 反対側から制服を着たクラスメイト達が歩いてくるのが見えた。

 まだオレ達の存在には気づいていない。

 オレはとっさに篠原の手を握る。


「篠原、走るぞ」

「え?」


 そして、そのまま一緒にクラスメイト達とは反対方向に走った。


「いいから早く!」

「ちょっ、ちょっと待って!」


 近くのカラオケ店の前まで走る。

 クラスメイトの姿が見えなくなったのを確認して、オレは息をついた。


「危なかったー……」

「いきなりどうしたの? 何かあった?」

「反対側からクラスメイトが歩いてくるのが見えたから走った」

「え!? ぜんぜん気づかなかったよ」

「遠目からだったけどたしかにうちの高校の制服だったから、あのままだったら鉢合わせしてたな」


 すると、篠原は顔を赤らめてうつむく。


「そうだったんだ。でも、その……手はそろそろ放してもいいかな?」


 そう言われて、オレは篠原の手をずっと握っていたことに気がついた。

 あわてて手を放す。


「ご、ごめん! 走った時とっさに手握ってそのままになってた。嫌だったよな」

「ううん、謝ることないよ。むしろありがとう。私のこと助けてくれて」


 篠原はそう言って笑顔をみせる。

 その笑顔に、オレは篠原に嫌われたんじゃないんだな、と安心した。

 篠原は明るく言う。


「よし! じゃあ気持ち切り替えてカラオケ楽しもう!」

「そうだな」


 そして、オレ達はカラオケ店に入った。

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