第6話
裏口から外に出ると喧騒がよく聞こえる。ヱマに同行したのは恐らく数名だろうし、それ以外はテロ集団を相手にしている。だとしても何かがおかしい……田嶋の感じた嫌な予感が南美にも現れ始めた。
買い換えた外部デバイスからヱマの位置情報を辿る。ぴこんぴこんと青色のアイコンが点滅した。
外から大きく周り込んでホテル内に戻る。五月雨の隊員が干渉したのか、マップにアイコンまでのルートが表示された。
それを一瞥し、ルート上に進んだ。勿論大和や警察の肉壁があったが南美の姿を見るとすぐに退けた。田嶋からの拳銃を右手に持ったまま、大股で走っていく。
見える角を攻めるように曲がった。瞬間。
がんっと黒く硬いもので顔面を殴られ、身体がよたった。慌てて左手で角を掴んで耐える。然し脳みそが揺れた。
眉根を寄せて視線をあげる。そこにはスナイパーライフルを持った小柄な女がいた。銃身で思い切り殴られたのだと分かる。
ヱマは取り逃したのか? だとしたらなぜ止まっている……。
「くそっ、何もんやねん。アンタら……」
ふわふわとした嫌な感覚になんとか足裏をつける。女は鼻で嗤った。
「目障りだよ。元長官のあの女も、元捜査一課のお前も。いてもらったら困るんだよ」
眉間の皺を深くしながらハンマーをおろし、息を吸い込むと同時に銃口を向けた。だが想像以上に殴られたダメージが大きく、思ったよりも俊敏には動けなかった。
あっさりと腕をとられ、銃口を上に向けられた。相手は身長の低い小柄な女だ。なのに、大きく見えた。
女は驚異的な身体能力で身体を持ち上げ、南美の身体に脚を絡ませた。そのあいだも銃口は下がらない。想像以上に筋力がある。
女は電子仮面のスイッチをオフにした。すると映っていた画像が消え、素顔が見えた。眼を丸くする。
「沖縄旅行は、楽しかった?」
そいつはあの映像を撮っていた、雪女らしき人物だった。瞬間、首元にちくっとした僅かな痛みが走る。あっと思った時には遅く、小型の注射器が全てを押し出した。
二千十年の夏頃、日ノ国の旧名太和(タイワ)には今の北海道と沖縄が居なかった。当時の総理大臣が太和は本州だけだと豪語し、北海道と沖縄は別物として切り離してしまった。
これには理由があり、両者は離れているせいで独自の文化や部族が存在した。それが太和のものではない証拠でもあった。
まだ彼らを独立国として認めるならまだしも、切り離すだけでその後のケアを一切行わなかった。然し当時から北海道の農作物や畜産物、また海鮮物等多くのものが太和中に溢れていた。
ミルクやバター類を筆頭に、北海道はかなりの割合を占めていた。それが大きく影響し、慌てて太和に加え直した。だが勿論許されるはずもなく、北海道産のみ高く扱うという条件と、何台かの除雪車を寄越せという条件が課された。
実際にはもっと多くの条件が提示され、政府はこれらを全て満たした。それならばまあ許すだろうと北海道は太和の地図にもう一度加わった。
然し沖縄は長いことそっぽを向かれ、九州によって助け舟を出されたがそれも総理大臣によって破壊された。そのうち沖縄は島流しの地として扱われるようになり、密かに政治家や警察官等が流されてくる事も多くなった。
治安は崩れていき、一時は風俗店ばかりが立ち並んで“そういう島”になった事もあった。だがなんとか当時の県知事が戦い続け、特例地区を後々逃れる事になる中心部とリゾート地を作り始めた。
そうして沖縄が独りでに戦い始め、ゆっくりと観光地として未来が見えてきた頃。元凶であるあの男が沖縄をしれっと太和に戻した。
二千十年前後の歴史はかなり乱雑で混沌としており、沖縄北海道だけでなく四国や近畿周辺、東北辺りもその男に振り回された形跡がある。
然し沖縄への扱いが一番酷く、何十何百何千と経った今でも語り継がれてきている。
「……っ」
眼が覚め、瞼を上げた。冷たいコンクリートの感触が直に伝わってくる。
薄暗い地下のような空間に手錠をかけられた状態で放置されていた。しかも身包みは剥がされており、勿論拳銃も奪い取られている。
然し最初に見えたのは横たわるヱマの姿だった。名前を呼ぶと反響した。
「ヱマさん、大丈夫ですか」
後ろに手錠をかけられている以上、触れる事は出来なかった。彼女もまた身包みを剥がされており、ドレス用の下着だけだった。
正面に周り込んで顔を見る。頬に殴られた痕跡があり、首元には注射痕があった。恐らく似たような方法でやられたのだろう。位置情報が動いていなかったのはこれのせいだ。
舌打ちをかまし立ち上がる。がちゃがちゃと手錠をなんとか触る。
「はあ? なんでテロ集団が……」
その手錠は警察や公安が使うようなもので、電子制御によるロックもかかる仕様だ。相手がゴーレムだろうと鬼だろうと簡単には引きちぎれない。
例えBLACK BLACKのように裏サイトで取引されていたとしても、第四専用の武器や手錠はかなり難しいはずだ。直接関係者が協力しない限りは……。
「おー、エルフの方が早いんだな」
ざっと振り向く。そこには田嶋の拳銃を持った女と、あの子がいた。
「マミさん……?」
俯いて余計小さくなる彼女は、南美の声に反応して少し肩を揺らした。女が笑う。
「この子はあたしらの子だよ。あたしの旦那は“ホテルのオーナー”だよ」
マミがいる事、そしてホテルのオーナーという言葉……南美はそういう事かと溜息を吐いて呆れた笑みをこぼした。
「それで私らのとこにだけ映像を流せたんですね」
「そ。まあ五月雨にバレるだろうと思ってOSIRISの若いのを適当に使ったのは確かだけど、実際はハッキングもなにもしてないからな」
女は続けた。
「マミを近づけたのはお前らがどんな人間か探りたくて近づけさせただけだよ。思ったよりも警戒心が薄いというか、マミにやらせたら良かったね。お前らの暗殺」
それに娘が反応する。信じられないものを見るような眼で母親を見上げた。
「実の母親とは思えんな」
瞬時に視界を切り替えて女を睨みつけた。興奮状態だ。どう回避すればいいのか、考える余地もない程に窮地に立たされていた。
「ふん、好きにいいな。どうせお前らは死ぬんだし」
せめてヱマが起きれば打開のしようもあるが……そう思いながら時間稼ぎのように問いかけた。
「なんで私らを殺そうとする。他の退職者は狙っとる様子ないのに」
今の新しい義神経ならもっと細かく相手の様子を探る事が出来る……田嶋に頼んでどうにか新しく出来ないものかとほんの少し足の位置を変えた。
「そりゃ元のくせに何でも屋やって、オマケにBLACK BLACK解体のきっかけまで作ったんだぞ? そんな奴ら、目障りに決まってる」
ぎりっと歯を鳴らしたのが分かる。第四に反対しているというより、ただただ気に入らないから攻撃しているようにしか見えなかった。
「たまたまそうなっただけで、退職者でも現職時代と変わらん事やってる人はそれなりにいますよ」
南美が言うと女は風船が割れたように叫んだ。びくっと身体が震え、手錠の鎖が鳴った。
「そーゆーとこがウザいんだよなあ。お前ら公務員って!」
ふっと銃口が向けられた。勿論トリガーに指はかかっている。身構えた。
「もういいだろ質問責めは」
どうにか反射神経だけで避けたいところだ。南美は全神経を銃口の暗闇に注ぎ込んだ。刹那。
風が舞い上がったと思ったら右の義足が腕に叩き落とされた。鬼の力と重量が合わさり、ぼきんっと折れる。
女の断末魔が響いた。マミは怯えてその場に腰を抜かした。
「……南美、手錠貸せ」
低い声に後ろを向く。ヱマがそちらに寄る前に女が叫びながらもう片方の手で拳銃を拾い上げた。然し予備動作なしで蹴りを放った。
義足の足裏が顔面を覆う。白目を向いてもう一度倒れ込んだ。
ヱマは一瞥もせずに膝をつくと鋭い牙を見せて手錠の鎖に噛み付いた。がちんっと音が響く。
手錠のかかった手で引っ張るよりも、牙のある顎で噛みちぎった方が力は出る。南美も出来る限り前に力を加えた。すると弾けるように鎖がばらばらに散った。
一人でも両手が自由になればあとはどうにかなる。南美は転がっている拳銃を拾い上げた。するとゾンビのように起き上がって脚を掴んできた。
「まてや」
獣のような形相に躊躇いもなく銃口を向けた。だが。
「ストップ」
硬い男の声が響き渡り、ぴたりと止めた。顔をあげる。
「安里さん。警察庁長官だけという話ではなかったのですか」
歩いてきた男はかっちりとしたスーツを着込んだ如何にもな人間だった。
「誰がお前らの話を素直に聞くか」
脚を掴んだまま立ち上がろうとする。然し虫を払い除けるようにして軽く蹴ると、小さく呻き声をあげて倒れた。
南美はすっと銃口を男に向けた。
「なぜ貴方がここにいる。なぜ貴方がこいつの名前を知っとる」
敵意を向けられても動じる事はなかった。淡々とした調子で、先程のスピーチと全く同じ調子で答えた。
「長官を殺せと命じたのは我々です」
眉根を寄せる。男は続けた。
「なにを言っても座を降りる気がないので、それなら過激派のテロ集団に暗殺させようと思いまして。彼女達も逮捕される心配はないですし」
だが実際は他の長官や総裁も殺そうとしている。
「今すぐ全員止めろ」
恐らく隊員達の動きが妙なのもこれのせいだろう。第四のトップには全警官、隊員の電脳を合法的にハッキングする権限がある。退職者や田嶋達が比較的静かだった理由にもなる。
ハンマーをおろした状態で睨みつける。然し女がまたへばりついてきた。
「ちっ」
瞬時に女の顔の傍に照準を合わせるとトリガーを引いた。響く発砲音に怖気付き、そのまま固まる。
「ですがこの事をあなた方に知られてしまいました」
きっちりと整えた髪を撫で付ける。それにヱマが言った。
「それよりさっさと手錠外してくんねえかな。流石に第四相手に蹴ったりしねえからさ」
気だるげな声に男は彼女を見たあと南美の眼を見た。不服そうな顔で拳銃をおろす。男は懐から手錠の鍵を取り出し、軽く腰を折って解除した。
手首をさする。男が腰をあげた瞬間、素早い右フックを顔面にかました。
手加減はしているがかなりの強さだ。頬を押さえて蹲る。下から睨みつけてくるのを鼻で嗤った。
「蹴ったりは、つったんだよ。殴らねえとは一言も言ってない」
取りこぼした鍵を拾い上げ、南美の両腕についてる手錠を両方解除した。がしゃんっとコンクリートの地面に転げる。
「で、止める気はないんだよな。俺らの事をこのまま消す感じだったし……」
ヱマが男の前でしゃがみこむあいだ、南美は電脳から田嶋に連絡した。第四大臣の一人が加担していた事、そしてテロ集団の暴走を止める気がない事を伝えた。
ふっと視線をやる。切り替えた視界には相手が諦めている際に出る、ホワイトカラーのセーフという文字があった。
「私を詰めたところで、終わらない」
刹那、遠くの方から大きな爆発音が響いてきた。顔をあげる。
「おいおい……マジでヤバくなってきてんじゃん」
腰をあげる。南美はマミに対して言った。
「母親とこの人を見ててもらえますか。もう動けないでしょうし、私らの痕跡を追って五月雨かドローンが来るはずです」
拳銃を片手にそう言うと言い訳も聞かずに歩き出した。ヱマも後に続く。
残された彼女は目尻に涙を浮かべたまま、よたよたと立ち上がった。横たわる母親のもとに行く。
「だから、ダメだって言ったんだよ」
意識を失った母親を見つめ、マミは五月雨隊員とドローンが到着するまでその場を離れなかった。
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