第4話
然し、緊急事態が発生した。
「すみません。僕が戻ってくるまでここで待機しておいてください」
険しい顔でそう言うと山田は慌てた様子で走って行った。身体は洗って乾かしたが水着姿のままだ、ホテルの一室には似合わない。
「まさか都市部の方で起こるとはな」
「特例地区ではないってだけで、反対派も普通におりますからね」
つい先程、都市部の大通り付近で反対派のなかでも過激な連中が暴動を起こした。情報が混雑しているが、どうやら反対派が大声で自分達の考えを主張していたところを、若い新人の警察官が注意したのが発端らしい。
そこを他の警察官が宥めに行ったが更に悪化。大和が出動する事になり、ヱマと南美の安全を保障しきれない為ホテルの一室に押し込まれた。
喉が渇いた南美が立ち上がり、常備してある冷蔵庫から水のペットボトルを取り出した。金は既に払われているので、ホテル内のお菓子や飲み物は好きに手に取っていい。
「今日はもう外には出れんでしょう」
幾らか飲んで息を吐き出した。明日の朝にはここを発つ。
「マジあのオッサンポンコツだわ」
ソファに項垂れつつ文句を言う。それを否定する気はない。事実だからだ。
その時、壁に埋め込まれた大きな液晶テレビが勝手についた。画面が少し乱れたあと、手ブレの酷い映像が映し出される。二人は驚いて注視した。
「これ、リアルタイムだな」
膝に腕をおいて前のめりに画面を見る。映像には制服を着た人間が地面に突っ伏しており、それを数人の男が取り囲んでいた。脚の間から見える警察官は二名、情報通りなら彼らが被害者だ。
「視界の映像じゃない、わざわざカメラ持って映してますね」
ソファの背に手をおいて見つめる。外部デバイス、もしくは小型のカメラで撮影している。
ややあって音が流れ出した。ざわめきと共に怒鳴り声が聞こえてくる。
『調子乗んなよ!』
『やれやれ!』
煽る声もどこからか聞こえてくる。ただ不自然なのは加害者側、反対派の面々の口調だった。
「幾ら若者の方言が薄くなったとは言え、ここまで訛りがないんは変ですね」
「そうだな。感情的になりゃ方言の一つや二つ出てくるはずだ」
彼らは本当に反対派なのか? 沖縄の住人なのか? 沖縄の歴史を、こうなってしまった黒歴史を本当に知っているのか?
映像に映る彼らの姿は、歌舞伎町で気に入らない者を取り囲むチンピラと重なって見えた。その時、カメラが大きく揺れ動いた。
次に映されたのは女の顔だった。
『見てるか。見てるだろ。これがリアルだよ。警察も非力、大和だって非力だよ』
雪女の特徴がよく現れている女の顔は険しく、声は掠れた低いものだった。口ぶりから察するに、この映像は二人に対するものだ。
映像が大きく揺れる。自分の姿と共に後ろの暴行事件が映される。瞬間、ばきんっと音が鳴り響き同時に若い男の断末魔があがった。
二人の身体が反応する。確実に骨の折れた音だ。大和は何をしているのか、全く映像に映らない。
『大和はどうしてるのかって? そりゃ場所バレてるんだから幾らでも邪魔出来るよな』
女は歯を見せて笑った。その悪魔のような笑みにヱマが立ち上がる。すぐに南美が肩を持った。
「流石に危険ですよ」
その静止に苛立った声をあげてソファに座り直した。映像は音が先に消え、後にぶつりと暗闇を映した。
恐らくこれは二人をターゲットに流されたもの。だとしたらホテルのシステムを一部ハッキングしたという事だし、それだけの技術力を持った人間が彼らの傍にいる。
「ヱマさん、デバイスは」
「持ってねえよ。部屋に置いてきた」
下手に動く訳にはいかない。監視カメラが点在しているし、山田がホテルのスタッフに一切伝えていないという事もない。専用の電話機があれば外部デバイスのみ持ってこさせる、という事も出来た。
だがここは宿泊用の部屋ではないらしく、電話機の類は一切置いていなかった。
「しゃーないな……」
電脳だけで連絡するしかない。文として記録が残りやすいメッセージやDMは無理だ。比較的残りにくい通話でないとこの話をするのは難しい。とは言え大和の回線を使うのだから、文でも大丈夫だろうが。
外部デバイスを介さない通話は不安定でその他の思考が相手に聞こえる可能性が高い。訓練をすれば問題はないが、ただの警察官だった彼にそんな技術はない。五月雨の隊員であれば全く問題なく通話出来るだろう。
「……もしもし、山田さん?」
眼を閉じて集中する。わざわざ声に出す必要はないが、そちらの方が思考と切り離せる。相手はすぐに電脳のみの通話だと察した。
『どうしましたか。何か問題でも』
僅かに息が上がっている。南美は肯き、起こった事を簡潔に伝えた。
然し長く話すとそれだけ不安定になりやすい、山田には途切れ途切れに聞こえ、ノイズも発生した。
『えっと、すみません。ノイズが……』
もう一度お願いします、そう言われなるべくゆっくりハッキリと話した。然しどうしても音が途切れる。
『ダメですね。聞こえない……とにかくホテルのシステムを何者かがハッキングして映像を流した、というのは分かりました。五月雨の支部に連絡します。南美さんと琉生さんはそのまま待機を』
映像の内容部分は上手く聞き取る事が出来なかった。然しそこだけでも十分だ。南美は「お願いします」と言い残して通話を切った。大きく息を吐き出す。
「疲れますね」
乾いた髪をかきあげ、ヱマに伝えた。肯いてから大きな画面に向き直る。
「こりゃ、事が終わり次第即帰宅だな」
静かな声音に小さく返事をし、暫くのあいだ無言でいた。それぞれの電脳空間に潜っては様々な情報を見聞きした。時にはメタバース内に軽くログインし、それらしい場所で聞き耳を立てた。
だが不意にノック音が鳴り響き、一瞬にして現実に戻された。警戒している獣のようにばっと振り向く。高級感溢れる重たい扉を凝視した。
「あの」
聞こえてきたのはか細い女の声だった。
「マミ、です。あの」
覚えのある名前に驚く。なぜ彼女がここに……?
「様子を見てこいって……」
「父親にか?」
ヱマが大きく問いかける。彼女は一つおいてから肯定した。
「なぜ父親が我々の事を?」
彼の声音は厳しく響いた。
「その、私のパパはこのホテルのオーナーで……」
山田からオーナー側に連絡があった、と彼女は続けた。二人は顔を見合わせる、半信半疑だ。
「申し訳ねえけど信じられねえな」
突っぱねた言い方に南美も同調した。こればっかりは仕方がない。マミは扉の前で俯いた。
「そう、ですよね……すみません。失礼しました」
震えた声。小さく走り去って行く音。ややあってヱマが溜息を吐いた。
「これだからあの歴史も過激派も嫌いなんだよ」
彼女は何も悪くないだろうし、とても反対派には見えない。それは二人共感じていた。
「しゃーないですよ。山田さんを待ちましょう」
幾ら時間が経ったが、空腹を感じる頃になってようやく扉の先から数人の足音が聞こえてきた。大和や五月雨が履いている軍用ブーツの音だ。硬くしっかりとした音と共に装備品の類がかちゃかちゃと続く。
「南美さん、琉生さん、無事ですか」
山田の淡々とした声に肯定する。扉が開かれると数人の大和隊員が見えた。
「今すぐ東京に戻ります」
単刀直入な言い方に二人共立ち上がった。ただ疑問がある。
「先程マミという女性が来たんですが」
遮るように答えが返ってきた。
「ここのオーナーの御息女です。恐らく父親に言われて来たのでしょう」
知っているという事は彼女の話は本当だった……申し訳ない事をしたが仕方がない。部屋までの道のりで山田は言った。
「お二方からすれば過剰だとは思いますが、琉生さんはともかく南美さんは元刑事であると公表しています。BLACK BLACKの件で名前も広まり、貴方が元刑事であるという事を知った者も多くいます。その状態で沖縄に観光、過激派によって事件に巻き込まれたとなれば事態が悪化します」
ここ最近、沖縄の過激派による事件が多発している。そのなかでもし二人が巻き込まれでもしたら……本格的に反対派と政府組織による乱戦が起こりかねない。
「琉生さんの事も、知っている人は知っている。そうなればもう結果は一目瞭然でしょう」
若い警察官が巻き込まれた、というだけでも全国ニュースになる程だ。政府としては避けておきたい。
「マジであの長官何も考えてないんだな……」
エレベーター内で溜息を吐く。山田も他の隊員もゴーレムか龍だから二人が小さく見えた。
「田嶋総裁に何度も止められていたようです」
彼女ならそんな危険な場所に二人を向かわせないだろう、頭を抱えている姿が容易に想像出来た。
「悪い人ではないんですけどねえ……」
優秀なところもあるし、一概に悪いとは言えない。だが深く考えずに判断する事も多く、落ち着きもない。先代が実の父親だったというだけで、本来なら長官に選ばれるような人ではない。
「とにかく、大和の船でこのまま兵庫の港まで行きます。既に田嶋総裁がリニアを一本手配してくださっていますから、新神戸駅から新宿駅まで向かってください」
部屋の前で山田は早口に言った。深夜は確実に跨ぐだろう、沖縄から兵庫は幾ら大和の船でも時間がかかる。
二人は身支度を済ませると山田ら隊員と共に沖縄を離れた。
船内で簡素な食事をとって暫くしたあと、兵庫県に到着した。南美の生まれ故郷だ。然し懐かしむ暇もなく、すぐにリニアの駅に向かった。
待機していた車両に乗り込む。乗客は二人以外にいない。一直線に東京へ走り出した。
東京は警察、公安、大和、五月雨の本部や本拠地が集結している。その為過激派は少ない、とは言われているが最近の事件や状況を見ると安全ではなかった。
それに東京周辺にも大和、五月雨の副拠地があり、大阪、福岡、愛知、北海道にも各地域を統括する大きな支部が存在する。やろうと思えば幾らでも襲う事が出来るし、警察、公安ならばドローンの侵入もそこまで厳しくはない。
事が本格化する前に、どうにか過激派を鎮めておきたい。然しあの映像にあったように、どうにも違和感があった。
歌舞伎町でよく見かける、タチの悪いガキ共、それが過激派の装いをしているだけのように見えた。一体この違和感はなんなのか、一先ず事務所に戻った二人は息を吐いた。
「もう深夜ですね」
窓の外からパトカーのサイレンが響いてくる。歌舞伎町にある為、深夜でも喧騒は鳴り止まない。それどころか昼より賑やかだ。
「寝れるとこあんのか?」
流石に今から川崎市に行く訳にはいかない。ヱマは一晩ここに泊まる事になった。
「上に居住スペースがあるんですよ」
キッチンや洗濯機など、生活に必要な分が揃っている一室があり、はじめちゃんの承諾を得てそこを居住スペースに改造した。ただ壁は打ちっぱなしのコンクリートで靴は履いたままだ、生活感はあるが独特な部屋になっていた。
「ふうん、まあ俺は寝れればいいから」
そう言ってベッドの淵に腰をかけた。だがふと気になって顔をあげる。
「でもお前寝るとこなくね?」
ソファは身長的にかなり寝づらくなる、かと言って床は難しい。
「泊まる事を想定しとらんので、頑張ってソファで寝るしか……」
流石に一つのベッドで寝るわけにはいかない。そもそも体格的にゆっくり寝られるだけのスペースがない。色々悩んだ挙句、結局ソファで寝る事になった。
寝転びながら煙草を咥える。外からの明かりと喧騒がよく聞こえた。
反対にヱマはベッドの上で鼻を擦った。
「めっちゃ煙草くせえ……」
苦く焼けるような臭いに苛立ちを覚えながらも、どこか安心感もあった。あの子もよく紙巻き煙草を吸っていた……夜の気配に誘われて思い出に耽った。
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