第3話
外は雲一つない晴天で、着替えた二人は強い日差しに眉根を寄せた。ヱマは流石にスカジャンを脱いできたが、南美は夏用のベストを着込んでいた。
「暑くねーのかー?」
ベストの脇を摘む。生地自体は薄いが、それでもこの暑さの下では気休め程度でしかない。
「平気です」
彼の返答にうーんと軽く唸る。それもそのはず、鬼とエルフでは基礎体温が違うからだ。ヱマからすれば夏にダウンジャケットを着込んでいるようなもの、暫く南美を見ては暑くないのかと聞きまくった。
「私、沖縄の街並みを見てみたいんですけど」
窺うような口調にヱマは適当に答えた。
「いんじゃね。俺は少なくともバレやしないし」
ただ勘の鋭い者がいれば話は別だし、南美はホームページに元刑事というのを記載している。多少の可能性はあった。
「まあ、行ってみますか」
とは言え気にしたところで無駄だ。気づかれたらその時、それに相手も文句を言うこと以外に出来る事はない。
リゾート地を離れ、少し田舎の方に行く。すると沖縄特有の民家が多く見えてきて、華やかなハイビスカスが出迎えてくれた。
とある家の塀の上には手作り感のあるシーサーが置かれてあり、南美はそれを写真に収めた。ヱマもこうして遊びとして来たのは初めてだから、彼の被写体になる事もあった。
「もう後半ヱマさんばっかりなんやけど」
アイスクリームを片手に外部デバイスの画面をスクロールする。対して当の本人はそ知らぬ顔でマンゴー味の少し高いアイスクリームを味わった。
然し。何かが彼の持っているデバイスを吹き飛ばし、地面に数回叩きつけられた。ヱマの方が先に反応し、飛んできた方向に視線を向けた。
「石投げたのテメエらだろ!」
立ち上がって叫ぶ。視線の先には四人程の少年少女がいた。地元の子だろう、満遍なく肌が焼けていた。
「ちっ……立派な傷害罪ですよ」
デバイスを持っていた左手を見せながら南美も腰をあげる。手の甲に赤い擦り傷が出来ており、既に腫れ始めていた。
だが彼らは臆する事なく叫び返した。それはリーダーらしき少年で、明らかに体格が違う。石を投げた張本人だろう。
「元刑事が沖縄に来んな!」
響き渡る声。周囲で無関心を決め込んでいた大人達が一斉に振り向いた。
「元刑事を庇ういゃーも同類ど!」
その瞬間、大人達のなかからそうだそうだという声があがった。二人は複数の見えづらい敵意に言葉を失い、周囲を睨みつけた。
帰れ、消えろ、そんな言葉がだんだんと大きくなる。勿論反対派以外もいる、然し彼らは口を噤んで存在を隠す。故に二人には敵の眼だけが見えた。
「分かりました。分かりました。デバイスだけ取らせてください」
南美が両手を見せて転がったままのそれに近づいた。だがサングラスをかけた初老の男が足で踏んづけてしまった。僅かにぱきんっと割れた音が鳴り響く。
「……訴えてもええですかね、これ」
流石に怒りが抑えきれなくなる。震えた声に初老の男は無表情に言った。
「ここは特例地区だ。諦めろ」
更に力を加えると今度は大きく音が鳴り響いた。男の言葉に反応したのはヱマの方だ。
「はあ? この数年で指定される訳ねえだろ。言い逃れじゃねーのか?」
それに軽く視線をやって、同じ調子で言った。
「もう十年以上前からそうだぞ。リゾート地と都市部以外は全部」
全く知らない情報に彼女は小さく「はあ……?」と困惑を口にした。
「その口ぶりとその角とそのホクロ。アンタ元長官だろ、公安の」
ざわめきが広がる。警察よりも権力がある公安は酷く嫌われている、そして男の言う通りここが特例地区なら……ヱマは危機感を覚え、南美の腕を引くと走り出した。
慌ててついて行く。地獄から抜け出すように都市部の方へ向かった。
「はあ……クソ」
大きく足を踏み出し、立ち止まった。わっと体温があがったので汗が吹き出てくる。南美は軽く息を切らしながらも問いかけた。
「ヱマさんを見抜いた男、見覚えあるんですか」
「いや、ねえ。けど……」
口元のホクロの位置まで彼は記憶しているようだった。確かに髪色も角の色も染めていないから昔と同じだ、然し青髪なんぞ幾らでもいる。角の形も特別なものではない。傷があるとか、折れているとかいうのでない限り、そう簡単に見分けはつかない。
ヱマは当時の記憶を呼び覚ました。沖縄には三回程来ている。その大半は都市部での仕事ばかりで、出会った相手も大和や警察組織の人間ばかりだ。
だが現地の人間と全く出会わなかった、という事はない……過去を睨みつけるように眉根を寄せ、振り向いた。
「俺は別にいい。だがアンタは今丸腰だ。なるべく安全なとこで遊ぶぞ」
そう言ったものの、気持ちを切り替えるには大きなエネルギーが必要だった。何より南美の手に傷が残っている。
「……あの人、沖縄が殆ど特例地区なの知っとるんですかね」
流石に片手では難しいので、ヱマが軽い処置をした。その辺の石ころを投げつけられたから消毒は必須だ。赤くなった手の甲に軽く染みた。
「さあな。俺でも知らなかった事だ、同じ立場のあの人だけが知ってる訳がねえし、基本ポンコツだけど裏表はねえからその辺は信じていいだろ」
擦り傷とは言えそれなりの大きさだ、包帯を巻いて保護したあとぽんっと叩いた。軽く痛みが走って咄嗟に手を引っ込めた。若干苛立ちながらも手の甲を擦り、溜息を吐いた。
「どーしますかね。遊ぶ気になれませんよ、正直」
腰をあげ、少し考えた。然し考えたところで無駄だ。
「とりま海行かね。泳げば自然と楽しくなるかもよ」
見上げた彼女の顔はにかっとした笑みを浮かべていた。だがどこか思い悩むような影があり、南美はそれを敢えて無視して立ち上がった。
「そうですね。折角水着も買いましたし」
このままうだうだしていたって何も変わらない、二人は一旦自室に行って各自着替えた。
「お前髪下ろすと雰囲気変わるよな」
ビーチサンダル特有の音が響く。ヱマは右の義足を隠す為、個性的な形の水着を着ていた。対して南美はごくごく普通の格好だ。
「意外と人の事見てるんですねえ。髪下ろしてるのなんて朝方ぐらいやのに 」
エルフにしては筋肉が多く、狐にしても肌が白っぽく背が高い南美はそれだけで目立つ。そのうえ身体つきがハッキリしていて、個性的な水着を着こなしているヱマもいる。二人はホテルを出てからずっと注目の的になった。
然し当の本人は全く気にしていないどころか、気づいてすらいない。ヱマの水着が肩のところで捻れているのを見つけて、なんの躊躇いもなく正してやった。
「ん、おおセンキュ」
「いえいえ」
二人にとっては当たり前の事だが、周りからすれば恋人同士かそれ以上の関係性に見えた。南美が海の中に潜っているあいだ、ヱマは各地点に刺さっているパラソルの下でソーダを飲んでいた。南美が水面に顔を出したり出さなかったりを、遠くから眺めてはストローを咥えた。
「めっちゃ美人っすね」
不意に声をかけられる。視線をやると如何にもと言った風貌の三人がヱマを見ていた。下心のある目つきに冷たく視線を外す。
「ども」
全く靡く気のない彼女に三人は誰が行くかわちゃついた。
「どこから来たんすか? 俺ら埼玉から来たんですけど」
興味のない人間の話にヱマはソーダを啜った。一息吐いてから睨みつけた。
「お前ら、警察庁長官の息子だろ」
そのわざとらしい言い回しに三人はビクッと肩を震わせた。溜息を吐いて視線を海に戻した。
「悲しむぞ、お前らの父親。こんなとこでダッセーことやってるって知ったら」
鼻で嗤うと三人、いや三兄弟はあからさまに萎んだ。然し彼らが長官の息子である事は勿論公表されていない、一般人だから当たり前だ。だとしたら知っている人間は限られてくる、不審に思って長男が問いかけた。
「あの、なんで俺らが父さんの息子だって……」
特別隠す事もないので、ヱマは素直に答えた。それを聞いてあっと声を漏らす。
「ちょくちょく家に来てた、あの怖い女の人だったんすか?!」
三人のなかに今より髪が短く無表情だった頃のヱマの姿が思い浮かんできた。あの人だったのかと思い思いに驚いたあと、質問した。
「今は何してるんすか?」
「あそこにいるエルフの男とバディ組んで何でも屋やってる。ま、正式に雇われてはないからフリーターだけど」
すっと指をさした先には丁度海から上がってくる南美の姿があった。見覚えのある顔立ちに三人はまたも驚く。
「え、あの人って、元捜査一課の……」
警察庁長官を父に持つからだろうか、一応知っているようだった。ヱマは肯き腰をあげた。南美に軽く手を振る。
「って事は、例の二人組って事?」
「White Why、だっけ」
「だと思う。けど何しに来たんだろうな……」
彼女が三人の事を紹介すると南美は軽く頭を下げた。それから長男が問いかけた。
「でもなんで沖縄に? 仕事って感じには見えないっすけど……」
首を傾げる彼にヱマが答えた。
「アンタらの親父さんから言われたんだよ。沖縄に旅行して来いって」
三人はそれを知らないのかまた驚いた。いちいちリアクションの大きい兄弟だ。
「親父、相変わらず人がいいみたいですね」
長男が困ったように言う。彼ら三兄弟は警察の道に行かず、地元の埼玉でそれぞれ働いている。その為最近の父親の行動は知らないのだろう。
折角だからと二人が父親の事を話した。
「妹の事も知らなかったのかよ」
三人は実の妹がBLACK BLACKの被害に遭っていて、それにより父親が脅されていた事も知らなかった。言い訳をするようにバツの悪い顔で「忙しかったんで」と言った。
「だとしてもよお……父親とは連絡取り合ってねえのか」
それに長男がかぶりを振った。
「あの人基本的に連絡するの得意じゃないっつーか、あんましないタイプなんすよ。だから俺らからやらないと何も連絡して来ないんです」
また困ったように眉をあげる。相当抜けたところがあるらしい、南美は苦笑した。
「なるほどな……って事はここが殆ど特例地区なのも知らなくて当然か……」
ヱマが呟くと眼を丸くした。
「特例地区?」
「ああ、リゾート地と都市部以外全部らしい。表に出してないんだってよ」
特例地区は政府が定める。恐らくだが反対派が抵抗として情報の規制を行っているのだろう、ほぼ全域が特例地区となれば観光客も減るし何より政府に烙印を押されたと認めるようなものだ。
特例地区の公開は各都道府県が行う。沖縄の県知事は反対派だから簡単なのだろう。本来なら違法なのだが、特殊すぎて介入も難しい……。
「俺もさっき知った」
南美の手に石が投げつけられた事を言うと長男は叫ぶように言った。
「えっ、それアウトじゃないすか。警察か大和支部に」
それに彼が引き止めた。
「特例地区で起こった事は些細な事やったら黙認されるんですよ。下手に言うと次は君達が狙われる」
警察庁長官の息子となれば余計だろう、南美は濡れた髪を後ろに撫で付けた。
「私らはもうバレてるでしょう。リゾート地でもあんまり一緒におらん方がいいです」
「そうだな。全く現地の人間がいねえとも限らねえし……」
マミの事を思い出し、今頃どうしているのかふと思った。かなり厳しい家にいるようだし、心のどこかで心配していた。
兄弟とはそこで別れ、気持ちを切り替えるとレースを提案した。海まで走り、泳いで端の方まで行き、そこで折り返して泳ぐ。また砂浜を走ってここのパラソルまで戻ってくる。
南美はそれを受け入れ、ヱマは気合いをいれた。気にしたところで意味はないし、帰れる訳でもない。全力で楽しもうと砂浜を蹴り上げた。
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