第8話 キンメルの困惑

【1941年12月8日】


 米海軍のハワイ基地は困惑に次ぐ困惑により混迷を極めた。


 もとより、日本がアメリカ、イギリスの連合国に対し、ようやく宣戦布告することはわかっている。日独伊三国同盟でドイツ・イタリアと手を組んだ。両国はすでにヨーロッパ戦線で暴れ回るが、日本はヨーロッパ戦線に不干渉を宣言し、徹底的に介入を避ける。


 1941年の末まで引き延ばされた。そして、遂に日本はイギリスとアメリカに宣戦布告する。宣戦布告と同時にイギリス領マレーのコタバルに強襲上陸し、タイにも在英軍を蹴散らし名ばかりの平和進駐を行った。マレー上陸から対英戦が開始されて、自動的に対米戦も火蓋が切られる。


 対米戦ではフィリピン北部に対し大規模な爆撃と襲撃が仕掛けられた。宣戦布告したにもかかわらず、何も起こらない「まやかし戦争」は知らない。フィリピンやマレーに進撃すること自体は若い兵士でも予想できた。


 ハワイに留まる太平洋艦隊のキンメル大将以下は、最初の急報こそ案の定と呑み込む。しかし、対日戦に備えて西海岸から移動中の潜水艦から、届きたてほやほやの報告に眉をひそめた。


「大量の駆逐艦と巨大船が西海岸に迫っている。その潜水艦の艦長は精神状態が芳しくないと思いたいな」


「それが副長も確認したそうです。あまりにも信じられないので、手の空いた兵にも確認させたとも」


「馬鹿馬鹿しい話だが、虚偽の報告をすることもなかろう。ハワイを狙うわけでもなく、我々の本土を脅かそうと言うのか。だが、それには明け透け過ぎ、罠にしか聞こえんぞ」


 その潜水艦は多量の護衛艦に囲まれた「島」を確認している。あまりにも、馬鹿げた光景に幻覚や精神的な疲労を疑い、艦長から副長、副長から手の空いた兵士、兵士から艦長の三重で再確認を挟んだ。なお、どうしても、島が移動している以外に見えない。これを追跡するか迷ったが、多量の護衛艦がおり、追跡は危険と報告に留めた。


 キンメル大将も日本の奇策を理解できない。彼の部下も一様に首をかしげた。日本が巨大戦艦を建造している。そのような噂は聞いたことがあるが、島を作っているとは到底信じられなかった。誰もが意図を読めず、硬直を余儀なくされる。


 ここで情報戦を担う暗号解読のプロが一つの可能性を示した。


「私は巨大な輸送船だと考えます。日本は完全勝利でなく講和を目指していること。これは誰もが存じました。日本軍は南方地帯を制圧すると見せかけ、本国に奇襲上陸して侵攻する。こうすれば政府が講和交渉のテーブルにつくと考えたのでしょう」


「そうか。あれだけの大きさなら、中に万人規模の兵士と戦闘車両、武器弾薬、食料まで積載できる。太平洋を横断する補給を何度も繰り返すのは面倒だ。であれば、一度に兵も武器も食料も揚陸する方が手っ取り早い」


「いかがでしょうか」


 流石は暗号解読から情報戦のプロフェッショナルである。かなり説得力のある説明が行われた。これにはキンメル大将以下も唸らざるを得ない。アメリカ海軍の認識では、日本海軍は41cm砲搭載の戦艦は建造できた。しかし、要塞規模の水上艦は絶対に不可能だろう。ただ、これは軍艦に限った話なのが肝だった。


 最初から性能は抑えられて武装も必要最小限の輸送船である。船体を構成する材質は入手し易い低品質の鉄鋼材で構わなかった。そして、建造法は民間船と同様で建造に関するハードルは下げられる。あくまでも、人と物を運ぶ船のため武装は自衛程度の貧弱でよかった。


 日本海軍もれっきとした大海軍のため、色々と制約を設ければ可能性は急浮上する。


「大量の護衛艦が対潜警戒なら辻褄が合う。南方に出撃した艦隊は囮なのか」


 超巨大な輸送船に数個師団で数万人の兵士、戦車など戦闘車両、小銃から機関銃、野砲まで武器弾薬を満載する。さらに、長期間の戦闘に耐える食料も詰め込んだ。このような大兵力と対応する物資を一遍に揚陸する。つまり、米本土上陸から前線維持に係る補給の面倒を省略した。


 輸送船団を日本の勢力圏から米本土まで、太平洋をピストン輸送するのは骨が折れる。単に運ぶだけに留まらず、敵の潜水艦や空襲を絶えず警戒した。開戦直後の態勢が整い切っていない虚を衝き、一度にどっさりと運んでしまえば幾らかは楽になる。そして、上陸地点から電撃的な侵攻を行った。


 米本土の都市一つ一つを占領しては政府に揺さぶりを仕掛ける。一時的な停戦の交渉から本格的な講和の交渉に持ち込んだ。米軍も日本が完全勝利を望んでいるとは思わない。適度に勝ちを重ねテーブルに座らせるのが終着点と見透かした。


「そんな奇策を講じてくるとは…」


「感心している余裕はありません。本国の上陸を許せば海軍の威信は失墜します。陸軍に予算を分捕られる羽目に」


「そうです。ここは海軍の威力を示さなければ。マッカーサーなどの陸軍をアッと驚かせないといけません」


 部下たちはいっせいに撃滅を主張する。敵は護衛の駆逐艦が大量と丸腰の巨大輸送船が1隻だ。これを一挙に沈めるため太平洋艦隊の総力出撃を訴える。対日戦に際して陸軍と海軍は予算の奪い合いが過熱した。大戦果を挙げられてなくても、本土上陸は必ず阻止する。上陸を許した場合は単に海軍の失態に始まらず、地上戦で陸軍が戦功を重ねてパワーバランスが崩れた。


 その割には迎撃の戦力が過大と指摘される。いいや、これは絶好のアピールの場で陸軍をけん制する意味が込められた。本土の目前とはいかなくても、近場で勃発した大海戦に勝利する。


「仮に罠だとしても、多少は本国から支援を受けられる。ハワイに敵艦隊が迫っても空母は帰還する。癪だが陸軍も含めた基地航空隊で撃退できるはずだ。よし、太平洋艦隊を迎撃に向かわせるぞ。これは訓練ではなく実戦と急がせろ」


「Yes sir!」


 キンメルは直ちに太平洋艦隊の出撃を命じる。ハワイの太平洋艦隊は比較的に古い戦艦と空母が占めた。その中で空母は各艦が整備で動けない、または島へ航空機輸送任務にあたる。よって、戦艦隊が基幹となり護衛艦に巡洋艦隊が付き従った。キンメル大将が総力出撃と息巻いている割に巡洋艦と駆逐艦は残される。これは日本海軍と思われる潜水艦が出没しており、敵の潜水艦の侵入を防ぐため、かつ帰投中の空母を守るため、軽めの戦力は居残りさせた。


「どうも、嫌な気がします。せめて、空母の帰投を待ってからでも」


「確かにそうかもしれない。しかし、事は急を要する。なに、敵は輸送船と駆逐艦だけなんだ」


「わかりました。では、私は変わらず暗号解読に努めます」


 ハワイは楽観から一転して緊張感に包まれる。キンメル大将は直ちに第一戦艦隊と第二戦艦隊を集めさせるが、水兵は前日のパーティーでボケており、準備は遅々として進まなかった。キンメル大将は直々に陣頭指揮を執る。なお、ハルゼー中将やスプルーアンス少将は先述の任務で不在である。キンメル大将はやむを得ないと自ら戦艦隊を率いた。


 もっとも、ハルゼーとスプルーアンスの両名には、帰投を早めるか、遅らせるか、の判断を各々に委ねている。どちらでも構わないが、ハルゼーの部隊は局所的なスコールに遭遇した。荒天により駆逐艦1隻に亀裂が走るという不運に襲われている。彼は盟友のスプルーアンスと協議して帰投を遅らせた。二人共にハワイまで日本軍が襲来するとは考えない。ここは損傷艦も含めた全艦艇をハワイに戻すことに注力した。


 彼らの判断は当時の状況では至極妥当と評される。


 キンメル艦隊は二個戦艦隊と二個巡洋艦隊で出撃した。ハワイに敵艦隊が来襲した場合は、一個戦艦隊と巡洋艦隊、駆逐艦隊、陸軍と海軍の基地航空隊が迎撃する。日本海軍が南方への侵攻で戦力を割いたことを知り、大飯食らいの大艦隊をハワイに派遣する余裕は無いと読み切った。


 確かに、大艦隊という戦力は差し向けられないが、闘志を燃やす猛将は虎視眈々と空母を狙った。


 それでも、キンメルは勝利を確信している。


 偉大なアメリカ太平洋艦隊に勝利があらんことを。


続く


アメリカ海軍太平洋艦隊【出撃】

〇艦隊司令官:ハズバンド・キンメル大将

第一戦艦隊

・アリゾナ

・ネヴァダ

・オクラホマ

第二戦艦隊

・ペンシルバニア

・カリフォルニア

・テネシー

第六巡洋艦隊

・ニューオリンズ

・サンフランシスコ

第九巡洋艦隊

・フェニックス

・ホノルル

・セントルイス

・ヘレナ


※油槽船数隻が途中まで随伴して洋上補給を行う

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