第3話 都会の肝試し
今日のような暗くて明るくて、暑くて涼しい真夏の日暮れ時になると、小学生の頃の想い出が蘇ってくる。友達と一緒に、生まれて初めて肝試しに行った想い出だ。
当時、私は感受性が豊かだったこともあり、お化けや幽霊が大嫌いだった。その頃は、トイレへつづく暗い廊下や、シャワー中の背中の鏡に怯えていた。そんな私がなぜ肝試しに行ったのかと言えば、簡単な話で、小学生ながらに、いや、むしろ小学生だからこそ私にはプライドがあったからだ。
「全然恐いなんて思ってないよ。いいよ、行こうよ」放課後の教室で、私は友人二人と約束して、近所の寺の裏にある小さな霊園に肝試しに行くことになった。当時私の住んでいたところは、新宿へ電車に乗って30分で行けるところで、近くには片道2車線以上ある道路があって、うっすらとビルや都庁の影が見えたのだった。
私たちは門限があったから、4時ごろに寺に集まって、肝試しをすることになった。寺に着くと、怖がっていることを二人に悟られないよう気丈に振る舞っていたことを今でも覚えている。今思い返せば、近くを車の音が聞こえていて、肝試しだなんてとてもじゃないが言えたものじゃなかったわけだが、「よし、じゃあ行こうか」と私たちは恐る恐る霊園へと入っていったのだった。
霊園は住宅街にあって、とても小さく、サッカーのグラウンドの半分もないほどの広さで、周りはブロックでできた塀で囲われていた。しかし、当時の私を構築する小学生の世界からすれば、十分広く感じていたのだった。足も微かに震えていて、私はかなり怖がっていたのを覚えている。もしかすると、肝試しという言葉の響きが怖かったのかもしれない。私たち三人は、霊園のなかをゆっくりと歩いて回った。
友人が横で何かを喋っていたが、緊張状態だった私には聞こえていなかった。ただ、どうすれば怖くなく感じるか、それだけを考えていたのだった。それで私は、お化けや幽霊を否定するために、小学生なりに論理的、科学的に存在を否定しようと考えた。そして、この「小学生なり」というのがとても重要なところで、小学生的な論理性や科学性のなかに、小学生的な柔軟で奇抜な想像が交わったのだった。
私は怖さを紛らわすためにこう考えたのだ。『怖くはない。ただ、土の中に遺体が埋まっているだけだ。これらすべての墓の下には、墓の数だけの遺体がただ埋まっているだけなんだ。お化けなんかじゃない。それぞれの生きた人たちが埋まっているのなら、むしろ怖がるべきじゃないんだ』と。しかし、むしろこの遺体が埋まっているという考えが、私の豊かな感受性を刺激して、より一層恐怖を感じさせたのだった。
そして、この土に遺体が埋まっているという考えは、まさしく小学生的だった。当時の私は、墓とはすべてが土葬だと考えていたのだ。この霊園には墓の数だけの死があって、その中を若くてみずみずしい三人の命が歩いて回っている。そして、そこに想起されるのは、お化けだとか幽霊だとか、そうした具体的に描かれる恐怖ではなくて、漠然とした、ものすごく抽象的な恐怖だったのである。
霊園を回り終えて、肝試しを終えると、「全然怖くなかったな」と言う二人の友人と私は会話を合わせた。しかし、その内心は何か落ち着かない、ざわざわとした不安に飲み込まれていたのを覚えている。
友人と別れて家に向かう帰り道、門限が迫り、月が見え始めてあたりも暗くなっていた。夜のベールが私の世界を覆っていき、得体のしれない恐怖を感じた私は、とにかくがむしゃらに走って家に帰ったのだった。
妖怪よ何処へ 箱陸利 @WR1T3R
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