第2話 真夜中の踏切

 まただ。新宿から家に帰ろうと思ったら、電光掲示板に「人身事故の影響で、一部運行に遅れが生じております」と出ている。東京は相対的に人身事故が多いのだろうが、それにしても人の死が日常化しすぎているような気がする。

 


 

 しかし、人身事故というものは悲しくなる。高速で走る鉄の塊に飛び込んで自らの命を投げ捨てるなんて。本来の用途は人々を運ぶものであるはずなのに、命を奪うものとして利用してしまうのだ。自死に対しては人によって色々と意見があるとは思うのだが、人身事故に関しては、自らの命をあそこまで利己的に軽視していることには問題があると思うのだ。


 一方で、もはや人々がそれに対して何とも思わなくなっているという状況も悲しくはないだろうか。人々はもはや電車が遅れることにのみ憤りを感じているのだ。余計なことをしやがってと人は思っているのだ。


 それに、運転が再開することもひどく早いではないか。それは優秀だということでもあるのだが、こうも手際よく人の死が処理されていくなどということは、それは、ひどくグロテスクなことではないだろうか。ああ、人の死というものが、あれほどまで簡素化されているのはひどく悲しくはないだろうか。


 だからこそ、あの状況は異常なのだ。誰もが死というものを構造の中に当たり前のこととして埋め込んでいるような状況は異常以外の何ものでもない。人身事故とはなんと悲しいことではないか。




 少し話は変わるのだが、私の家の近くには開かずの踏切がある。踏切が遮断したままで、なかなか開かない。開いたと思ったら、またすぐに警報音が鳴って閉まってしまう。そんな開かずの踏切だが、東京のような交通インフラの発展したところでは、社会問題となっているものなのである。


 短い間しか開かない踏切というものは、全くおかしな話だと私は思う。なぜって、踏切としての利便性がそこにないからだ。だって、そうだろう。もっと別の場所に踏み切りを建てるべきではないか。そこに踏み切りを建てる意味が別にあるというのならば話は変わってくるとは思うのだが。




 そのうえで、これから話を聞いてもらいたい。それと、これは飲みの席で私の友人から聞いた話だから、眉唾まゆつばな話であるということは留意してもらいたい。


 友人によると、日課として彼は夜にランニングに出ているのだそうだ。夜は人が少ないし、静かだから、走ることに集中できるのがいいのだという。それで、普段は川沿いを走ることが多いのだが、ある夜、彼は気分転換に線路沿いを走ることにしたのだそうだ。私には全く理解できないことなのだが、電車も人もいない静かな線路を横目に風を切って走ることが心地よかったのだという。


 20分ほど彼が走っていると、前述した開かずの踏切が前方に見えだした。友人は、そんな踏切をぼんやりと見ながら「日中はせわしなく人の行き来があって警報音のうるさい踏切も、夜中になると打って変わってとても静かなのも、夜に走らないと気づかないことだな」などと呑気に思いながら走っていたのだ。


 すると、突如として、誰もいないはずの踏切が音を立て始めたのだという。とっくに最終電車はなくなっているのにもかかわらず、カン、カン、カン、カン、という甲高い警報音がひと気のない夜の虚無に響き渡ったのだ。


 夜の静寂しじまな世界を、異様な警報音が砕いたから、何事かと彼は思わず驚いてしまった。見ると、確かに踏切の方から音がしていて、赤いランプがチカチカと光っているのも確認できた。それで、「故障したのか、気味が悪いな」などと思いながら、彼は走るのをやめて、何の気なしに踏切の方をじっと見たのだという。






 その瞬間、彼の全身の血の気がサーッと一気に引いて行った。彼はぞくぞくと体の内側が冷えていくのを感じたのである。そして、あまりの恐怖に彼は嗚咽しそうになった。




 そこには、ぼんやりとしてはっきりとは確認できなかったものの、4、5人ほどの黒い影が線路内にいたのだ。動くわけでもなく、ただ滲むように夜の闇の中に立ちすくむ影がそこにあったのである。




 「何なんだ、あれ?」彼は膝の震えから、立つのもやっとだった。なぜ彼がここまで恐怖しているのか、それは、その影が遠くからではうまく視認できてはいないものの、間違いなく生きている人間だったからである。幽霊だとか、そんなものではないことがはっきりと彼にはわかっていたからである。そして、だからこそ、生身の人間が深夜の踏切の中にいる光景が異常であり、恐怖したのだった。


 「早く帰らなければ」慌てて彼が道を折り返して帰ろうとしたその時、突然どこからともなく電車の警笛が聞こえた。その警笛は、心なしか長く響いた。しかし、彼は振り返らないようにした。







 彼の後ろで鈍い潰れるような音が聞こえた。



 

 


 直後、彼の横を黒い電車が高速で通過した。電車の明かりは、全くついていなかった。車内は無人で、運転士すらいなかった。そしてそのまま、電車は遠くに走りさっていったのだった。




 私が「本当なのか?」と聞くと、「あの時は眠かったから、実際のところよく覚えてはいないよ」と言った。「居眠り運転と一緒で眠い中で走るとよくないからな」と彼は言う。しかし、それ以降、夜中に線路沿いを走ることはなかったそうだ。

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