妖怪よ何処へ

箱陸利

第1話 暗い道

 




 罪を自白しよう。


 






 妖怪を殺したのは私だ。 


 



 私は視力が悪い。眼鏡やコンタクトが無ければ視界がぼやけてしまって何も見ることができないくらいには視力が悪い。そんな私の趣味は、眼鏡もかけず、コンタクトもつけずに外を散歩することだ。そうすると、見知った道でも初めて歩いたような、何かふわふわとした感覚に襲われるのだ。イヤホンをつけて歩くとなおいい。ただし、音楽は流さない。視覚と聴覚が制限された状態で外を歩くと、それ以外の感覚が研ぎ澄まされ、未知なる体験ができるのだ。


 夏のある日の夕暮れ時のことだ。詳しい地名は言わないが、私は東京のM市周辺をコンタクトもつけずに散歩をしていた。その日は夏の暑さにかこつけて、私は一日中家でダラダラと過ごしていた。きっと共感してくれる読者は多いと思うのだが、その日は私は無益に時間を消費して、気付いたときには陽が沈みかけていたのだ。その日も私は、何かしようと考えながら、何かしなければと考えながら、なぜか時間が永遠にあるかのようにふるまってしまったのだ。


 外に出て散歩でもしよう。そう思い立ったのは、趣味だからというよりは、「今日は散歩をしたから無駄な日ではない」と自分を正当化するためだった。それで私は、家から5駅ほど離れた有名な神社までダラダラと歩くことにしたのだ。


 なぜその神社に行くのかなんて理由は特にない。ただ、1時間か2時間ほど外を歩きたかったからという程度のものだ。ただ「外を歩いた」という実績のようなものが欲しかっただけだった。


 歩いたところで、視界はぼやけているから外の景色を景色として認識することはできなかった。耳にはイヤホンをしているから、外の環境音も聞こえはするのだが、それを音として認識してはいなかった。だから、ただ私はてくてくと歩くだけだった。


 私は本当にてくてくと歩いているだけだった。私は足を動かして前へ前へと歩みを止めないだけだった。何か考え事をしながら歩いているわけではない。ただ無心に右足と左足を交互に動かしているだけだった。また、たとえ何か考え事をしていたとしても、すぐに何を考えていたのか忘れてしまっていた。そんな結局何も考えていないのと変わらないような状態で歩いていたのだった。


 神社の近くまで私は歩いた。時刻は18時をまわっていた。足の疲れも感じないで、汗も大してかかないで、私は神社の近くまで歩いてきていたのだった。鎮守の森というものがあるが、その神社の周辺も自然があふれていた。石畳の道の両端には竹林があって、街灯の明かりも小さく、まばらにしかなかった。


 なるほど確かに神聖な場所だなと私はその時に思ったのだが、しかし、それにしても暗すぎはしないだろうか、と私は思った。視力が悪いこともあって、道の先が暗闇でまったく見えなかった。私の足が一瞬、歩みを止めた。そして、突然、私は「恐いな」と感じたのだった。


 その時に思った。18時とは逢魔が時ではないか、と。昔の人々が魔物に遭遇すると思われていた時間ではないか、と。思い返せば、その神社の近くは妖怪とゆかりのある土地だったのだ。


 それで、「ここで折り返して帰ろうか」とも思ったのだが、私の足はなぜか、前へ前へと進みたがった。暗闇へと一歩、また一歩と近づいて行ったのだった。呼吸が浅くなっているのを感じた。暗闇から無がこちらを覗いているのを感じた。しかし、不思議なことに、私の足は決して歩みを止めなかった。


 もしかしたら、私が歩いているのではなくて、暗闇が飲み込もうとしているのではないか。そんな気さえする。やはり、思い直して折り返した方がいいのではないか。しかし、体はそんな思いとは裏腹に、一歩一歩進んでいった。


 そして、私はついに暗闇へと足を踏み入れた。ついに暗闇に足を踏み入れたのだ。そうだ。ついに足を踏み入れたのだが......


 何てことはない、ただの道が続いているだけだったのだ。


 帰り道もその暗闇を抜けたのだが、もはやさっきほどの恐怖は感じなかった。ただ街灯の明かりがないから暗くなっている道というだけだった。


 ああ、きっと昔は妖怪がいたのだろう。逢魔が時に、あの暗闇から無数の妖怪が出てきていたのだろう。だから、人々は暗闇を前に折り返す選択をしたのだろう。しかし、私はあいにく引き返さないで暗闇を抜けた。なぜなら、妖怪だとか形而上の存在は信じていないからである。


 しかし、一方であの時は確かに恐怖を感じていたのである。そんなものを信じていないのにもかかわらずである。ああ、あの感覚はどこに行ってしまったのだろうか。


 


 暗闇を抜けずに引き返していれば、そこには妖怪がいたのである。ああ、しかし、私は引き返さずに、暗闇を抜けてしまったがばっかりに、私は妖怪を殺してしまったのである。


 


 しかし、私の体が私の想いに反して暗闇の中へと進んでいったのは、今思い返しても不思議なことなのだが......

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