キミは明日、引っ越してしまうから

竹部 月子

第1話 小学生だったキミ

「おじゃましまぁーす……うぅー?」

 そっと玄関の扉を開いた園田そのだすみれは、挨拶の途中で目を丸くした。

 急なヘルプコールを受けてかけつけてくれた割に、きちんと髪を整えて薄くメイクしている。

 部屋をぐるりと見渡した後で、ものすごく困った顔でキミを見つめた。


 彼女はだいたい、優しそう、おとなしそう、なんかちょっと眠そう、と評される。

「……思ってたより、全然ヤバいよ」

 おっとりとした声に「ヤバいよ」と言われれば、あらためてキミも危機感を抱く。時刻はすでに23時をまわっていた。

 

「明日の朝9時に引っ越し業者さんが来て、12時には大家さんに鍵渡すんだよね?」

「この時間で、完成した段ボール箱が2個だけは、かなりのピンチだよぉ」

 正確には段ボール2つと、パイプベッドの解体が終わって力尽きたところだ。布団は床に投げっぱなしになっている。

   

「夜遅いし、お隣さんに怒られないように、小さい声で話さなきゃね。とりあえずどこから手をつけようか」

「よし、まずはテレビ周りからね」

 段ボールを組み立て、ビーっとガムテープが貼られる音にまぎれて、申し訳なさそうに謝ったキミに、彼女はぽわんとほほ笑む。

「水くさいこと言わないの、間に合うように頑張ろ?」


「相変わらず、ゲームセンターみたいな部屋だよね。どれがどのコードか分からないから、ゲーム機はキミがやって。私はソフトをしまっていくね」

 ホコリのついた電源コードをキミがフッと吹いてからまとめると、彼女は手で口を覆ってクシャミした。


「ふぁ……ッ、チュン、チュンっ!」

 特徴的なクシャミに、キミは笑う。

「別に我慢してるわけじゃないんだってば。ううん、風邪じゃないよ、ちょっとホコリで鼻がムズムズしちゃった。少し窓開けてもいいかな」


「あっ! このソフト、昔みんなでやってたやつじゃない? リアルな車でレースするやつで、キミが強すぎて、最後には誰も勝負しなくなったんだよね。この頃からキミの車好きは始まってるのかな」

「ふふ、そうだよ。転校してきたその日に、6人くらいで家におしかけたから、キミのお母さんをびっくりさせちゃったの」


「そう、キミがうちの学校に転校してきたのは、小学3年生の夏休み直前だよ」

「終業式にひまわりの鉢を持って帰らなきゃいけなかったんだけど、私のひまわりだけ、すっごく大きくなっちゃって、前がよく見えなくてフラフラ歩いてたら、代わりに持ってくれたじゃない」

「えー? 覚えてないの? 『いいよ、オレ……身軽だし』ってちょっとカッコつけた感じで……」

 キミの片手で両頬をムニュっと挟まれると、彼女の唇がくちばしのように前に突き出る。 

「ひゅいまひぇん、余計なこと、いいまひぇん」

 

 しばらく「ピヨはひどいよ」と頬をさすりながらも作業は進み、テレビ台が綺麗に片付いた。 

「テレビも何か箱とかに入れなきゃいけないかな? そっか、テレビとか冷蔵庫とかは明日引っ越し業者さんがやってくれるんだ。助かるね」

「じゃ、これでテレビ周りはおしまい、続けてお隣の机をやっちゃおーう」


「よく考えたら、テレビの横にデスクって気が散らない?」

「えっ、ゲームしながら卒論書いてたの? よくそれであの気難しい教授から合格が出たね。すごいね」

 3段目の引き出しを開けた彼女はあきれたような顔でキミを見る。

「こんなところに無造作に卒業証書を入れてぇ。うわ、下に高校の卒業証書、その下は中学の卒業証書! 漢字検定は6級、おめでとう!」


「あとは……あ、これタロの飼い主探しの時の写真だ!」

 写真の中では、キミの家によく遊びに来ていた友人たちメンツが、「いぬもらって」と一枚ずつヘタクソな字で書いた紙を持っていて、幼い日の彼女が茶色い子犬を抱いている。


「河川敷に捨てられてたタロを拾って、しばらく学校で内緒で面倒を見ていたんだけど見つかっちゃったんだよね」

「それで飼い主を探すために、ポスター作って、勝手に学校のコピー機でコピーして、勝手にあちこちの電柱に貼って」

「でも飼い主が見つからなくて、キミは転勤族なのに、絶対自分が飼うんだって頑張ったよね」

 賃貸アパート暮らしでは、どんなにキミが頑張っても親も了承できないことはある。


 最後の最後で、彼女の家で引き取ることが決まったのだ。

「うちはね、お母さんが犬が嫌いっていうか、犬が怖かったみたいで絶対無理って言われてたんだ」

「でもね、引っ込み思案だった私が、こんなに一生懸命になるのは初めてだったから、お母さんも克服できるように頑張ってみるねって言ってくれたの。すごく嬉しかったな」

「え? タロはどうしてるって? 昨日も一緒に散歩に行ったでしょ。私の顔見るたびに、タロタロって、やきもち焼いちゃうよ」


「机はこれでいいね、こっちのキャビネットには何か入って……わー、ぎっしりー」

「次はこれを片付けようか」 


「このバラバラになってる単三電池って、まだ使えるやつかな、もうからっぽかなぁ? とりあえず袋に入れて『迷子のでんち』って書いておくね」

 引き出しに乱雑に押し込まれた日用雑貨を、分類しながら箱詰めしていく。

「ボールペンって、深い引き出しに入れておくと、増殖する気がしない? ほらまた、ここからもでてきましたよ」

「ドライバーセットの箱に、プラスドライバー戻しておいたからね。引っ越し先でもきっと使うから、段ボール箱に大きくドライバーって書いておくよ」

  

 あらかた片付いたキャビネットの最下段から茶封筒が出てくる。振るとなにやら金属が入っているような音がするので、ザラリと中身を出した。

「組み立て家具の説明書と……何かの予備のネジ、小さいレンチ、謎の金具……と、それはなあに?」

 キミがつまみあげた、くすんだ金属の輪の正体に気付いた彼女は息を呑む。


「それ……みんなでお祭りに行った時に、買った指輪だよね? そう、5年生の時だよ」

「その場で名前を彫ってもらえるから、クラスと好きな人の出席番号を入れてお守りにするのが流行ったんだよ。キミは出席番号7番だったよね」

「えっ? わ、わたしぃ? おぼえてないなぁ、全然、覚えてない。きっともう無くしちゃって、自分の机の引き出しとかにも入れてないと思う。うん」


「それで、キミのその指輪には、なんて……彫ってあるの?」

「別に気になるってわけでもないんだけど」

 ソワソワしている彼女にポンとキミは指輪を放り投げる。

「……5ー5……? えぇっ、うちの学校3組までしか無かったじゃない! しかも出席番号も入ってないし、もう、ひねくれ者ー!」

 手に戻された指輪と、ひねくれ者の烙印らくいんを、キミはため息をついて自分のポケットにねじこむ。


 お怒りの様子の彼女に、キミは窓辺のサボテンを指さす。

「うそ、あのお祭りで買った? あの盆栽コーナーで買ってたサボテンなの!?」

 窓辺に駆け寄った彼女は、サボテンの鉢の前で目を輝かせる。

「すごいね、長生きだね。このサボテンくんは、ずっとキミと一緒に引っ越しをしてきたんだね……」


「ねぇ、すごく今さらなんだけど、聞いてもいいかな?」

 窓の方を向いたまま、彼女は君に問いかける。

「夏祭りのすぐあと、急に転校が決まった時、出発の日を私にだけ・・・・教えてくれなかったのは……なんでかな?」


 少し緊張した彼女の声音に、キミは端的に答える。

「泣くからって……! 確かに私、泣き虫だったけど」

「他の子たちは空港まで見送りに行ったって聞いて、どうして私にだけ教えてくれなかったのかなって……ずっと、気になってて……」

「ごめん、今のナシ。湿っぽい話しをしてる場合じゃないよ、次は、どこを片付ける? 服とか、片付けちゃうおうか」 

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