第13話 アラサー社畜、決断する

 眠い。ふらつく足取りで会社の廊下を歩き、エレベーターへ入る。


 ここ最近、しっかり眠れていない気がする。意識は茫洋としていた。おかげでエレベーターの扉が開いたのにも気付かない程で、一度乗り過ごしてしまった。


「中山先輩に会ったときはここまでじゃなかったんだけどな……」


 新城さんもいまは会社の外で待っているし、一人になって緊張が解かれた結果、疲れがどっと出てきてしまったのかも知れない。少し荒い息を吐きながら歩く。そこでふらついて倒れた。


 その拍子に、スマホが落ちた。


「おっと」


 拾って画面を見てみると、動画配信サイトのアカウントに無数のメッセージが届いていた。


『これからも配信頑張ってください! 応援してます!』

『アラサー、最高の配信をありがとう! これからも頑張ってくれ!』


 確認すると、そんな文言でメッセージボックスは溢れていた。俺はそれを見て微笑むと、腑抜けた足に力を入れ直し立ち上がった。


『近い将来、君と会社は、ぶつかることになる』


 その言葉を思い出しながら、一度スマホを操作した後、専務のオフィスの前へ歩き、ドアをノックした。


「失礼します」


 ドアを開けて中に入る。


「田中君、どういうことだね」


 デスクに座った専務は、机を指で叩きながらこちらを睨んでいた。俺は両手を後ろに、気をつけの姿勢を取る。


「この配信は」


 専務は俺の配信が映ったタブレットを見せながら言う。


「我が社の新調味料販促の為のものだということは理解しているね?」

「……はい。専務」

「なら、なぜ新調味料を使わない!」


 彼は机を叩いた。


「最新のいくら丼には、新調味料が使われていないぞ! これでは販促にならん! これはどういうことだ! 田中君!」

「しかし専務、お言葉ですが、毎回肉料理というわけにはいきませんよ」


 俺はできる限り穏やかな声音で言う。


「同じような料理を続けていれば視聴者に飽きられてしまいますし、そうして登録者が離れれば結果的に販促は上手くいきません。見た目的にも違う料理を毎回配信しませんと、配信として続ける事ができなくなってしまいます」


 あくまでも俺が二回目の配信の題材にいくら丼を使ったのは、そのためだった。一目見て、前回とは違うと分かるような内容。視聴者がしっかりと相違を楽しむことができるように、肉料理から海鮮へと移行させたのである。


 ただ、それを専務が快く思わないことも承知していた。こうして説教を食らうのは予想通り。だが、こちらとしても配信をする者として譲れないものがある。


「これはあくまで販促の為。ひいては我が社の利益の為です。ですから――」

「そんなことはどうでもいい!」


 彼はそう言って、茶を俺にかけた。


「……」

「いいか、配信の主みたいに振る舞うのはやめろ。私が配信のルールなのだ。君は私の言うとおりに動けば良い。君のような木っ端社員はな。大体、あんなもの、ちゃっちゃと終わってしまえば良いのだよ」

「え……」

「適当に新調味料が周知さえされれば、もうあんな配信に用はない。あんなくだらないものを続ける意義もない」

「お言葉ですが、あの配信の収益は相当なものです。使い潰すにはあまりにももったいないと思います。――それに……」


『最高の配信をありがとう!』


「それに、見てくれている視聴者の為にも、そんなスタンスで配信をするべきではないと思います。我々はあくまで、よりよい娯楽を提供するために尽力するべきです」

「視聴者?」


 彼は花を鳴らした。


「金づるの間違いだろう」


 俺は眉を寄せる。


「あんなくだらない配信を見ている馬鹿者どもなどどうでもいい。いいか。君は黙ってあの調味料が使えるような肉料理を作り続けろ! 君は動画サイトなんぞに入り浸っているクズ共の記憶に、新調味料の記憶を植え付ければいいんだ!」


 彼は椅子を回し、俺に背を向けた。


「話は以上だ。まったく、使えない馬鹿めが」

「……失礼します」


 俺は頭を下げ、廊下へ出た。溜息を吐く。


「……帰るか」


 いったん帰って頭を冷やそう。そう思って廊下を歩く。


「よう! グズの田中じゃねぇか」


 顔を上げる。見ると、エレベーターの前に、上司の鬼瓦が立っていた。


「……お疲れ様です」


 俺は会釈し、隣を通り過ぎようとする。その肩を掴まれた。


「ちょうどいいや。お前、仕事手伝えよ」


 彼はくちゃくちゃとガムを鳴らしながら言う。


「いま忙しいんだよ。ほら、さっさと来い」

「……お言葉ですが、俺はこのまま直帰の予定で――」

「へぇ、そうなんだ」


 鬼瓦は笑いながら近づいてくる。そして、俺の前に立つと、その鳩尾に拳をたたき込んだ。


「――ッ!」


 急所を突かれて、思わず体をくの字に曲げる。そんな俺の頭を、鬼瓦は掴んだ。


「ちょっとちやほやされてるからって調子に乗ってんじゃねぇぞ。お前は俺の下なんだよ。俺の命令には絶対服従。分かるか? それがお前の仕事なんだ。専務に気に入られたからって口答えなんぞしやがって。いいか。俺の方が偉いんだ。俺の方がお前より偉い!」


 彼は顔を上気させて唾を飛ばしていた。その状態で、俺の事を何度も殴る。


「お前みたいなゴミより、俺の方が偉いんだよ! わかるか、田中!」


 彼は言うと、俺の襟首を掴んで引っ張り始めた。


「わかったらさっさと来い! 俺の命令通り、仕事を手伝え!」

「――はぁ」


 俺は溜息を吐く。


 このとき、俺は決めた。


 うん。辞めよう。この会社。


 俺は自分の手元を見おろす。


 そこには、スマホが握られていた。


 そのカメラは、鬼瓦の方を向いていた。


★★★


 作者です。十三話はいかがだったでしょうか!


 嫌な上司というのはどこにでもいますが、今話ではそれをしっかり描写出来たでしょうか。未熟者には中々難しいところではあるのですが、ざまぁに先立ち、皆様がムッとできるような上司像を描けていれば幸いです。


 それでは、また次話でお会いしましょう!

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