第5話 アラサー社畜、表彰を断る
私はいまでも、あのときのことを思い出す。
六年前、研修のため潜ったダンジョン内で、トロルに襲われたときのことを。
ずしん、ずしんと音を立てて近づいてくる大岩のような巨体。
それを見ながら私は、トロルに殴られた拍子に潰れた右目を押さえ、荒い息をついていた。痛みがじくじくと音を立てる。体は恐怖に震えていて、立ち上がることすらままならない。同僚は悲鳴を上げて逃げ出し、もはや助けなど望むベくもない状況だった。
死にたくない。
トロルの鼻息が近づいてくるのを肌で感じながら、私は強く思った。
嫌だ。死にたくない。生きていたい。
こんなところで、終わりたくない。
だから這って逃げようとした。少しでも遠くへ。少しでも生き延びる可能性を掴むために。爪が剥がれるほど強く地面を握り、涙に濡れた顔で、必死に這った。
けれどトロルの拳は、そんな私の頭上で、無情にも振り上げられた。
そしてそれは、鉄槌のようなそれが落ちてきて。
それを見ながら私は、悲鳴と共に身を丸めた。
誰か助けて。思わず、そう願いながら。
そして、そのときだった。
彼がやってきたのは。
ボロを纏った男が突如としてそこに現れ、トロルの拳を片手で止めたのは。
ボロに隠れてよく見えなかったが、若そうな顔に見えた。背は高く、細身で、腰に一本の刀を差していた。
『これなら刀なしでも斬れるな』
驚きに目を瞠る私の前で、彼はそう言った。
『――【サイキョー流剣術】、無刀術の一。【風斬脚】』
そして、そう言いながら風切り音と共に蹴りを放った。すると、その足先から歪んだ空気の刃が飛び、その先にいたトロルの体が横に両断された。トロルは悲鳴を上げる間もなく絶命し、その場に崩れ落ちた。
立ち上る粉塵。鼻をつく血のにおい。けれど私は高揚していて――、
それをいまでも思い出す。あのときのことを。命の恩人。その大きな背中を。
腰の刀さえ使わず敵を両断した、あの【剣聖】の後ろ姿を。
いまでも、憧れと共に思い出す。
♢♢♢
「あなたが田中さんですねっ!」
新城あきら。眼帯の彼女は俺の前に立つと、手を取ってブンブン振った。
「いやぁ! 映像を見ました! 素晴らしい腕前です! 私、映像を見て興奮致しました! 目にもとまらぬ素早い斬撃! 圧倒的な切れ味! 五年前に見た【剣聖】に勝るとも劣らぬ剣技でした!」
「け、【剣聖】……?」
誰だ、それは。僕は眉を寄せる。
「はい! 存じ上げませんか? ダンジョンで窮地に陥った探索者を助けて回っていた、とある剣士のことです! 探索者の間では結構有名な人なんですが、ご存じないですか!?」
「いえ……」
「本当に!? なんてもったいない! 孤高の剣士! 正義の強者! ネットで本当に有名な、しかし謎に包まれた人だったんですよ!」
彼女はそう言って、スマホの画面を俺に見せてきた。そこにはボロを纏ったとある人物の写真と共に、『ダンジョンの都市伝説! 探索者を助けて回る【剣聖】は実在した!』と見出しが書かれていた。
「いや、実はですね。私、昔研修でダンジョンへいったとき、彼に助けて貰った事がありまして! そのとき、ドラゴンを刀も使わずその身ひとつで両断した、マジックのような神業を間近で見たことがあるのです! あぁ、あのときの【剣聖】のかっこよさと言ったら――! 私の命の恩人の、その強さといったら――!」
彼女は頬を赤らめ、恍惚とした表情でくねくね体を揺らす。だが少しして、はたと気付いたようだった。
「失礼しました! お喋りなのが悪い癖でして!」
「は、はぁ。まぁいいですけど……」
俺は小首をかしげながら言う。
「ところで、ダンジョン管理局のお方が、なんで……?」
ダンジョン管理局は国交相直属。いわゆるエリートの集う場所である。そこで活躍すれば、高級官僚になることも夢ではないと言われる出世街道の一等地だ。そこで働く優秀な人が、なぜこんなところに――。
「それは、表彰の通達のためです!」
俺は目を瞬かせる。他の人々も同じだった。
「表彰……?」
「はい! 田中さんは先日、『排除に国家戦力を要する』と言われるS級モンスター。クリムゾンドラゴンを討伐しました。その素晴らしい功績を讃え、国はあなたを表彰したいと考えているのです!」
一瞬の沈黙。そのあとで、
「アラサーすげぇ!」
「そうだよ、お前は凄いんだぜ!」
「アラサーさん! いまのお気持ちをひと言!!」
と周囲の人々は騒ぎ始めた。
「そう! これは実に名誉なことなんです! 国から表彰なんて、めったにされるものじゃないんですよ! いや、私も一度くらいそういう立場になってみたいもので――とにかく、そういうことでして! 表彰を受けますか? 受けますよね? そうでしょう! なら、どうぞお車の方へ! いま超特急で――」
「いえ、お断りします」
「えぇ! そうでしょうそうでしょう! ……ってええええええええ!!!?」
新城さんはあんぐりと口を開けながら声を上げた。うるさいな、この人。
「なんで!? これ以上ないくらい名誉なことなんですよ!? それなのに――」
「え? だって……」
そのなかで、俺は小首をかしげてこう言った。
「……なんで、あんな雑魚倒しただけで表彰されるんです……? 誰でも倒せるじゃないですか。あんなの」
その言葉に、周囲の人々はぽかんと口を開けていた。
俺は小首をかしげる。そのとき、ふと視線を感じて顔を上げた。
見ると、頭上のオフィスから、鬼瓦がこちらを睨み下ろしていた。
★★★
作者です。五話はいかがだったでしょうか。
表彰のシーンをここで入れようか迷ったのですが、キャラ的に一旦断りそうな感じだったので、このように致しました! それでも諸説あると思うので、こうした方が良い、あぁしたほうがいいというところがありましたら、是非コメントでご指摘ください!
また、☆、フォローなどで応援して頂けると非常に励みになります! とくに☆を頂くと、作者は泣いて喜びます!
それでは、今後もどうぞよろしくお願い致します!
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