第17話 パジャマの代償
* * *
……子供が泣いている。黒髪の小さな女の子。
窓の外に映る地球が、涙で歪んでいく。
あの子が泣き止む事はない。
だってあの子は、諦められない。
取り返しの付かない失敗を取り返せるまで、諦められない。
背負えるはずも無い責任を果たすまで、投げ出せない。
不可能だと逃げようとする自分を、許せない。
そうだった、あの子が泣くのは弱いからではない。
あの子の決意は絶対に折れないから。
どんなに辛くて、怖くて、苦しくても、諦められないから。
だから、あの子の涙は止まらない。
……世界は加速し始めた。もう彼女は帰れない。
生きている以上死は訪れる。諦めざるを得ない日は近い。
けれど、けれどあの子は、それを許さない。
覆せない過ちを覆すまで、自らの終わりを許さない。
あの子が終わるとしたら、それは不可能を覆し、全てをやり遂げ……約束が果たされた時だけ……
* * *
「……どの約束……?」
半ば無意識に保存するようになったメモリー上の夢。観てる時は違和感が無いのに、起きて思い出そうとすると明らかに夢だと分かるのはなんでなんだろう。
あの女の子はまず間違いなくハカセの筈なのだけど……いや……あれ……?
「ハカセ宇宙に飛んでいって死にかけてない!?」
がばりと跳ね起きて慌てて保存したデータを再確認する。今、確かに窓の外に地球が……
「……わたしにも、夢のお話、聞かせて貰って良いかしら」
「ミナ!お、おはよう、あの、ハカセが……」
「大丈夫、ゆっくり一緒に考えましょう」
「う、うん。わかった。でもミナはそれゆっくりし過ぎじゃない?」
昨夜、力になると誓ってくれた友達は早速慌てる私に手を差し伸べてくれたけど、うつ伏せのまま動かない。いや動けない。起きようとする意思と、私の手助けをしようという意思は感じるものの、体はどうみても睡眠中だ。下手したらこれ寝言なんじゃないか。
「ごめんなさい、あまりにも心地よいベッドで、気持ち良すぎて快楽に勝てない」
「ちょっとよくないかも!言い方が!」
何か不安になる言い方をしながらミナが5分ぐらいかけて起動していく。
良く考えたら夜遅くまで語り明かして、それから早朝というか深夜と呼べなくもない時間の起床だから可哀想なことをしてしまったが、大丈夫大丈夫ととろけた目で上半身を起こし、なんだかぐにゃぐにゃしているミナがとても可愛く、悪いと思いつつ微笑ましく眺めてしまう。
「ミナ、おかげで落ち着いたから一回寝直そう。ちゃんと保存したしナインやハカセともまとめて相談するよ」
昨夜私はミナと一緒に眠ることにとても安心したけど、もしかしたらミナの方も安心してくれて体の力が抜けたのかも知れない。意志は固く口調はしっかりしているのに、先に眠る体勢に戻った私がベッドの中に引きずり込むと全然抵抗できずにそのままふにゃふにゃと眠りに落ちていく。
昨日は優しく寝かしつけて貰ったから、お返しだ。
そのまま数時間ほど私達は追加の睡眠時間に入り、ついでに夢の情報も増やせないか粘ってみたが、特に成果は無かった。
やがて早朝ではなく間違いなく朝と呼べる時間になると、部屋の照明がゆっくり明るさを増していき、なんだか気分の良い目覚めを促してくる。
「おはよう」「おはよう」
今度こそ二人共快適な起床に成功し、笑顔でおはようの挨拶を交わす。
それから、ミナの朝支度に付き合って顔を洗浄してみたり朝ごはんを食べてみたりと本来は不要な人間の朝を満喫していく。
「メタニンちゃんって、ごはんが動力なの?」
「えっとね、ちょっとまって、学習データの中に滅茶苦茶めんどうな説明書が……」
「あっわたし分からなそうな気配がする」
「えっと、私のお腹の中って観測されない宇宙がいっぱい重なってて、私が何か食べた場合どうなるかは観測されなければ分からないんだけど、でも観測されない宇宙だから…」
「コーヒーも飲んでみる?」
「飲んでみる!」
ミナは諦めの判断が早くなっている。話の途中で一度猫のように何もないところを見つめたら諦めた証だ。
朝食の後少し他愛の無い雑談をして過ごす。
……それから、身支度を整えてハカセ達とも相談に行こうという段階になって、トラブルが発生した。
「……」「……」
着替えるから待っててというミナに、じゃあ私もパジャマを脱ごうとした。
気まずい沈黙。得体のしれない不安。
ようやくわかった。ハカセがやたら忠告していた「これを着るともう今の自分に戻れなくなる」という言葉の意味。
着るまでは気づかなった。脱げなくなるほど惜しくなるのかとぼんやり予想していたけれど、全然そういう事ではない。言葉通り、もう前までの私には戻れない。
今まではそれが普通だったのに。
着ていないのが普通だったのに。
……パジャマを一度着てしまった事で、元の何も着ていなかった私が、裸の私というなぜか恥ずかしさを感じる別の存在に変わってしまった。もう、元の自分には戻れない。
「め、メタニンちゃん、わたしハカセに別のお洋服貰ってくるね」
「……ううん、私自分で貰ってくる……忠告を無視した分くらいは笑われてくる……」
「あっじゃあ一緒に行きましょ。ごめんなさい、脱ぐ段階まで本当に全然気づかなかったの」
「私も全然……てっきり着心地の良さで脱ぎたくなくなる感じだと……」
今まで何も着ていなかったロボットの裸に気まずくなるという想定外の現象に二人して困惑しながら、パジャマを着たまま部屋を出てハカセを探しに行く。
──まさか、警告を無視した代償がこんなに恥ずかしい感じだったとは。
幸いにも最初から予見していたハカセとナインは私の別の衣類や追加装甲っぽい装備を事前に用意してくれていたらしく、部屋から出てすぐの休憩所に最初から色々置いてあった。
気を使ってなのか偶然なのか物はあるのにハカセもナインも近くには居なかったので、気恥ずかしい感じの今の状態を見られる前に衣類を回収し、ミナにも手伝ってもらって自分の部屋で初の「着る服を選ぶ」という行事をこなす。
かわいい衣装も色々あったのだが、シャツやスカートの下に下着を着けるか否かというまた別のなんとも言えない悩みが発生した為、下部装甲っぽいハーフパンツ状のパーツと、袖のないインナーウェアのような胸部装甲を装着し、ようやくひとまず危機を脱する。
それからハカセ達と合流し、本題の夢の話題に入るまで、まだもう少し気まずい空気や「だから言ったじゃないか」というハカセの失笑を浴びることになるが、まぁ幸いにしてミナがどれに着替えても可愛いと喜び、ナインもこうなったら着替えを今後楽しみにしていると微笑むので、一応ぎりぎりプラスの現象だったという事にしておく。
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