2・夢はおしまい

 翌日、俺は八尾の家におじゃましていた。昨夜の突然の宣言について「ひとまず話を聞かせろ」と呼び出されたからだ。

 俺の説明を聞き終えた八尾は、グラスに残っていた麦茶を一気に飲み干した。


「なるほどな」

「わかってくれたか?」

「いちおうは。けど、本当にそれでいいのか?」


 八尾は、どこかしんどそうな目で俺を見た。


「元の世界に戻るってことは、もう二度とこっちの青野と会えなくなるかもしれないってことだぞ」

「……わかってる」


 満月の日に「瞑想」もしくは「階段から飛び降りる」──これが、元の世界に戻るための手段だ。

 でも、それが今後も通用するかはわからない。戻ったら最後、もう二度とこっちの世界には来られないかもしれない。


(でも、それでいい)


 むしろ、そうなることを望んでいる。

 俺もこっちの世界の俺も、やっぱり本来の世界にいるべきなんだ。たぶん、それが「正しいことわり」ってやつだ。


「もうひとつ──わかってると思うけど、こっちの青野とお前がいた世界の青野は別人だぞ?」

「ああ、もちろん」


 俺がいた世界の青野は、妹の彼氏だ。俺が好きになった青野とは違う──当然、代わりになるはずがない。


「大丈夫。向こうの青野に、自分の気持ちをぶつけたりしない」

「……」

「とにかく今はさ、青野に『俺』を返したいんだ」


 あいつが好きになった「俺」を、ちゃんとあいつの元に返したい。

 そもそも、最初はそう望んでいたはずなんだ。それが、うっかりこっちの青野を好きになってしまったせいで、こんなふうに迷走しちまっただけで。


「たぶん、それが青野にとって一番幸せなことだと思う」


 なんだかんだ言っても、青野は「わがままプリンセス」のことが大好きだ。浮気されて振りまわされて、ストレスをためこんで、それでもあいつは「こっちの俺」のことを嫌いにはなれないんだ。


「だから、もういいかなって。どう頑張っても、俺はこっちの俺にはなれそうにないし」


 言いながら、ふっと笑ってしまった。こんな当たり前のこと、どうして今まで忘れてしまっていたんだろう。


(いや、違うか)


 本当はわかっていて、それでも見て見ぬふりをしてきただけだ。

 青野が好きだから。青野と付き合いたかったから。

 でも、ダメだ。夢はもうおしまいなんだ。


「ま、そういうことだからさ。次の満月で、俺は元の世界に戻るわ」

「……」

「で、次っていつだっけ。明日……ってことはなさそうだけど、たぶんもうそろそろだよな? 明後日か……その次くらい?」


 八尾は答えない。ただ、何か言いたげに口をモゴモゴ動かしている。


「なんだよ。俺、おかしなこと言ってるか?」

「いや、わかるよ……わかるんだよ、お前の言い分も」


 けどよ、と八尾は視線をあげた。


「お前は?」

「……え」

「お前の気持ちはどこに行くんだ?」


 八尾の問いかけに、俺は言葉を飲み込んだ。

 だって、なんて答えるのが正解なのか、まるでわからなかったから。


「まあ……そのうち消えるんじゃね?」

「……」

「時間はかかるだろうけど、ちょっとずつ忘れていくっていうか」


 そうだ、きっとそうなるに違いない。

 なにせあっちの青野は、妹の「理想的な彼氏」だ。ふたりが仲良くしているのを見ていれば、そのうち気持ちも落ち着くだろう。


「だから平気。問題ない」


 敢えて笑顔を見せたのに、八尾はグッと眉間にしわを寄せた。


「お前……お前さぁ」


 くそ、って頭を掻きむしっているけど、ほんと俺は大丈夫だって。

 だから、そんな顔するな。俺のなかでは、もう結論が出てるんだから。


「ってことで、あと少しの間よろしくな」

「……」

「それとチャレンジ当日も。お前のサポート、絶対必要だから」


 「な?」と手を差し伸べたけど、八尾はなかなか応えてくれない。

 それでも催促するように手をのばすと、ようやくポンと拳をぶつけてくれた。

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