9・嘘と三日月

 と、まあ、グダグダ悩んでいるうちに放課後が訪れた。

 帰りの準備をしていると青野がやってきて、ふたりで今日もラッキーバーガーへ。Lサイズのポテトをシェアしながら、他愛のないおしゃべりを楽しんだ。

 俺の態度は、ちゃんと普段どおりだったと思う。だって、来週のお泊まりにひそかにビビってるなんて、絶対こいつには知られたくなかったし。

 店を出たのは、閉店10分前。当然外は真っ暗で、青野の吐き出した息が闇のなかにふわりと消えていった。


「寒いっすね」

「なぁ、ヤバいよなぁ」


 青野が、身体を寄せてきた。きっとくっつきたいんだろう。わかる、俺も同じだ。なので、やつの腕に左手を絡めた。


「……温かくなった?」

「まあまあっすね」

「そこは嘘でも『温かくなった』って言えよ」


 俺の抗議に、青野はしれっと答えた。


「俺、嘘は嫌いなんで」


 本音かもしれないし、特に深い意味のない発言なのかもしれない。

 でも、その言葉はちょっとだけ俺の心を刺激した。


「そんなに嫌?」

「何がっすか?」

「嘘」

「……」

「嘘ってさ、その……必ずしも悪意があるわけじゃなくて、何かしらの事情があるかもしれねーじゃん」


 ああ、カッコ悪い。これってただの自己弁護だよな。

 案の定、青野は白々とした顔つきになった。


「それって嘘つく側の言い訳ですよね」


 そうだな、たしかにそのとおりだ。

 でも、ちょっと胸に刺さる。俺の正体がバレたとき、青野はやっぱりこういう顔をするのかな。

 いろいろ考えているうちに、ついうつむいてしまっていたらしい。青野が「夏樹さん、空」と右腕を軽く揺さぶった。


「見てください、三日月っすよ」


 青野にうながされて、俺も顔をあげる。

 で、戸惑った。だって上空に輝いていたのは、ずいぶん細くて弱々しい月だったから。


「夏樹さん? どうかしましたか?」

「あ、ええと……細くね?」

「……え?」

「三日月ってもっと太いやつだろ。ほら、クロワッサンみたいな」


 クロワッサンは、フランス語で「三日月」という意味だったはずだ。そう考えても、この月はいくらなんでも細すぎるだろ。

 なのに、青野は驚いたように俺を見た。

 ──え、何? 俺、何かおかしなこと言ってる?


「たしかにクロワッサンは『三日月』って意味ですけど……これは間違いなく三日月ですよ」

「えっ、でも……」

「1日目の新月がほぼ見えない状態なんですよ。その2日後なんてせいぜいこの細さでしょう」


 そう……なのか?


「世間一般で思われている『三日月』って、だいたい月齢4日目から6日目の月なんですよね」

「へぇ」

「俺も、以前は5日目くらいの月を『三日月』だと思っていたくちです」


 そう説明すると、青野はなぜか足を止めた。深い緑色が、何か言いたげに俺を見ている。


「……なんだよ」


 訊ねても、青野は答えない。ただ、ジッと俺を見つめるばかりだ。

 その目を同じように見つめ返しているうちに、ふと正解らしきものが頭に浮かんだ。


(これ……もしかしてあれか? 「キス待ち」的な?)


 不覚だ。こっちの俺なら、きっと当たり前のようにリアクションできていたはずなのに。

 でも、気づいたからには今からでも実行に移すべきだよな。


(よし……)


 青野の袖をつかんで、ちょっとだけ顎をあげた。

 ぶつけた唇は、少しかさついていた。

 うわ、お前……リップクリームとか塗ったほうがいいんじゃないの? かくいう俺も、そのてのケアって全然していないけど。


「へへっ」


 つい笑っちゃったのは、ただの照れ隠しみたいなもの。

 だって、やっぱりまだ慣れないんだ。お前とこんなふうにキスするのって。

 青野は軽く瞬いたあと、俺の両頬をガッと押さえた。

 で、ものすごい勢いでキスしてきた。それこそ、歯と歯がぶつかるんじゃないかってくらいにガツンッと。


(ちょっ……何っ!?)


 がっつり口をふさがれてしまった俺は、うまく息ができなくて青野の腕を叩く。なのに、青野は俺を離してくれない。容赦なく遠慮なく、俺の息を奪っていく。


「は……っ、お前、バカ……っ」


 ようやく呼吸できるようになった俺は、涙目で青野を睨みつけた。


「マジで窒息するところだったじゃねぇか!」

「しませんよ、たかがキスくらいで」

「バカ、ほんとに意識が遠のきかけてたっての」

「ああ──キスが良くて?」

「違ぇよ! お前が息させてくれなかったせいだよ!」


 腹が立ったので、何度もふくらはぎに蹴りを入れた。

 なのに、青野は楽しそうに笑っている。


「じゃあ、息ができる程度のキスをします?」

「……」

「今度は、優しくしますよ」

「……それなら、まあ」


 キスをするのは嫌いじゃない。

 むしろ好きだ。特に、お前とのキスは。

 そんなふうにボソボソ答えると、青野は俺の髪の毛を何度か撫でた。

 それから、今度はそっと唇をあわせてきた。


(ああ、いいな)


 やっぱりこういうキスが好きだ。お前の気持ちが、やわらかく流れ込んでくるようなキス。


(これだけじゃダメなのかな)


 俺、キスだけで十分なんだけどな。

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