7・新たなお誘い

 そんなこんなで、俺たちの交際は思っていた以上に順調だった。

 恋人としての青野は、不遜な態度のわりに「俺」からのお願いに答えるのが楽しいらしく、俺も少しずつ自分の要望を口にするようになった。

 ──とはいっても「わがままプリンセス」レベルにはまだまだ遠い。俺の要望なんて、寒いときに「腕を組みたい」とか、青野のコートのポケットに手を入れたいとか、その程度のものだし。

 そのたびに、青野は「仕方ありませんね」と言いながらも俺のリクエストに応えてくれる。なるほど、こいつ意外と尽くすタイプだったんだな。そりゃ、こっちの世界の俺と相性がいいはずだよ。


 ところが、平穏な日々は長くは続かない。

 このあと予想していなかった展開が、俺を待っていたんだ。


 その日も、俺たちはラッキーバーガーで閉店間際まで話し込んでいた。

 ちなみに前回母ちゃんにこってりしぼられたから、今日はあらかじめ「帰りが遅くなる」って連絡しておいた。ごめんな、夕飯で二度手間かけさせて。

 でも、やっぱり青野といるのは楽しい。ふたりで、いつまでもいつまでもおしゃべりしたい。

 あと、たまに──キスもしたい。

 そんな俺に、青野が言ったんだ。


「今度うちに遊びに来ませんか?」

「おう、行く行く!」


 そういえば、青野の家に行ったことないな。どんなとこなんだろう。一軒家? それとも、うちと同じマンション住まいとか……


「その日、両親いないんで」


 ──ん?


「その……泊まっていってもらえれば、と」

「ああ……うん」


 ──うん?


(待て待て、それって)


 慌てて青野を見たけれど、特に照れている様子はない。

 あれ、俺の勘違い? 「そういう意味」じゃなかった?

 ひとまず落ちつこう、と俺はコーラに手をのばす。

 ズズッと乾いた音がした。

 くそ、そういえばもう飲み終わっていたんだった。


「追加で何か頼みます?」

「お、おう。……あ、金は俺が出す」

「いえ、そういうのは……」

「臨時収入が入ったから。そのかわり、お前が買ってきて」


 500円玉を押しつけて、なんとか青野をレジに行かせる。あいつが店員さんと話しはじめたのを確認して、俺ははぁぁぁっと息を吐きだした。


(ヤバい、すげー混乱してんだけど)


 ──「両親いないんで」

 ──「泊まっていってもらえれば、と」


 これ、どう判断すりゃいいんだ?

 ふつうはそういうことだろうけど──あいつ、全然動揺してなかったよな?

 え、じゃあ、やっぱり俺の早とちり? 実は、泊まりがけで一晩中カードゲームでもやるとか?


(それならそれでいいけど、こっちの世界の俺ならそんなこと……)


 そこまで考えたところで、ようやく気づいた。

 そうか、青野にとってこれは「初めてのドキドキイベント」じゃないんだ。むしろ当たり前の「日常」なんだ。

 そっか、そうだよな。お前らそういうことをしていたんだもんな。

 青野のやつ、あんなしれっとした顔してすげー経験値高いのかも。なにせ、お相手は無駄に経験豊富なこっちの世界の俺だったわけだし。

 でも、待ってくれ。俺はそうじゃないんだ。


(俺、お付き合いすら初めてのDTなんですけど!?)


 はーヤバいヤバい。俺どうなんの? ちゃんとできんの?

 しかも、アレだろ、俺が女の子側なんだろ?

 いや、俺の場合DTだから男側の経験もないけどさ。いきなり初めてで「それ」って、さすがにハードル高すぎねぇ!?


「お待たせしました」

「ひゃっ」

「またへんな声出して」


 どうぞ、と渡されたコーラをひったくって、一気に半分ほど飲み干す。

 ふっと息をついたところで、怪訝そうな顔をしている青野と目があった。


「な、なに……?」

「……いえ」


 青野はコーヒーに口をつけると、なぜか逃げるように視線を落とした。


「もしかして気が進みませんか?」

「えっ」

「まさかとは思いますけど、たまったあれやこれやは別の人と発散しているとか──」

「してねぇよ、ふざけんな!」


 俺が付き合ってるのは、お前だろ? なのに、なんで他の誰かとあれやこれやしないといけねーんだよ。


「ですよね。今のはただの確認です」


 そのわりに、青野はこちらを見ようとしない。緑色の目にあるのは、明らかな「不信」だ。


(ああ、くそ!)


 こっちの世界の俺! お前のせいで、俺が浮気疑惑をかけられてんだけど!

 とはいえ、その気持ちもわからなくはない。八尾のまとめにあった「こっちの世界の俺」は、あまりにも性的に奔放すぎたから。


「あのさ、青野」


 紙コップに添えられたままの両手を、俺はそっと包み込んだ。


「マジで俺、お前以外とはやってない」


 ていうか、俺自身はお前ともまだやっていないけど。


「だから心配する必要ないし、これからもしなくていい」


 浮気なんかしない。

 お前のことだけが好きだから。


「今までごめんな。いっぱい浮気して、お前のことを不安にさせて」


 ほんとごめん、と青野のくせ毛を撫でる。

 青野の眉間にしわが寄った。やがて、緑色の目からパタパタっと涙がつたい落ちた。


「えっ、あ、青野!?」

「……すみません」

「いや、え、ええと……どうした!? 俺、なんか悪いこと言ったか?」

「いえ……そんなんじゃ……」


 本当になんでも──と繰り返しながら、青野はパタパタと涙をこぼす。

 なんだよ、泣き止めよ。いつもみたいなふてぶてしい顔をしてみせろよ。


「と、とりあえずお前の家な! 遊びに行くから!」

「……」

「すっげー楽しみ! 行くの久しぶりだもんな!」

「……本当に?」

「うん?」

「本当に楽しみですか?」

「楽しみだよ。当たり前だろ」


 ようやく青野が顔をあげた。緑色の目が、しっとりと水分を含んだままどこか不安げに揺れている。

 くそ、だからそんな顔するなって。


「や……優しくしてな」

「……えっ」

「だって、その……久しぶりだろ?」


 これで通じる──よな? ちゃんとそういうつもりだってこと。

 青野の口元に、ようやく笑みが浮かんだ。「仕方ないっすね」と口元を緩めたこいつは、ちょっと幼げで可愛くて、俺はますます頭をぐしゃぐしゃと撫でたのだった。

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