3・可愛い……可愛い?

「俺としては、その……そろそろ『可愛い』は卒業したいっつーか」

「へぇ、路線変更ですか」

「そう、それ!」

「そういえば、以前『わがままプリンセスは卒業』って言ってましたよね」

「お、おう!」


 そういえば言った気がする──すっかり忘れていたけど。それどころか、今は「わがまま路線」に戻ろうと奮闘中だけど。

 だって、ずっとこいつに好かれていたいし。俺が本当は別人だってこと、絶対気づかれるわけにはいかないし。

 なのに、そう考えた矢先「たしかに、最近わがまま減りましたよね」なんて言ってくるんだから、俺としては息を呑むしかない。


「わがままを言わないあんたとか、絶対有り得ないって思ってましたけど」


 淡々としながらも鋭い指摘に、嫌な汗が滲んでくる。

 これって、なんて答えるのが正解なんだ?

 否定する? 誤魔化す? それとも──


「不満か?」

「……はい?」

「俺があまりわがままを言わなくなって……青野的にはやっぱり不満?」


 恐る恐る訊ねてみると、青野はなぜか眉間にしわを刻み込んだ。


「あんた……その顔……」

「……え」

「やめてください。タチ悪すぎでしょう」


 は? なんだよ、「タチ悪すぎる顔」って。

 それ、明らかに悪口だよな? いくら青野でも怒るぞ!


(そりゃ、いつもより緊張して顔が強ばっているかもしれねーけど……)


 と、電車がカーブにさしかかったのか大きく揺れた。

 いつもならつり革につかまってやりすごすところだけれど、今日は乗車率が高すぎて、とてもじゃないけど手が届かない。


「うわっ」


 とっさに青野の胸元を捕まえた。青野が「うぐっ」とおかしな声をあげた。

 そのまま後ろに倒れてもおかしくない体勢――けれども、異常な乗車率のおかげで、後ろにいたおっさんにぶつかるだけにとどまった。

 ああ、やばかった。ごめんな、おじさん。今、身体を起こすから。

 なんとか起き上がろうと、青野の胸元を掴んでいた手に力をこめる。


(あれ……?)


 自分のことでいっぱいいっぱいすぎて気づかなかったけど──今、俺の手に伝わってきているのって青野の鼓動?


(えっ)


 このドッドッドッドッってめちゃくちゃ速いやつが? 嘘だろ、小動物並みじゃねぇか。

 なんとか身体を起こした俺は、今度はパーにして青野の胸元に手を置いてみた。


(速……っ)


 なにこの激しさ。俺よりすごくね?

 ちらりと視線だけあげると、青野は強く唇を引き結んだ。


「なんっすか」

「いや……お前、今めちゃくちゃドキドキしてるから」

「そんなの、あんたのせいでしょう」


 青野は、素っ気なく視線を逸らした。


「あんたが、いきなり俺の服を引っ張るから」

「いや、それだけじゃないだろ」


 その程度でこんなに鼓動が速くなるとは思えないし、なによりこいつ、めちゃくちゃ顔が赤いし。


「なぁ、もしかしてお前……」


 今、俺に対してドキドキしてる?

 だとしたら、いつ? どのタイミングで?

 それとも、俺が気づいていなかっただけで、実は最初から緊張していた?


(だったら同じじゃん、俺たち)


 やばい、ニヤける。だって嬉しいじゃん、そういうの。

 チラチラ視線を送る俺に、青野は「なんなんっすか」と呻くような声をあげた。


「え、言っていいの?」

「……いえ、やっぱりやめてください」

「えーなんか今、すごく言いたい気分」

「やめてください。唇でふさぎますよ」


 お、強気じゃん。


「できんの? こんな満員電車のなかで」


 このときの俺は、青野の意外な事実を知ったことで、ちょっとばかり気が大きくなっていたのかもしれない。

 俺のささやかなからかいに、青野はそれはもう凶悪な顔つきになった。


「できますよ」

「……えっ」

「覚悟、できてますよね?」


 いつもより低めの声でそう言い放つと、青野は遠慮なく顔を近づけてきた。

 待て待て、うそうそ! こんな公共の場で、そういう行為は──


「……っ」


 ちゅ、とかすめるように青野の唇が触れた。

 俺の唇──ではなく、前髪で隠れているおでこに。


「お……お前っ!」


 ふざけんな、びっくりするだろ! マジで心拍数爆上がりなんだけど!

 なのに、青野はしれっとした態度を崩さない。


「自業自得でしょう。俺のことをからかうから」

「うっせぇ、うっせぇ!」


 悔しまぎれに脇腹をつねったけど、青野は平然としたままだ。

 くそ、こういうところに経験値の差を感じるんだけど!

 年下のくせに! さっきまで俺よりドキドキしていたくせに!


(こいつ、やっぱり可愛くねぇ……っ)

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