2・翌朝

 そんなこんなで翌朝、寝不足気味でフラフラしたまま、俺は自宅をあとにした。

 どうしよう、すでに気恥ずかしい。あと5分ほどで青野と顔を合わせるっていうのに。


(やばいな、このこそばゆさ)


 みんな、付き合いはじめってこんな感じなのかな。

 つーか、どうしよう。顔をあわせたあとの第一声ってどうすればいいんだ?

 いちおうメッセージアプリ上では、すでに「おはよう」「おはよう」みたいなやりとりはしているけれど、直接となるとまたちょっと違うだろ。

 モダモダ考えているうちに、駅に到着した。

 青野の姿はいともたやすく目にとまった。丸い柱に寄りかかって、熱心に単語帳をめくっている。

 ああ、やばい。これまで以上にキラキラ度が増している。

 定期券で改札をくぐったところで、タイミングよく青野がこちらを見た。


「よ、よう」


 うわ、声が裏返った。なんかすっげー恥ずかしいんだけど。

 対する青野は、眠たげな目を瞬かせると申し訳程度に頭を下げてきた。


「おはようございます」


 ──あれ、昨日までとそんなに変わんない?


 でも、俺たち付き合いはじめたわけだし。昨日までとは、明らかに何かが違うはずだし。


「え、ええと……なに見てんの」


 そんなの見ればわかるだろ、って感じだけど、青野はこれまた眠たげに「単語帳っす」と答えた。


「今日1時間目から小テストがあって」

「マジか。大変だな」

「キツいっすよね。テストは午後の授業限定にしてほしいっす」

「いや、午後は午後でキツいだろ。昼飯食ったばかりで眠たいし」

「じゃあ、3時間目か4時間目で」


 他愛のない会話が積み重なり、俺たちはホームに到着する。その間、俺は幾度となくチラチラと青野の様子をうかがってみた。


(やべぇ……マジでいつもと変わんねぇ)


 じゃあ、緊張してんのは俺だけ?

 それもそうか。青野にとっては、数ヶ月前までこれが「日常」だったんだもんな。そりゃ、いちいちビビるわけないか。

 ちょっぴり寂しく思いつつも、俺は青野の隣に並んだ。

 スマホで時刻を確認しようとしたところで、快速列車到着のアナウンスが流れてきた。同じようにスマホを取り出していた青野が「あ」と小さな声をあげる。


「どうした?」

「電車とまってます」

「は? でも今、快速がくるって……」

「ここじゃなくて別の路線っすね」

「だったら、俺らには関係ないじゃん」

「いや、ありますね。振り替え輸送が始まってますんで」


 結局、青野の懸念どおりになった。

 電車がカーブで揺れるたびに、乗客のかたまりも一緒に波を打つ。「むぎゅ」とか「ぎゅう」なんて擬音が似合いそうなこの状況。乗車率100%を軽々と越えた車内では、身じろぎするだけでも一苦労だ。


(やばい……暑い……苦しい……)


 けど、それは他のヤツらも同じはずだ。もちろん、俺が今めちゃくちゃくっついている青野だって。


「大丈夫っすか?」

「ん……平気」

「でも、のぼせたみたいな顔してますよ」

「まあ……暑いから」


 これ、半分は本当で、半分は嘘。


(だって、こんな……密着するとか……)


 十数分前「第一声をどうしよう」レベルのことで悩んでいた俺に、教えてやりたい。そんなのどうにでもなる。それより今すぐ路線情報を確認して、満員電車対策を考えろ、って。

 すでに乗車率100%越えにもかかわらず、駅に停車するたびにチャレンジャーな乗客がむりやり車内に乗り込んでくる。そのたびに、俺と青野の距離が縮まる。もはや「密着」なんてレベルじゃない。このまま青野と同化しそうな勢いだ。

 なのに、青野は表情ひとつ変えていない。

 なんだよ、これがDTと非DTの違いか?


(でも、以前は真っ赤になっていたよな?)


 いつだったか、怪我した俺をおんぶしてくれたとき、こいつ耳まで赤くなっていたじゃん。

 なのに、今日はしれっと涼しげで、なんなら「夏樹さん、もう少しこっちに寄って」なんて俺の腰に手をまわしてやがる。


「お前さぁ……平気なの?」

「何がですか?」

「いや、だから……その……」


 こういう状況っつーか。今のこの密着具合っつーか。こんなにくっついていて、本当になんともないのか──とか。


(俺なんて、今にも心臓が壊れそうなくらいなのに)


 いろいろ濁したつもりだったけど、しっかり伝わっていたらしい。

 青野の唇が、俺の耳元に寄せられた。


「今日の夏樹さん、可愛いっすね」


 ──は!? なに言っちゃってるの、お前!?


「お前、目腐ってんじゃねーの!?」

「腐ってませんよ、失礼っすね」

「失礼なのはお前だろ」

「いえ、夏樹さんほどでは──というか」


 意外ですね、と青野は首を傾げた。


「まさか『可愛い』って言われて怒るなんて」

「いや、怒るだろ! 『可愛い』って褒め言葉じゃ……」


 そこまで反論しかけて、ハッとした。もしかして、こっちの世界の俺「可愛い」って言われて喜ぶタイプだったのか?


(……あり得る)


 そうだよ、そういうヤツっぽいじゃん、こっちの俺! なにせ「プリンセス」ってあだ名を受け入れているくらいだし。


「え、ええと……なんていうか……」


 やばい、とりあえず誤魔化さないと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る