14・体感3秒後

 1秒……2秒……3秒……

 いや、実際はもっと時間が経過していたのかもしれない。


(……あれ? 何も起きない?)


 不安になった俺は、うっすらと目を開けてみた。

 真っ先に視界に入ってきたのは、青野のやわらかそうなくせ毛だ。それから、つむじ。つまり青野の頭のてっぺん。

 え、なんでこいつ、うなだれてんの? さっきまで、俺にキスしようとしていたくせに。


「あの……青野?」


 呼びかけてみたけど、返事はない。

 なんで? 聞こえなかったのかな。

 もう一度「青野?」と声をかけると、青野のまつ毛が小さく震えた。


「すみません」

「えっ」

「雰囲気に流されるところでした。ごめんなさい」


 生真面目な謝罪。そのあとグイッと俺の身体を押しやって、青野はようやく顔をあげた。

 うっすらと赤らんだままの頬は、俺が目を閉じる前となんら変わりない。けれども、その顔はあまりにも苦しげで──俺は、しばし言葉を失った。


(いや、「ごめん」って)


 なんで? なんで俺、謝られてんの?

 本当は付き合っていないから?

 流されるままにキスしようとしたから?


(でも、俺は……)


 それでもいいと思って。

 だから「キスされる」と思った瞬間、目を閉じたわけで──


「ごめんなさい。俺、今日はひとりで帰ります」


 青野は頭を下げると、逃げるようにきびすを返した。

 すっかり見慣れた後ろ姿が、みるみるうちに遠ざかってゆく。

 え、お前、そんなに速く歩けたの? いつもはもっとゆっくりペースだよな?


(いや、そうじゃない)


 俺が今、言いたいのはそういうことじゃなくて!


「青野!」


 呼びかけたけど、青野は立ち止まらない。

 もう一度「青野!」と叫んで、俺はそのまま走り出した。

 だって、このまま帰すのはダメな気がしたんだ。

 ちゃんと伝えないと。青野の行為は、世間一般的には褒められたものじゃなかったかもしれないけれど、だからこそ「嫌じゃなかった」って。俺にとっては「不正解じゃない」って。

 じゃないと、青野はきっと自分を責めてしまうから。


「待て青野、待てって!」


 ようやく追いついた俺は、未だ立ち止まろうとしない背中に、勢いまかせに飛びついた。

 青野の身体が、驚いたように跳ねた。まあ、そうなるよな。今の俺、「抱きついた」っていうより「追突した」って感じだったし。


「待って……青野、頼むから」


 今から言うことを聞いて。俺の本当の気持ちを受け取って。

 息を弾ませながらそう訴えると、ようやく青野はこちらを振り向いた。

 なにかに怯えたような、いたいけな目。その揺れる緑色に気づいたとたん、俺のなかの何かが弾けた。

 青野の胸ぐらを掴み、力まかせに引き寄せる。

 唇と唇がぶつかった。これまた「キス」というよりは「衝突」のような行為。でも、許してくれ。俺、ちゃんとキスしたことがないんだ。


「な……つき、さん?」


 青野の口がはくはくと動く。まるで空気を求める魚みたいに。


「唾」

「……え」

「唾、つけてやった」


 なんでって? そんなの決まってる。


「お前を、俺のものにしたかったから」


 だから落ち込むな。自分を責めるな。

 俺とお前は、同じ気持ちだから。目を閉じたのは「同意」のつもりだったから。

 青野の眉間にしわが寄る。泣くのを堪えるように顔を歪めたかと思うと、けっこうな力で両頬を挟まれた。まるで「逃がさない」と言わんばかりに。

 そこからのキス。噛みつくような激しさ。

 くそ、こいつ絶対慣れてやがる。

 でも、それでいいのかも。俺、まだまだ下手くそだし。


 そのまま何度もキスをした。ここが駅前だってことも忘れて、青野が「今日の塾、サボりたいです」ってボヤくまで。

 もちろん、そんなことはさせなかったけど、気持ちはすごくよくわかった。


(同じだよ、青野)


 俺も、もっともっとお前とキスをしたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る