9・わがまま再チャレンジ
しばらくすると、青野が席に戻ってきた。
「八尾さんはどちらへ?」
「帰った」
「は?」
「その……急用があるって」
青野は「はぁ」と気の抜けた声を洩らす。
けど、俺は見ちまった。こいつがちょっと嬉しそうに口元を緩めるのを。
(ああ、くそ)
ダメだ、勘違いするな。
こいつが好きなのは「わがままプリンセス」な俺で、それってつまり俺じゃないわけで──
「コーラどうぞ」
「お、おう。代金は……」
「いりません。おごりって言ったでしょう」
うん、まあ……言ってたけど。
モダモダ悩みながらも、結局俺は取り出しかけた財布を鞄に戻した。かわりに「ありがと」と伝えて、ストローに口をつける。
「用事って、八尾さんとだったんですね」
八尾が座っていた席に、青野は腰を下ろした。
「また悩み相談ですか」
まあ、そんなところ──と言いかけて、ふとこっちの俺ならなんて答えるんだろうって考えた。
自由奔放で、相手の気持ちなんて考えないやつだ。
だったら──
「内緒」
「……は?」
「内緒。だから教えない」
俺なりに考えた「わがままプリンセス」っぽい言動。
なのに、青野は明らかにまなじりをつりあげた。
「はぁ……そうっすか」
待て待て、今のナシ! もう一回やり直しさせてくれ!
けど、そんなことできるわけがない。俺はストローをかみながら、青野と目を合わせないようにするので精一杯だ。
やっぱり無理だ。俺に「わがままプリンセス」のマネなんかできっこねぇ。俺が考えた「わがまま」程度じゃ、こいつの機嫌を損ねるだけじゃねぇか。
(くそ、やらなきゃ良かった)
うつむいた俺の前に「どうぞ」とケチャップが差し出された。「えっ」と頭をあげると、白々とした眼差しの青野が俺を見ていた。
「それ、欲しかったんっすよね? どうぞ」
「お、おう」
違ぇよ、ケチャップなんて使わねぇよ、そんなの邪道だろうがよ! なんて主張は、とてもじゃないけどできそうにない。
あきらめて、俺はケチャップを受け取った。
ああ、くそ。うちのポテトは、提供されたままのやつが一番うまいのに。……まあ、この店のはちょっと塩加減がキツかったけどさ。
反発心のあらわれとして、ポテトの先っちょにちょっぴりつけるだけにとどめる。
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ」
八尾のやつ、しょうもない嘘をつきやがって──覚えていろよ。
そんな恨み言を胸に、俺はケチャップ付きポテトを一口かじった。
「うま……っ」
え、なにこれ!? マジで!?
ききすぎた塩味をマイルドにする甘みと、それをさらに引き立てるうま味と酸味。
そういえばケチャップって「甘味・塩味・酸味・苦味・うま味」の五味が全部含まれているんだっけ。正直、苦味と塩味はあまり感じないけど、あとの3つは明らかにいい味をだしている。
追加で、今度はもう少し多めにケチャップをつけてみた。
──マジでうまい。これはいい「味変」だ。いや、もちろん一番うまいのは「提供されたそのままの塩味」ではあるんだけど。
「青野! 青野も食べろよ!」
「いえ、俺は……」
「いいから! マジで食べてみろって! ケチャップ付きの、すげーうまいから!」
ほら、と差し出したケチャップを青野はスルーして、かわりに自分の揚げたてのポテトに手をのばした。
「これにつけてください」
「おう! ──これくらいでどうだ?」
「ちょうどいいです。ありがとうございます」
青野が食べるのを、俺はジッと見守った。このあとどんな感想が出てくるのか、期待と不安でドキドキしながら。
「……どうだ?」
「うまいっすよ、ふつーに」
よっしゃ!
「だろ? マジでうまいだろ!?」
「ええ。この食い方を教えたの、俺ですし」
「……え?」
青野が、教えた?
笑顔のまま固まった俺を見て、青野は「またか」とため息をついた。
「やっぱり忘れていたんですね」
「いや、その……」
あれ……これヤバい展開なのでは? 額田のときみたいに記憶障害を疑われて、またもや「病院に行け」って一悶着起きるやつ……
「ほんと、あんた、しょうもないっすよね。前に俺が教えた『ちくわのフリッター』のうまい食い方も、後日さも自分が発見したみたいに山本さんたちに披露していましたし」
──うん?
「他にも『カレーにしょうゆ』とか『ポテトチップスにマヨケチャ』とか、ぜんぶ俺が教えたのに、自分が考案したみたいな顔して……」
ああ、そういうこと。
そっかそっか、ごめん、アハハハ……
なんてわざとらしい笑顔を見せながら、内心俺はホッと息をついていた。
(あっぶねぇ)
また記憶障害疑惑をかけられるところだった。
ありがとう、過去にやらかしたこっちの世界の俺。
(けど、そっか……この食い方、青野が教えてくれたのか)
そう考えると、邪道だったはずのケチャップがやけに輝いて見えてくる。
いや、わかってる。自分がげんきんな人間だってことくらい。けどさ、俺だって自分がこうもチョロいとは思ってもみなかったんだ。ほんと怖いよな、恋愛って。
と、青野が「夏樹さん」と自分の口元を指さした。
「ここ、ついてますよ」
「へ?」
「ケチャップ。小学生じゃないんだから」
おう、マジか──と紙ナプキンに手をのばしかけて。
もう一度だけ、チャレンジしてみたくなった。さっきは失敗した「わがままプリンセス」らしい言動ってやつを。
(ぶっちゃけ、すげぇ恥ずかしいけど)
ここは、勇気を出して──
「拭いて。青野」
「子どもかよ」
返ってきたのは、呆れたようなため息。
なのに青野の眼差しは、どこか甘くて優しげで──
(うわ……うわ)
やばい、心臓が壊れる。ドクドクと遠慮ない音が、耳の奥で激しく鳴っている。
「ほら、もうちょっとこっち向いて」
うながされるまま顔の角度を変えると、紙ナプキンでていねいに拭われた。
たしかに、小さい子どもになった気分。けど、子どもならこんなことでドキドキしない。ドキドキするのは、俺が「恋」を知っているからだ。
(ああ、もう)
どうしよう、嬉しい。この眼差しが、本当は俺に向けられたものじゃないってわかっているはずなのに。
心の天秤が、グッと傾いていく。ほんのちょっとだけ、八尾の提案を受け入れてみてもいいんじゃないかって。
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