8・隠れM
はぁっ!? 言ってねぇだろ、そんなこと!
これでも俺は、元いた世界ではラッキーバーガーでバイトしてたんだ。
うちのポテトの味付けはマニュアルさえ守れば絶妙な塩加減になるはずで、ケチャップを頼むなんて言語道断──
なんて抗議は、テーブルの下で繰り出された八尾からの攻撃で全部吹き飛んだ。
「痛っ……てぇっ」
くそ、こいつ脛を蹴りやがった! しかも、ギプスをはめてるほうの足で!
ありえねぇ! マジで痛かったんだけど!
「まあ、そういうことだから。頼んだ、青野!」
涙目の俺をまたもやスルーして、八尾はピッと親指をたてている。
青野は、仏頂面のまま俺を見た。案の定「なんで俺が?」って顔つきだ。
「いや、青野、俺は……」
「仕方がないですね」
「えっ」
「ケチャップだけでいいですか?」
待て待て! 俺、本当にケチャップなんて──
「できれば水ももらってきてやって。こいつ、たぶんもうドリンクほとんど残ってねぇから」
「だったら新しいの買えばいいでしょう。コーラでいいですよね」
「いや、それは……」
「安心してください。それくらいおごりますんで」
どうせいつものことですし、と言い残して、青野はレジに行っちまった。
「おい、青野……待てって!」
「いいから。やらせてやれよ」
「けど……っ」
「お前も見ただろ? あいつがちょっと嬉しそうだったの」
八尾の指摘に、グッと言葉が詰まる。
だって、そのとおりだったから。「いつものことですし」と言った青野は、たしかにちょっとくすぐったそうな顔をしていた。
「あいつさ、普段は仏頂面で愛想もないし、わりとズケズケものを言うから、周囲も本人もSキャラだって思ってるっぽいけど」
あれは「隠れM」だぜ、と八尾は笑った。
「だから、こっちのお前と相性が良かったんだろうな。たいていのわがままを受け入れられたから」
「……マジか」
あの青野が「隠れM」──
けど、よくよく考えてみれば心当たりはある。
俺がこっちの世界に来た初日、あいつは前日のケンカの詫びをいれてきたもんな。それも、無茶苦茶なこっちの世界の俺の要求を、不本意ながらも受け入れようとする覚悟で。
(そっか……あいつ、わがままを聞くの、嫌じゃないのか)
「だったら俺も」という気持ちと、「いや、だからって」という気持ちがせめぎ合う。
半分は、たぶんわがままに振る舞うことへの抵抗感だ。
俺は自由奔放な人間じゃないから、好き勝手なことをしたり、他人になんでもおねだりするのって、けっこうストレスを感じてしまう。それに「こんなことをして大丈夫かな」「こんなこと頼んで嫌われないかな」って、どうしても相手の気持ちが気になっちまうし。
で、もう残りの半分は──たぶん反発心。
俺は俺であって、こっちの世界の俺とは別人なんだ、ってやつ。
もっと言っちまえば「ありのままの俺を好きになってもらわなくちゃ意味なくね?」的な?
(じゃあ、あくまで俺のままを貫き通す……か?)
それで、青野のアプローチを受け入れて元サヤにおさまってみるか?
俺の問いかけに、脳内の悲観的な俺がすぐさま首を振って×印を出す。
──うん、たぶん無理だ。俺のまま付き合ったら、さすがにいつかは俺が別人だってバレる気がする。
で、バレたら、十中八九、青野は俺のもとを去っていく。「俺が好きになった『あの人』に申し訳がたちませんので」──とかなんとか。それどころか「俺のことを騙していたんですね。有り得ない」なんて憎まれるかもしれない。
(じゃあ、運良くバレなかったとしたら?)
それはそれで、いずれ心が離れていくんじゃねーの?
なにせ、青野が好きになったのは「わがままプリンセス」だ。なのに俺が、俺のままを貫いたら「夏樹さん、やっぱり変わりましたよね。俺、今の夏樹さんは好きじゃないです」ってことになる気がする。
つまり、あいつと付き合いたいなら俺が変わるしかない。八尾の提案どおり、俺が「こっちの俺」になりきるしか──
「じゃあ、俺は帰るから」
「……へっ?」
「このあとどうなったか、ちゃんと報告しろよ。アシストしてやったんだからよ」
待て待て、いきなりふたりきりにするな! 俺はまだどうするか決めてねーのに!
焦る俺をよそに、八尾はさっさと荷物をまとめている。しかも、自分の空っぽになったカップに手をのばすから「置いといていい」って言っちまった。だって、松葉杖をつきながら返却台に寄るの、大変だろ?
なのに、八尾から返ってきたのはこの一言。
「そういうの、『わがままプリンセス』なら絶対言わねーから」
うっ、けど──
「じゃあ、がんばれよ」
意味ありげな笑顔を残したまま、結局八尾は帰っちまった。
まだ心を決めていない俺をひとり残して。
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