7・八尾の提案
たっぷり10秒は口を閉じたあと、ようやく俺は「いや」と言葉を発した。
「無理だろ、絶対に無理だって!」
「なんでだよ。あいつ、未だお前が別人だって気づいてねーんだろ?」
「そうだけど、だからって『わがままプリンセス』のふりをすんのは……」
「そんな難しいことじゃねーって。要は、わがまま放題、好き勝手に振る舞えばいいだけなんだから」
八尾があまりにもあっけらかんと言い放つものだから、俺のなかに迷いが生じはじめる。
(本当か? 本当にそれだけでいいのか?)
その程度なら、俺にもできる──のか?
そうすれば青野とうまくつきあっていける?
「ええと……わがまま放題って、具体的には?」
「そうだな、たとえば……ここにポテトがあるだろ?」
おう。Lサイズを頼んだはずなのに、すでに半分以下になっちまってるけどな。
「このポテトはしっかり塩味がついてるから、このままでも美味しく食うことができる。けど、こっちの世界のお前は飽きっぽいから、そのうちケチャップ味が恋しくなる」
……まあ、そういうこともあるかもな。
「すると、あいつは、俺に『ケチャップもらってきて』って命令する」
「……は?」
八尾に? なんで?
「お前がケチャップを欲しがっているわけじゃねーのに?」
「それな。ふつうはそう思うだろ? けど、あいつは俺に命令するんだよ。なぜなら『取りに行くのは面倒くさいから』」
──めまいがした。
マジで? こっちの俺、そんな理由で親友をパシらせんの?
「いや、パシリはしねーよ。あいつの命令なんて無視すっから」
「正解! そんなわがまま、きく必要ねぇって!」
「だろ? けど違うんだよなぁ、青野は」
八尾はしみじみ呟くと、長めのポテトを1本つまんだ。
「あいつはさ、ああ見えて案外断らないっつーか、文句言いつつも何だかんだでリクエストに応えてやるんだよ」
「いやいや、嘘だろ」
あいつ、年下とは思えないほどズケズケ物を言うし、基本ふてぶてしいじゃん。
なのに「断らない」? わがままプリンセスからの理不尽な要求を?
「そんなのありえねぇだろ」
「それがあり得るんだって。マジで」
八尾はしたり顔でそう言うと、かじりかけのポテトの先を俺の背後に向けた。
「まぁ、試してみろよ。本人も来たことだし」
「……へっ」
「よう、青野」
軽く手を振る八尾につられて、恐る恐る振り返る。
入り口から、仏頂面した青野がちょうどこちらに向かってくるところだった。
「バカ、お前っ」
焦った俺は、八尾のネクタイを力まかせに引っ張った。
「なんであいつを呼んだんだよ!」
「呼んでねーよ。勝手にあいつが来ただけだろ」
「は? なんで……」
「俺のSNSに、お前の写真を載せたからじゃね?」
ほら、と見せられたのは八尾のSNSのアカウントだ。「#久しぶりのラッキーバーガー」「#親友と」「#ふたりきり」──
「青野のやつ、俺のSNSをけっこうチェックしていてよ、『いいね』もわりとくれるくせに、お前絡みの投稿だけは絶対スルーするんだよなぁ」
面白ぇだろ、と八尾は笑うけど、俺はぜんぜん笑えない。まめにSNSをチェックしている青野も、わかっていてタグ付け投稿しているお前も、はっきり言って怖すぎる。
「まあ、そんな顔するなって。むしろ喜ぶとこじゃねーの? あいつがお前のことを好きな証拠なんだし」
「好きなのは『わがままプリンセス』の方な! 俺には関係ねぇ──」
「なにが関係ないんっすか」
地を這うような声が、背後から届いた。それが誰かなんて、振り向くまでもなくわかっていた。
「勝手に話に割り込んでくんな!」
「すみません、聞くつもりはなかったんっすけど、あんたの声が勝手に聞こえてきたもので」
いやいや、俺も八尾も声をひそめていただろ。聞く気がなければ聞こえなかったはずだぞ、絶対。
そんな俺の抗議を全スルーして、青野は八尾に目を向けた。
「お久しぶりです。退院おめでとうございます」
「今更かよ。まあ、ありがとな!」
カラカラと笑う八尾とは対照的に、青野はわずかに口の端をあげただけだ。
怖ぇよ、その顔。──まあ、もしかしたらお前なりに愛想笑いをしたかったのかもしれねーけど。
そんな微妙な表情のまま、青野は俺の隣の椅子に手をかけた。
「ここ、座っていいっすか」
いや、他の席に行けよ!
そう返そうとした俺をさえぎるように、八尾が「いいぜ」と朗らかに応じた。
「ただ、その前にケチャップ持ってきてくれねぇ?」
「……はい?」
「こいつが欲しいんだと。ケチャップ」
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