9・青野の言い分

 そんなこんなでいろいろハードな出来事があったものの、なんとか6時間目まできっちり授業を受けて、俺は家に帰ってきた。

 はぁぁ……やっぱり家は落ち着くなぁ。このまま引きこもりたいくらい。


(つーか、こっちの世界の「俺」って今どこにいるんだろう)


 一番考えられるのは、俺が元いた世界だよな。

 つまり、俺と魂が入れ替わった、的な?

 だとしたら、きっとびっくりしてるだろうな。まわりの人たち、みんな目が「黒」だし。あと、青野が「妹の彼氏」なことにも、たぶん驚いて──


「お兄ちゃん? なにボーッとしてんの」


 うおっ、ナナセ登場!

 いきなり顔を覗き込んでくるなよ。


「ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだけどさー」


 ポテトチップスをバリバリ食べながら、ナナセは「あのさぁ」と俺の隣に腰を下ろした。


「お兄ちゃんさ、青野と何かあった?」

「へっ!?」

「あ、やっぱり。ってことは、青野を殴ったのもお兄ちゃん? なんで? また痴話ゲンカ? それともお兄ちゃんがまたわがままを言ったとか?」


 待て待て、一度にいろいろ訊くな。

 あと、一方的に俺を悪者にするな。

 つーか、今朝からずっと気になってたんだけどさ。


「いいのか?」

「なにが?」

「その……俺と青野が付き合って」


 俺がいた世界では、お前らが付き合っていたんだぞ? しかも、めちゃくちゃお似合いなカップルで、俺も兄として「いい彼氏ができてよかったな」って安心していたんだぞ?

 なのに、妹は不思議そうに首を傾げるばかりだ。


「なんで? ──え、私、お兄ちゃんと青野が付き合うの反対したことあったっけ?」

「いや、そうじゃなくて!」


 お前、本当は青野のことが好きなんじゃねーの?

 恐る恐るそう口にすると、ナナセは「はぁっ」とすっとんきょうな声をあげた。


「私が? 青野を? 何で!?」

「いや、だって……」

「ないない無理無理! だって青野、お兄ちゃんの彼氏じゃん!」

「そ、それはいったん置いといて!」


 俺が知りたいのは、お前の本心なんだ。たとえば、実は青野のことが好きなのに、俺に遠慮して気持ちを隠していたりとかさ。そういうの、俺としては心苦しいんだよ。


「だからさ、もしそうなら遠慮なく言ってほしいっていうか」


 そう、これはせめてもの兄心。

 なのに、ナナセは不審そうに黙り込むと、俺のおでこに手を当てやがった。


「大丈夫? お兄ちゃん」


 おい、こら! 熱なんてねーよ!


「だって、お兄ちゃんらしくないっていうか……ほんとどうしたの? 何かへんなものでも食べた?」

「食べてないっての!」


 つーか、なんだよ「らしくない」って!

 俺、そんなおかしなこと言ってないよな?


「えっ、言ってるでしょ! どうしたの、私に気を遣うとか。いつもの『わがままプリンセス』っぷりはどこにいったの」

「へっ?」


 なんだよ、それ。プリンセスって「王女」だよな?

 「わがまま」云々も引っかかるけど、そこはせめて「わがままプリンス」じゃねーの?

 もっともなはずの俺の指摘に、ナナセは「今更!?」とさらに目を丸くした。


「ねえ、ほんとどうしちゃったの? やっぱり熱でもあるんでしょ」

「ねーよ! 36.5度くらいだよ、たぶん!」

「でも、お兄ちゃんらしくないっていうか、わがままプリンセスらしくないっていうか」


 だから『プリンス』! 俺、男!


「でも、自分で言ってたじゃん。『俺、わがままプリンセスだからー』って、歴代の彼氏彼女にさんざんわがまま言い放題でさ」


 ──え、待って。こっちの俺、そんなキャラクターなの?

 つーか今、さらっと「歴代の彼氏・彼女」って言わなかった?

 それ、よく考えると、いろいろ怖いんですけど。

 半ば言葉を失っていると、ナナセが「大丈夫?」とまた顔を覗き込んできた。


「ほんと、今日のお兄ちゃんへんだよ? 青野も心配してたけどさ」


 えっ、あの青野が?

 言葉がキツくて、俺に対して扱いが雑すぎる「こっちの青野」が?

 俺のことを心配していたの?


「そりゃするでしょ。いきなり『別世界から来た』とか言われたりしたらさ」

「あっ」


 そうだ、その話!


「聞いてくれよ、ナナセ。青野は信じてくれなかったけど、俺、本当にこの世界の住人じゃなくて──」

「ハイハイ、わかってます。そんな言い訳しなくても、今更お兄ちゃんの浮気をとがめたりしないって」

「……っ」


 違う、これは言い訳とかじゃなくて──!


「でもさぁ、青野も人がいいよねぇ。お兄ちゃんがどんなにしょうもない言い訳をしても、結局最後は許すんだから」

「いや、だから……」

「なんだっけ……前回の言い訳は、たしか『道案内のお礼にキスされた』で、その前は『ヤラないと出られない部屋に閉じ込められたから、仕方なくヤッちゃった』で、その前は……」

「いい……もういい……」


 これ以上聞いていられなくて、俺はナナセの言葉をさえぎった。

 なるほど、こっちの俺は浮気をするたびにそんな言い訳をしていたのか。そりゃ、どんなに必死に「別世界から来た」って訴えても、信じてもらえるわけがないよな。

 ていうか、こっちの俺、貞操観念ゆるすぎない? これじゃ、たしかに「尻軽クソビッチ」じゃん。

 めまいを覚える俺の隣で、ナナセは「あのさぁ」とため息をもらした。


「青野のこと、もっと大事にしなよ。さんざん駄々をこねて、ようやく恋人にしてもらえたんだからさ」


 ──へ?


「『釣った魚に餌をやらない』ってよく聞くけどさぁ。お兄ちゃん、さすがにそろそろヤバいよ? 未だ青野がお兄ちゃんと付き合えてるの、はっきりいって奇跡だからね」


 「わかった?」と念押しして、ナナセはリビングを出ていった。ほぼ空っぽのポテトチップスの袋を、しっかり俺に押しつけて。


(待てよ。待ってくれ)


 いったん整理させてくれ。

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