第39話
一切光のない夜の町。
風すらふかず微かな物音すらしない完全な静寂の中、俺は足音を消し進む。
実にいい夜だ。月や星なんて滅多に出ないけれど出ていればもっと良くなったに違いない……と心から思っている俺の視線の先には光を灯したランタンを垂らす一軒の建物が目に入る。
「あれか……ミチルさんが言っていた通りだな」
目の前の酒場こそこの町を騒がせテレサさん達の暮らしを脅かす人殺しの住処。
周囲に一切の灯りがないだけにあの酒場は一頭目を引き不思議と足を向かわせようとする怪しい雰囲気を感じさせる。正直ああいった感じは嫌いじゃない。
ただ此処は気に入らないが。
「知らないで足を踏み入れたら最後、取られるのは命か……悪趣味だな」
一歩一歩近づく度に鼻につく不快な血の香りに良かった気分が悪くなる。
俺は前の仕事柄夜目は人以上にきく。
だから辺りを確認すると幾つもの死体が転がっているのが見えた。
「本当に気分が悪い」
扉の前に着くと扉を勢いよく蹴破る。
「こんばんは」
本当はこっそりと侵入して捕まえて脅すつもりだったけど、気が変わった。
「諸々の事情から喧嘩しにきました」
正面からぶん殴ってやりたくなった。
血のにおいがする暗い室内。
人の姿は確認出来ないけれど確実に中にいる事は気配で分かる。
「居るのは分かってる。5秒以内に出てこないと今すぐに此処に火をつけるぞ」
ライターを取り出すと分かりやい脅しとして着火する。
此処のつくりはコンクリートより木材の割合の方が多い。しかも古いのもあって本当に火を放てば油もなしでがんがん燃えてくれるだろう。
「——やれやれ、こんな時間に随分とおっかねぇ客が来たみたいだな」
自身の正面からの男の声と共に俺と同じように着火したライターを手に姿をあらわした。
フードで姿を隠した男。ネズミの言った通りだな。
「一応確認だけど、お前がこの町を騒がしてる人殺しで間違いないな」
「はっ、たかだか2、30人やった程度でもう騒ぎになってるのかよ?」
「……間違いないみたいだな。なら子供達が住む町の話を情報屋に流させたのもお前だな?」
その問いを投げた瞬間男は驚いたように口を半開きにしたあと口元を吊り上げる。
「はは、なーるほどな」
男は何を思ったか火のついたライターを酒場の中央に放り投げた。すると火はゆっくり床を焼いたかと思うと瞬く間に燃え上がる。
こいつなんの躊躇もなく……一体何を考えてる。
「……自分の寝床を燃やすなんて正気か?」
「こうしねぇと、お互い顔がちゃんと見えねぇだろう?」
「!」
そう言ってフードをとった男の顔は見覚えるのものだった。
「元気そうでなによりだなぁ、アカリ」
「……ニッコウ」
あの日、軍に襲われた時に他の皆んなと一緒に死んだと思ってけどまさか生きていたとは……。
「どうした?感動の再会に言葉が出ねぇか?」
「あぁ、二度と会いたくないと思っていた奴との再開なんでな」
「おいおい、つれないこと言ってくれるなよ?こっちはお前に会いたくて会いたくてしかたなかったんだぜ?」
「まるで生きてる事を確信してた言いぶりだな。あんな事があったんだ、死んでるとは思わなかったのか?」
「思わねぇな!思うわけないだろう!なんたって俺が生き残ったんだぜ?なら俺の憧れであるお前が死ぬ筈ねぇんだろう!なあ!」
爛々と目を輝かせ叫びながらニッコウはナイフを俺の顔面目掛けて飛ばす。
「ああ……それでこそだ」
ナイフをキャッチした俺を見てニッコウは気持ちの悪い笑みを浮かべる。
だがそれ以上に俺は今気持ち悪い物を握っていた。
「嫌なナイフだ。拭ってるようではあるけれど血の臭いがぷんぷんしてる……」
此処や外に比べればましといえる臭い。
でも本来空急に漂う臭いと物に付着した臭いを比べられる程なんて異常だ。
手に持ったナイフから漂う血の臭い。
まるで殺された人達の怨みとさえ思える。
「……元々ブレーキなんてない殺人鬼だと思ってたけど、同僚だった時は多少なりとも自制してたんだな」
「そりゃあ仕事以外で次から次に殺してたらクビになりかねぇからな——っ!?」
投げ返したナイフがニッコウの頬をかすめ壁に突き刺さる。
「反吐が出る」
もう一分一秒も此処に居たくないし聞くに耐えなかった。
ニッコウへ一気に間合いを詰める。するとニッコウは袖からもう1本ナイフを取り出し迎撃する。
狙いは右目。当たれば当然目はおしゃか。
だがそんな攻撃は脅威でもなんでもない。
ナイフの側面を手の甲で押しのける。
すると驚いた様子のニッコウは慌てて左手にも新たなナイフを握り攻撃しようとするがそれより早く俺がニッコウの腹に拳を叩き込んだ。
「——うぇっ!?」
拳はもろに決まりニッコウは勢いよく壁にふっ飛ぶ。
「……」
なんだ今のは?
人の腹を殴った感触ではなくまるで厚い土壁を殴った様な手応えだった。そして何故かニッコウは意識を失わずいた。確実に意識を刈り取れる一撃だった筈なのに。
「っ、はは……不思議だろう」
壁にもたれたままでニッコウは笑いながら自身の腹を叩く。
「鉄のさらしを巻いて防弾ベストを着てんだよ。ちょっとやそっとじゃあ殺せねぇぜ!」
ニッコウは立ち上がり向かってくる。
なるほど。それじゃあ殴ったところで大したダメージにはならない筈だ。いや殴打どころか銃や刃物すら同じだろう。
だが弱点がないわけじゃない。
「遅い」
ニッコウのナイフを避け腹に蹴りを入れ再度壁に叩きつける。
動きが遅い。それに衝撃を完全に無効化出来るわけじゃない様子でニッコウの顔は少し苦しそうだ。
「防御力があっても当たるようでは意味なんてないだろう?それが分からない奴じゃないと思うんだけど……アンタはいったいなにと戦うつもりだったんだ?」
苦しいくせにニッコウはそれを感じさせず笑う。
「お前だよ」
「……」
「お前と戦うための物だよ!」
「やっぱり……」
なんとなく察しはついていた。
ニッコウが黒幕だとわかった時から。
「子供の居る町の件もそのためか。俺があそこに住んでいたのは知っていたから……」
「それだけじゃねぇ、お前がそこの孤児院出身だって事まで知ってるぜ?社長の野郎にお前の出身地聞いたらついでとばかりに喋ってたからな」
「っ、あの人は……人の個人情報をぺらぺらと……忌々しい」
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