其の十七


話は、病に伏せったお殿様が快方に向かい始めた頃に遡る。

如月の戦で勝ち取った山の村にて、村長となった鞍馬天狗は多忙の日々を送っていた。

村の再建や税の見直し、村民らの田畑の再区分、教育機関や医療機関の設立だのと、やることは山ほどあった。

これでは酒造など夢のまた夢。

幸いにと、生き残った前村長の子供達は、村に残り復興を手助けしてくれた。

彼らは父親に強いられて、実に七人もの娘たちが男に扮し、村を立ててきたのだという。

十四になる長女はそのうち、鞍馬天狗に妻として貰われた。

しかし、弟にあたる少年らが次々に流行病に罹り、全員が伏してしまったのである。

姉妹たちは、足が動かなくなったり、手が萎れるこそすれ、どうにか病を克服したものの、初めに罹った弟二人はこの世を去った。

以来、村中でも若者たちが病に次々罹るため、一時期は村を離れる事態となったのである。童萬の特効薬が開発されてからは、村も落ち着きを取り戻した。

広々とした土地は、居住者のいない者たちの新たな村として再建されることとなり、今も着実に村人が増えている。

山人の村で見つかった骨は、全て丁寧に埋葬し、鎮魂の意もこめて義塚とした。


そんなある日、イノメと高雄狐が村を訪れた。

鞍馬に呼ばれてのことである。

山を訪れるのも久方ぶりのことで、雪化粧に覆われていた山は、緑豊かで鮮やかな景色に様変わりしていた。


「調子はどうだい、鞍馬村長。夢の酒浸り生活の計画は進んでるかい」

「よせやいイノメ。毎日目が回るほど忙しゅうて、酒を造るどころか、飲む暇すらないわ」

「良い薬ってことじゃないか。これを機に酒なぞ絶っちまえ」

「そうだよ、鞍馬のおっさんは酒の飲み過ぎ。早死にしちまうよぅ」

「けっ、誰がそう簡単に酒如きでくたばるもんか。こちとら天狗だぞ」

「それで、鞍馬。わざわざこのイノメを呼びつけたのは、何か理由があってのことかい。こんなど田舎にまではるばる足を運ばせたんだ、下らんことだったら承知しないぞ」

「おっそろしいことを。まあちと、気になることがあったもんでな。

 高雄狐よりお前さんの方が専門じゃろうが。

まあ来い、村の連中に聞かせる話でもないしな」


三人は山道を練り歩く。長い戦と厳しい冬を越え、山にも活気が戻ってきた。

戦の火で焼けた部分は畑として開墾されたり、新たに杉が植えられている。酒造の人手を求めているという噂を聞いて,遠方からも人が増えた。

あまりに人の数が増えたので、今では火叢も呼び出され、村の管理の一部を手伝わされているほどだ。

道すがら、鞍馬天狗は、イノメを呼びだした理由について話し出した。


「あの時からどうにも、ミタケの事が気がかりでのぉ。

首を突っ込むのはお門違いだろうが、村に常駐することとなったし、調べてみたんだ。あの山人の村をな」

「ふゥん。でも、村は燃えちまってたし、碌な記録も残ってないんじゃないのかい」

「いやいや。それがだな、妻らが言うには、あの爺さんの周辺にいる連中、中々に几帳面が服を着たような男どもらしくてな。

この村で起きた出来事は、全てつぶさに記帳していたそうなんだ。なんでも元は宮仕えしていた公家の連中が、島流し同然に都を追い出され、この村に流れ着いて村の重鎮となっていったらしい。

前村長もその類いさ。なんでも朝廷から追ン出されたなる公家の一人が、商人に鞍替えして、名をもじって変えたのが高橋たかはしなんだと」

「ああ、から、ね。名を一々変える理由が分からんが、まあ都で大方やばいことでもやらかしたのか」

「親族からの縁切りを喰らったのさ。公家から商人に落ちるなんざ、これ以上の恥はないってね。

んで話を戻すが、連中が残した記録によれば、あの廃村は元々「狼暴ろうぼう」という山人が治めていた村らしい。村の連中は狼旦那と呼んでいたそうだ。

たいそう凶暴な狼の異形だったそうで、背の高さは八尺以上約250cmもある大男。拳で大木を殴りつけて真っ二つにするような、たいそうな怪力だったと。

不思議なまじないも扱うし、村人の記録じゃあ、今から数えて百年以上も前から山に住み着き、山人らの長として、この地を守っていたんだと。

毎年、山を荒らし、生贄を求める水神相手にも臆さず、喧嘩を売っていたそうだ。しかも神に喧嘩を売って死なずにいるもんだから、「不死身の狼」と呼ばれていたそうだ」


「百年!」と高雄狐が感嘆の声を漏らした。

イノメは然程驚くでもなかったが、「不死身の狼、ね」と目を細めつつ、ふと足を止めた。蛇のようにのたくる複雑な道のさなかに、辻道があり、その分かれ道の先から、妙な寒気を覚えたためであった。

その様子を見て、鞍馬天狗もやはり、といった顔で、真面目くさった顔で辻道の分かれ目に立った。


「イノメ、何か感じるか」

「うん。右の道は霊道があるな。んで、左の道からは、妙な気を感じる。

 怨念の類いだ。しかも、強烈で、生きている怨念って感じがする」

「やだァ。怖いこと言うなよイノメ!」 高雄狐が怯えて、ひっしとイノメの背後にしがみついた。

「あながち間違いでもないだろうな。

記録によりゃあ、右の道の先は酒神の社があったそうだ。酒造で栄えた村が建てたらしい。もっとも、昔水害があったとかで、社や村は川に流され滅んだそうだ。

んで、左の道にゃあ、狼暴の「首」を封じた首塚があるそうだ。誰も近寄らんような村の外れにな。

そんで村の外れは海に面していて、殿下の城や俺たちの城下町も遠くに見えるんだ。ちょっと興味が湧かないかい」


イノメも高雄狐も、心底嫌そうな顔をしたが、鞍馬天狗は迷わず左の道へ進んだ。

二人はよからぬ予感がしたが、一人にさせるわけにもいかないので、渋々着いていく。やがて、獣道が開けると、はたしてそこには切り立った崖があり、海が見えた。


べたついた潮風が吹き抜け、辺りの木々は伐採されて空き地となっている。

空が近い、と高雄狐は少しだけ目眩を覚えた。

首塚と思われる祠以外、何もない。海が毎日見えること以外、随分と寂しい風景だ。

まるでこの首塚を建てた者たちから、「この場が全てから忘れ去られてしまってほしい」、そう願われているように思えてならず、イノメはたまらなく切なくなってしまった。

首塚に近寄ると、高雄狐は「あれっ」と声をあげた。塚に使われた石の裏手には、びっしりと人の名前が刻まれていた。


「ここが例の、狼暴の首塚かい」

「ああ。過去に死んだ山人らの首も此処に埋まっているそうだ。村長は崖から落ちると危ないからってんで、ここいらの出入りを禁じていたそうだが」

「ふうん、……そういうわりに、塚は綺麗だね。誰か掃除してるのかな」

「こんな奥まった山道の先に、誰か来ることあるのかねえ」

「見て鞍馬、ちゃんとお供えもしてあるよ」


三人がやいやい話していると、不意に、冷たい風が森の方から吹いてきた。

もう温かい時期だというのに、三人とも身震いし、思わず振り返る。そこには女が数人いた。

女達は年頃からして、二十から三十くらいであった。大半の女たちは赤子を背負い、あるいは子供の手を引いており、墓参りを思わせる風貌である。

その中の一人を見て、「ありゃ」と鞍馬天狗は小さく驚嘆した。女たちの中には、火叢の妻である「おひな」がいたのだ。

女達の殿には、目を患った老女が一人伴っていた。すっかり皺くちゃになって、梅干しが人の形をしたかのような婆さんだ、と高雄狐は思った。

女はぺこり、と頭を下げ、しずしずと祠に向かうと、黙って何も言わず祠を掃除し始めた。統率のとれた動きはどこか不気味で、子供達もふざけたり笑ったりせず、率先して掃除をしていた。


「おお、鞍馬村長。ここにおいでなすっていたか」と老女が声をかけた。

「どうも、フクノの婆さん。ちょいと新たな事業のためにも、山を調べているもんでね。この首塚、婆さんらが掃除しているのかい」

「ええ、まあねえ」 フクノの婆さんは穏やかに笑った。

「随分慣れてるんだね。前の村長はここの出入りを禁じていたようだが」

「フン、あの老いぼれは口ばかりさ。仕切りたがりでも目は二つしかないんだ、節穴共の目をかいくぐって此処に来ることくらい、訳ないよ」


女達は掃除を終えると、花や酒を供え始めた。

それだけでなく、裏手にも回り、石に刻まれた名前を撫でたり、ぼそぼそと何か話しかけたりもしていた。

おひなもまた、名前の刻まれた石の表面を優しく撫でて、ぽつぽつと近況を話し始めている。まるで石を誰かに見立てているようだ。

その様子を訝しんでいると、フクノの婆さんが言った。


「彼女らはね、元々山人の村で暮らしていた者たちさ。

この首塚にはね、あの子らを育てていた親代わりや、前の夫らが眠っているのさ」

「なんだって」 鞍馬はもう一度、首塚を見やった。

フクノの婆さんは話を続ける。


「山人の村がまだあった頃、私らを含めたここの女たちは、川神様の生贄として捧げられそうになった者たちばかり。

見かねた狼旦那が私らを助けてくださって、村に匿ってくれていたのさ」

「……そんな過去があったんですかい」

「でも、十数年前、高橋村長はこれを良しとしなかった。

 川神と取引をして、ヒトの村には暫く手を出さん代わりに、山人の村を滅ぼしてしまったのさ。私らは人間だったから、そのまま村に連れて帰らされ、新たな家や新たな夫があてがわれた……。

それでもね、割り切れんもんさ。あたしらは、あの穏やかだった日々を忘れられんかった。

だから今もこうして、人目を忍んで墓参りしてるってわけさね」


一同はあらためて、首塚を見やった。

フクノの婆さんは鞍馬天狗を見ると、「村長にゃ悪いがね、お前の奥さんや高橋乙名の息子たちが病に罹ったのも、天罰みたいなもんさ」と吐き捨てるように言った。

その言い草にむっときた高雄狐が何か言い返そうとして、鞍馬天狗はそれを制した。


「天罰?」

「ああそうさ。村を滅ぼされる少し前のことさ。狼旦那は、人里から追い出された妻を貰った。

何を隠そう、その妻ってのは、先先代の村長の妹で、あたしの孫さ」

「なんだと!」 一同は驚き、老婆を見た。

「しかもお腹には子供がいた。生きておれば十五か六か、そのくらいかの。

だのに高橋乙名は、あたしの孫から村長の座を奪うだけじゃ飽き足らず、生まれたばかりのあたしの曾孫を縊り殺して、川神にくれてやったと宣いよった。

あれは酷く狼旦那を憎んでおったからのお。生き残った山人の子供らも、皆捕まえて、人買いに売りつけて……。

唯一残った奴隷に、ケンという子どももおったが、その子すら川神の腹を満たす贄にして。まさに鬼畜の所業よ。

ああ、何度あの男を殺してやろうかと思ったことか!あとあたしが三十、いや四十若けりゃあねえ……」


老婆は昔を思い出してか、濁った白い目からぼたぼた涙をこぼしながら、女たちに連れられて山を降りていく。

それを見送り、鞍馬天狗とイノメは意味ありげに目配せした。

高雄狐はぽかんとした顔で見送りながら、そういえばさ、と振り返り、無邪気に言った。


「確かミタケとフジって、ここの生まれなんだよね。ミタケは村の奴隷だったんでしょ?

なんでおばあちゃん、ミタケのことは知らなかったんだろ。今度フジに聞いてみよっかな」



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