其の十三
はらはらと雪が降りしきる。名ばかりの春は気配が遠い。
見張りに立つ村人たちはかじかむ手を擦らせ、寒さに耐える。
この時期の昼は短く、夜は長い。
おまけにここ数年は夏でも冷えた日々が続くので、冬になる頃にはばたばたと老人や病人が倒れることなど珍しくもない。
おまけに度重なる戦。何度も男が駆り出されては、畑や田の面倒を見る者が減り、やっと戦が終わってみれば、枯れた野菜と稲の残滓が出迎えるばかり。
今年はどうにか戦の前に収穫が間に合ったものの、殆どを税にとられ、村に残った食糧はさほど多くない。
おまけに、山の中の戦ときた。糧食を守る村の一つとして、警戒は怠れない。
緊張と疲労が村全体に漂っていた。
凍りそうな鼻水を啜っていると、見張りの視界が、蠢くものをとらえた。
「……ん?なんだありゃ……」
それは人であった。
ぼろぼろで血にまみれた鎧を着て、顔じゅうは泥だらけ、おまけに傷を負っているようだった。戦で落ち延びてきた兵士だろうか。
厄介な奴が来てしまった、と村人同士で目配せしていると、ぼろぼろの兵士は見張りの村人にしがみついた。
ぬめって冷えた血がべっとり服にまとわりつき、見張りは思わず「ひっ」と息を飲む。
「うぅぅぅ、助けてくれぇ、助けてくれぇ……もうだめだぁ、おらは死ぬんだぁ」
「やめろ、ここで生き倒れるのはよせ!」
「来るぞ、来るぞぉ。攻めてくるぞ、軍勢が。
奴等は何度打ち倒せど、縊り殺せど、恨みを糧に攻めてくるぞ。
お前たちの恐怖が張り付いた顔の皮を、お前たちの生き血滴る首を欲して、土の下から蘇ってきたぞぉ」
死にかけの兵士の語り口に、村人たちは空恐ろしいものを覚えた。
そして気づく。やけに視界が不明瞭だ。
雪が激しく降りしきっているわけでもない。霧だ。靄のごとく、村の周囲を白い霧が覆い始めている。
不意に、見張り達は冬に非ざる、異様な臭いを嗅ぎつけた。
嫌な予感が背筋を這うと同時に、
見張り達は今度こそ、極寒ではなく、恐怖によって震え上がった。
彼らは、村の領主が掲げる旗を背負っていた。あるいは赤黒く血に染まったぼろを着ていた。
何より、彼らの体には、「肉」がなかった。
土や蛆虫のへばりついた白い骨を剥きだしにして、かたかたと激しく音を鳴らし、両手を突き出して向かってくる。
さながら、黄泉より舞い戻ってきた、死者たちの行軍であった。
「ひっ、ひいいいい!」
「来るぞ、来るぞ!地獄の窯をこじ開けて、山人の兵士が戻ってくるぞ!
お前たちの腸を啜り、頭を齧り、骨の髄までしゃぶりつくさんがため、死者たちが今一度、お前たちに復讐するため帰ってきたぞ!
逃げろや逃げろ!地の果てまで逃げ惑い、小便を垂らしながら悔い、怯えて死ね!」
喚きながら、血みどろの兵士が面をあげる。
その顔はべろりと皮膚が崩れ落ち、土が骨にまとわりつく異形の姿。
それを見るなり、兵士たちは持っていた槍も放り捨てて、村の中へと逃げ惑っていく。
あちらこちらから「敵襲だ!」「死者が攻めてきた!」「呪いだ!」と悲鳴が上がり、混沌に包まれていく。
一人残された血みどろの兵士は、それを見て、気が触れたようにげたげたと笑う。
ひとしきり笑い終わる頃、血みどろの兵士は、顔にべったり張り付けた土と面をべり、っと剥いだ。
「ふん、莫迦どもが。まんまと引っかかったな」
兵士の背後で、数人の骸の影から、ひょっこりと紫月衆の面々が顔を出す。
何のことはない。血みどろ兵士は変装したミタケであり、骸たちは山人の村から出てきた骨に服や鎧を着せ、高雄狐や鞍馬天狗が妖術で操っているに過ぎない。
しかし戦中の緊張感や視界の悪さから、村人たちは容易に死者の行軍の幻覚を真に受けたようである。
大騒ぎとなった村を見やり、イノメが呆れた顔を浮かべた。
「こんな子供騙しに引っかかってくれるなんてね。連中、戦慣れしてないにもほどがあらあ」
「その子供騙しに何割かが引っかかってくれりゃあ御の字だ。あとは俺たちが軽く引っ掻き回すだけで万事上手くいく。
イノメとミタマがちょいと暴れて、あとは村長を引きずり出し、家屋のいくつかに火でも焚けばしまいだ。
俺が先行し、邪魔者は始末する。紫月様は後でゆるりと、村の制圧を宣言なさればよい」
ミタケは言うや、足取り軽やかに村へと足を踏み入れた。
その背中を、不気味なものでも触れてしまったように一瞥しつつ、イノメが後に続く。
鞍馬天狗とミタマは不安げに互いを見やって、「大丈夫かね、奴さん」「なんだか様子がおかしいものね」と言い合いながら後に続く。
高雄狐は妖術を保つために神経を集中させているためか、皆の放つ異様な気配に気づくことはなく、ぜいぜい言いながら術を駆使している。
殿を紫月と童萬蝶師がつとめつつ、二人はそこはかとない不安を表情に浮かべていた。
「なあ、童萬。骸をば作戦に使う、これはまだ良しとしよう。
彼等は後ほど供養し、立派な塚を建ててやれば、祟られることもあるまい。
だが、あのミタケの言動、どこか引っかかる。まるでこの村を襲うことを心待ちにしていたかのようだ。
なんだか胸騒ぎがする。このまま先行させてもよいものか」
「紫月様。お気持ちは痛いほど分かりますが、こればかりはこの童萬も推し量れませぬ。
占い師として、さとりとしてお恥ずかしい事なのですが、ミタケの心ばかりは、どうも覗くことが躊躇われます。
彼の心はさながら、奈落の如き昏い穴。
ひとたび覗き見れば、かの穴に魂を引きずり込まれ、貪り食われるような気がしてならぬのです。
ご用心なさってください、紫月様。彼は何をしでかすか、まるで図れませぬ」
四半時もしないうちに、村の中は大騒ぎとなっていた。
見張りの狂いようを見て、誰も彼もが錯綜し、手当たり次第に荷物を持って逃げ出そうとしていた。
駐屯していた兵士たちが逃げるな、持ち場に戻れと喚いても、村人達は青い顔で右往左往するばかり。
兵士の一人が村人を捕まえ「何があってこんな騒ぎをたてたのだ」と問い詰めれば、
「死者が戻ってきた」「黄泉から軍勢が攻めてくる」「皆殺される」と口々に喚く。
恐怖は兵士たちにも伝染し、一人また一人「もしかして勝ち目がないのでは」「死者の軍勢とやらに俺たちが敵いっこないのでは」と怯え始めた。
気弱な足軽が槍を捨て、隣にいた兵士が鎧を脱ぎ捨て、ある者は「やめだやめだ、戦で死ぬならともかく、死霊に呪い殺されてたまるか」と尻をまくって逃げていく。
後はもう、将棋倒しもかくやの、押し合い圧し合い。
「火だ!家に火が!」
「黄泉の炎だ!」
騒ぎに乗じて、家屋のいくつかに火が放たれる。
もくもくと煙が上がり、黒と炎の赤が周りを包んで視界を阻む。こうなれば一層、村人達は火にも怯え、四方八方へ散り散りになるほかない。
まさにミタケの望んだ混沌が、ここにあった。
炎が人を、牛を、犬を追い立て、雪崩の如く、村から命あるものが逃げ去っていく。
「なんの騒ぎだ!」
やがて、村で一番大きな屋敷から、どたばたと人が出てきた。
皺が増え、白髪にまみれ、記憶の中より痩せ細ったとしても、一目見てすぐに気づかされる。
ミタケは声もなく、出てきた男を──フジの父親たる、村長を凝視した。
記憶から消え褪せることなく存在し続けた憎悪の象徴を眼前に、ミタケの毛という毛が逆立った。
村長は逃げ惑う村民や駐屯兵士たちを苦々しく睨めつけ、嗄れた声で怒鳴り散らす。
「一体全体、この
怒号を向けられ、一瞬、ミタケの全身が強張った。
腹の底は、内側から臓腑を灰と化すほどの熱に焦がれているのに、頭は冷や水を被ったように凪いでいた。
片膝をついていたミタケは、震える体を己で鞭打って、すっくと立ち上がった。
気付けばもう、村長の背をとっくに追い抜いていた。ちっぽけで痩せた老人を前に、ふっと視界が開けるようだった。
「──覚えているか」
「なに?小さい声でぼそぼそと、聞こえ辛いわい」
「この瞳の色を覚えているか。お前が縊り殺した男の顔を、名前を、覚えているか。
お前が殺した者たちの、山人たちの恨みを忘れたか、高橋乙名よ」
面を見た村長は、ミタケの顔を見て息を飲み、後ずさった。
被っていた兜の紐が切れ、ばさりと落ちる。
伸びた髪の下で輝く月のような金の瞳、白髪と混じって銀にも近い黒い髪、日焼けた顔に付く傷、狼の如き高く彫り深い鼻。
その容貌に何を思うのか、村長はか細い悲鳴を上げて更に後ずさり、躓いて尻餅をついた。
「
「その様子だと、碌に首塚を参ってないとみた。
恨んで恨んで悔やみきれず、蘇ってきてやったぞ。お前の首を、代わりに生きたまま埋めてやるためにな」
「ならばもう一度死ね!兵士よ、敵兵が出たぞ!殺せ、首を掻っ捌け!」
村長は錯乱しながら叫び、腰の刀を抜く。型も機敏さもあったものではない。
抜いた矢先に、鞘ひとつで叩き返してやれば、脆弱な腕力で掴んでいた刀をあっさり取り落とした。
逃げ足だけは速いようで、すぐさま屋敷の中へと逃げていく。
愚かな男だ。戸を叩き壊し、ミタケは老人の後を追う。
逃げ惑う女中も蹴り飛ばして、鼻をひくつかせながら、懐かしい回廊を歩く。
「殺してやる、化け狼!」
やおら声がし、銀色の鎖が飛んできた。
瞬く間に腕を絡め取られた途端、銀に触れた手が焼けただれ、ミタケは激痛に吼える。
引きちぎろうにも、鎖で手で掴むと、熱した鉄板で焼かれるような痛みがあった。
鎖を持つ村長が、脂汗をかいた笑みでミタケを睨む。
「無駄な抵抗だ、化け狼。わしが若い頃、どのような手で貴様を封じたか、忘れたわけではあるまい。
貴様は銀や鉄に触れると焼けただれたような傷がつくことを、ああ、ようく知っていたとも。だから貴様の首は鉄の箱で厳重にしまって封じたというのに!
だが今度こそ逃がしはせんぞ。水神の腹に消えたお前の息子のように、今度は飼い慣らして奴隷として躾し直してやる!」
「こんな鎖、すぐにでも叩き斬って……ぐう!?」
今度は別の方向から、銀の鎖が飛んできて、ミタケの足を縛る。
はっと振り返ると、そこにはミタケとそう歳の変わらない子供たちがいた。
「父上、今お助け致す!」と叫び、えいえいと鎖を引っ張る。
万事休す。仇まであと一尺もない距離で、ミタケは組み伏せられてしまっていた。
老人がにたりと笑い、震える刀でミタケの首に刃を押し当てる。
「だが躾け直す前に、もう一度痛い目に遭ってもらおうか。首だけになって、今一度大人しくしているがいい!」
◆
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