其の十一
遠くで、鉄球が地を抉り、人を薙ぎ潰す鈍い音が響いている。
骨まで沁みるような反響と怒声、行軍の地鳴りが、紫月を浅い眠りから呼び起こす。
合戦場からの冷たい冬風が、血と銃の火薬の匂いを、山の奥までも連れてくる。
空を仰げば、木々の隙間から夕陽がのぞく。かれこれ半日以上は戦が続いていた。
「紫月様、もう少しお休みくださいませ。見張りはミタケとイノメが続けておりますゆえ」
「おお、童萬蝶師。すまぬ、眠りこけるつもりはなかったのだが。私が眠り落ちてどれほど経った?」
「
もう二日も起きて動き通しではないですか。今しばらくここでお休みくだされ、今後の活動に響きます」
「しかし……」
「童萬のいう通りですぜ、頭。これから更に山の上を登るんだ、体力はつけといたほうがいい」
と鞍馬天狗が続け、芋がら縄をがじがじと噛み締める。
食い下がろうとした紫月だったが、部下たちの厳しい視線を受けて「分かった、そなたらに甘んじてしばし休もう」と再び目を閉じた。
険しい山林での戦いが始まって、早十日ほど。
勝っては軍を進め、負けては退いての繰り返し。敵対する軍は山での戦いに慣れていないようだが、何ぶん数は多い。
こちらは山の戦いを学び熟知こそしているが、兵の数はじりじりと減らされ、食糧も心許ない。
紫月衆は敵陣の動きを観察しつつ、どうにか糧食を新たに確保できないかと、頭を突き合わせあれこれ画策している最中である。
最も効率がいいのは、ムラからの略奪である。
山一帯には複数のムラがあり、いずれも敵軍の領地であることは把握済みである。
しかし敵軍も無策ではない。ムラというムラの住民たちは略奪に備えた準備を済ませており、いつでも迎撃できる姿勢をとっていた。
そのため、下手にムラを襲えば返り討ちに遭い、しかも険しく迷いやすい山の中で戦うとなると、地元の民である村人らの方に利がある。
まさにじり貧。このままでは敗戦、撤退を余儀なくされる状況といえた。
一行が迂闊に行動を起こせずにいた中、姿のない二人が戻ってきた。ミタマと高雄狐である。
帰りの気配に気づき、紫月も目を覚まして「おお、二人とも」とやつれた笑顔で出迎えた。
「皆、待たせたのう」
「ミタマ、高雄狐!どこ行ってたのさ、さんざ心配させやがって」 とイノメ。
「ちょっと気になったことがあってな、山をもう一度索敵しておったのじゃ。
するとじゃな、この山を南側から登った矢先に廃村があったのを見つけたのじゃ。
狭くも安全な道以外は、切りたった崖となり、襲撃される心配も少ない。拠点として使えるやも」
「でも、近くにもう一つムラがあるんだ。風上側の廃村だから大丈夫だとは思うけど、気取られないかな」
「構うもんかい、人がいるならぶちのめして占拠するまでだ」
「おお、萎れてたイノメ姫が急に元気になったな。よし、ちょっくら皆で様子を見に行くか」
紫月衆は、ミタケと高雄狐の案内で、山を登り始めた。
一見すれば、鹿や山羊がせいぜい通れるかというほどの緩急が激しい道だが、ミタケ達が見つけた「かくれ道」は、人間でもどうにか登れる整備されており、格段に進みやすかった。
「おそらくは廃村に住んでいた人間が作った道でしょう」とミタケは言いながら、その目はらんらんと光りはじめ、途中からは案内役である高雄狐らをも追い越してずんずん進み始める。
どころか、四つん這いになって獣のように走りはじめ、あっという間に紫月衆を置き去りに、どんどん上る。
「どうしたってんだあいつ。廃村への道が分かっているみたいだ」と高雄狐や鞍馬天狗はぎょっとしながらも、ずんずん追いかけていく。
一方でイノメや童萬は、次第に警戒心を高めていき、顔が強張り始める。
「気づいたか、童萬」
「ええ。……今は如月、春には早すぎる。なのにこの野の植物たちは……」
「おい二人とも、何してる!早く走らんと、ミタケに置いていかれるぞ!」
やがて一行は、廃村に辿り着いた。
途中の道は木々や生い茂る蔦の類が邪魔していたが、すべてミタケが薙ぎ払ってしまっていた。
広々と切り開かれた土地に、すっかり焼けこげて跡形もない、家屋の痕跡ばかりが残っているのみ。
紫月衆の面々は、奇妙な心持で村を見て回った。
「おい見ろ、井戸がまだ生きてる。飲み水は問題なさそうだな」
「おい!野菜が育ってやがる……如月で、雪も降っているのに!
しかもきちんと世話されているみたいだな。この熟れよう、食い時だ」
「下手に食うなよ高雄。こんな寒空で育った野菜なんて怪しすぎるに決まってら」
「何から何まで妙だ。人が出入りしている気配がない。こりゃどういうことだ?」
童萬蝶師は畑に近寄り、土や野菜を調べ始めた。
すると、暫くしてはっと息を飲み、眉間の皺を深める。
何か分かったのか、と紫月が尋ねると、おそるおそる童萬蝶師は告げた。
「紫月様、これは妖術に御座います。
たえず畑で野菜が実る豊穣のまじないと、世話されずとも井戸に水がわき続けるまじないです。
これは並みの妖術ではございませぬ。おそらくは土や地下水脈と術を連動させ、人が手間をかける必要のないよう、念入りに複雑な術をかけておるのです」
「しかし……ムラに人が来ている様子はないが。
野菜が収穫されたわけでもなさそうだし、人が住める手配があるにも関わらず、無人というのは奇妙だ。よもや敵軍の罠では?」
「だとするなら、せめて近辺に兵を設置しているじゃろうに……その気配もなさそうじゃ」
「おうい!こっちの長屋なんか、大きくてそこそこ広いぜ。
修繕すりゃあ使い物になりそうだ!……うわっぷ、煤だらけだ」
皆が皆、村の探索を続ける中、ミタケ一人が呆然と村を見回し、あてもなく歩いていた。
踏みしめる固い土の感触、村全体を覆うような背の高い木々、真冬にも関わらず村の中では青々と茂る草花たち。
まるで魂も正気も奪われてしまったように、ふらふらと廃村のあちこちを見て回る。
その時、高雄狐が小さく悲鳴を上げた。
「どうした、高雄!」
「びびび、吃驚こいたあ。見てよ、骸だ!」
焼けこげて倒壊した家屋の一つの影に、骨となった死体が転がっていた。
服はとうに朽ちているか剥ぎ取られたのか、丸裸だ。十年は野ざらしになっていると分かる。
しかし一行が驚いた理由は、単なる骨の骸だからではない。その頭部が、尋常ならざるだったためだ。
「これ、って……鬼のツノか?」
「だな。ツノの大きさからして、まだ若いな」
「おうい、こっちも見てくれ!足の骨が魚みたいな奴もいる!」
「こっちは両手がやけに大きい奴がいるぞ。どうなってんだ、この村」
一同は騒然としつつ、村じゅうの土をひっくりかえした。
すると出るわ出るわ、異形の骸たち。
中にはまともな人間らしい骨もあったが、尋常ではない「何かが起きた」ことは明白であった。
中には頭を割られたもの、骨があらぬ方向を向いているもの、夥しい傷を残す骨もある。
すると、骨をしばし見つめていたイノメが、蒼褪めながら合点がいったという表情を浮かべた。
「そうか。ここ、山人の村だ」
「山人?妖魔たちが暮らしていたのか。しかし、連中がムラを築くことなんてあるのか?」
「喧嘩売ってんのか呆け天狗。……でなければ、この骨に説明がつかんだろう。
それに大半は埋められていたんだぞ。つまり、ここで何か……山人らが大勢死ぬような何かがあったんだ」
「……殺された、とか。ムラに住んでいた山人ら、全員が」
「誰に?」
「……下にムラがある」
ぽつり、とミタケが、切り立った崖に連なる柵の外を指さした。
一同は柵から崖の下を見下ろす。そう離れていない距離に、確かに大きなムラがあった。敷地と家屋の数だけなら、廃村の倍はあるだろう。
よく見れば、武装した村人らしき姿がちらほら見受けられる。掲げている旗は敵軍のものだ。
山から続く道さえたがえなければ、崖下の村と問題なく行き来が出来たはずだ。
一同は沈黙し、荒れ果てた村を振り返り、息を飲んだ。
否が応でも想像してしまう。あっというまに、燃え盛る炎に飲み込まれていく長屋。
逃げ惑う山人達。それを追う村人。
なす術なく殺されていく住民たち。次々とムラの土に山人の骸を放り込む人間たち。
残された村の残骸だけが時を忘れ、森の奥深くに隠され続けていたさまを。
ミタケは被っていた笠を深くかぶり直し、一同に向き直る。
「好機です、紫月様。
連中は廃村が見つかったことも、我々がここに辿り着いたことにも気づいていない。
この面々であれば、ムラを急襲することは可能なはずです」
「……ミタケ、しかしここに集まっているのはせいぜい六人。村の人数は二百をくだらない。些か無謀だ」
「まさか、正面切って襲ったりはしません」
そう語るミタケの口元は、歪な笑みを浮かべていた。
だがこの笑顔は笠の影に隠れ、誰ひとりとして、──童萬ですら、その笑顔の真意を汲むことは出来なかった。
「私に考えがあります。全てお任せくだされ。
一日で、あのムラを陥落せしてみせましょう」
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