其の十


翌日には、フジの養子入りの話は紫月衆の全員が知るところとなった。

それもお殿様直々の命である。

一体何をしたら、弱小とはいえ大名の養子という立場になれるものなのかと、皆が驚き呆れた。

大名様もよく考えつくもんだ、と感心する者がいる一方で、どこの生まれかも分からぬ人間を養子入りさせることを、向こうもよく了承したものだと疑問視する声もあった。

当のフジはといえば、ただ黙って粛々と、筑紫州※九州国に旅立つための準備をした。

泣こうが喚こうが、逆らったところで、自分の意見などから通ることなどないと身を以て知っているためだ。

愚痴を言う相手も、全てを知るミタケ一人だけだ。


「にしたってさ、無茶言うよ、殿下も。突然、よその大名様の娘になりすませだとかさ。もっと他に適役があろうに」

「殿には、俺たちには及ばぬほどの深い考えがおありなのだ。

 つべこべ文句言わず、さっさと花嫁修業をすませて戻ってくればいいだけの話だ」

「好き勝手言ってくれるな。俺がいないからって、戦場で寂しくて泣くんじゃないぞ」

「はン。いい歳して、冗談だけは相変わらず下手だな」


その後、程なくして、養子入り先である豊前※現在の福岡の大名から、フジを迎える用意が整ったという知らせが届いた。

紫月衆の面々は、フジとの別れを惜しみ、あれやこれやと荷物を持たせた。


「南は悪い風が吹きがちだ、これを使って扇ぎ返してやれ。貸してやるだけだからな、無くすなよ」と鞍馬天狗は「天狗の大団扇」を。

「食うものに困ってはいかんからなあ、向こうの魚はへそ曲がりが多いからの」と、ミタマは天に翳せば魚を呼ぶという「うおの珠」を。

「田舎でも修行は怠るなよ、化けと悪戯は立派な忍びの基本だぞ」と高雄狐は「変化の蓑」を。

「病に罹ったら無理はしてはなりませんよ」と童萬蝶師は「百の煎じ薬」を。

「向こうの妖魔たちの力が欲しくなったら、これを使うといいぞ」とイノメ姫は酒の入った「うわばみ瓢箪」を、それぞれ持たせてくれた。

一方でミタケはというと、古ぼけた笛を投げて寄越すのみ。

いよいよ筑紫州へ向かうという時、火叢が見送りに来て、フジに手紙を持たせた。


「これは?」

「向こうについたら、入用になるかもしれない。もし十波となみという男に出会ったならば、この手紙をお渡しなさい」

「はァ」


秋の半ば、フジは城を出て豊前に居を構える、大名の元へと向かった。

大名とはいっても、領土も城も小さく、これといった後ろ盾もない、歳のいった田舎侍とその妻であった。

二人は戦で子を亡くして何年も経ち、戦でこれといった戦果もなく、それにとても老いていた。

側女を持つこともなく、つつましく暮らしていたようで、意外にもフジはあたたかく老夫婦に迎えられた。


「事情はそちらの殿よりお聞きしておる。

短い間だが、この老人たちを父と母と思い、花嫁修業に励んでくれ」

「は、はあ……」

「そなたのことは、儂の遠縁にあたる、丹後に住んでいた娘ということにして周りには伝えておる。

これからは丹藤姫にのふじひめと名乗るといい。そなたの前髪と名前からとったのだ、悪くないであろう?」


この物腰柔らかな態度には、さしものフジも拍子抜けした。

ここには紫月も仲間も、ミタケすらもいない。完全な一人だ。はたしてやっていけるだろうか。

老夫婦は城と城下町を一通り案内したあと、一人の若武者をフジに引き合わせた。

焼けた肌に青い瞳の、とても背の高く鬼の如き肉づきをした、精悍な若者であった。


「この者は十波といってな、刀を握らせれば腕の確かな若者だ。

口も堅く誠実な男だ、護衛もかねて傍に置いておくとよい」

「はぁ。不束者ですが、暫くの間ご厄介になります」


老大名の言う通り、十波は置物のように、とても無口な男だった。

フジの素性を知っている数少ない一人で、どこへ行くにも何をするにも、とにかくフジの元を着いて回った。

まるでミタケのようだ、と思ったが、愛想のなさと口数の少なさは、ミタケ以上であった。

しかしこの若者に、どこか見覚えがあるような不思議な気がして、フジはとても落ち着かない気持ちで数日を過ごした。


「丹藤姫様、この後少しよろしいでしょうか」


一週間ほどが経った頃、十波が初めて自分から声をかけてきた。

そもそもまともに口がきけたのか、とフジは驚いたが、「構いません」といい、十波を部屋に呼び出した。

すると、十波はまず挨拶をしたあと、やおらこんなことを言い出した。


「もし、鍛治師の火叢より、なにか言伝は預かっていないでしょうか」

「え、ええ、確かに手紙を預かっておりますが……火叢殿とはお知り合いなのでしょうか」


十波は再び黙りこむ。

埒が明かないので、フジは預かっていた火叢の手紙を十波に差し出した。

十波は手紙を開いてその場で読むと、二度三度、顔色が変わった。

そして再び封をすると、じっとフジを見据えた。


「まさか本当に、丹藤姫様が、あのニトウ様であったとは」

「ええっ!な、なぜそのようなことを……」

「貴女がご存じないのも無理ないこと。私は、ニトウ様の生まれ育った村にて村八分にあっていた村人にございます。

水神退治のことは、火叢殿からお聞きしているでしょうか。

貴女には隠す必要もございませんが、私は、あの水神を斬った男なのです」

「な……なんですって!貴方が、あの恐ろしい水神の首を叩き斬ったという?」


フジは信じられない思いで、青年を見つめた。

どうみても齢はお殿様と変わらない程度の若さだというのに、山を三回りもするような大蛇の神を退治したとはとても思えなかったのだ。

しかし、それならば青年の顔を見た時のなつかしさにも、納得がいく。

更に十波は、この豊前に行きついた流れも語り始めた。


水神退治をへた後、村長は十波を「鬼の子だ」とうそぶいて村から追い出した。

方々を巡った十波だったが、目立つ風体と膂力であったために、戦力として買われたこともあったという。

しかし、ある大名のもとに仕えていた折、身に覚えのない罪をかけられて投獄され、島流しにあったそうだ。

そして流刑地に連れていかれる最中、囚人たちを乗せていた船が嵐に遭い、豊前に一人流れ着いたとのことだった。

そして老いた大名夫婦に拾われ、今は城に仕えるいち武士となったのだ、とすっかり身の上を明かした。


「実を言うと、火叢殿とも定期的に連絡を取り合っていたのでございます。

近いうち報せが届けると伝えられてはいたのですが、まさかこのような形で貴女に会うとは思いもよりませんでした」


フジはその言葉に、静かに耳を傾けていた。

そして長い身の上話が終わると、唇を噛み締め、十波に深々と頭を下げた。

今度は十波が、フジの所作に呆気にとられる番であった。


「父のせいで、貴方にとんでもない迷惑をかけてしまった。

それどころか、あの化け物を退治してくれたというのに、さんざ苦労をかけてしまうとは。どうか許してほしい」

「そんな、頭をあげて。

村長に恨みがないといえば嘘になるが、貴女をどうこうしたいわけではないのだ。

ただ、同じ村の出とあらば、力になりたい。火叢殿もそう願っている」


そんなわけで、フジと十波はあっという間に打ち解けた。

互いに身の上を知ったうえで、気心知れない相手が出来たことで、少なからず豊前では寂しい思いをせず生活することが出来た。

話せるようになってみれば、十波という男は気安く、二人は歳の離れた親友となっていった。


一方で大名夫婦も、それはもう孫でも出来たかのようにフジを可愛がった。

曰く、夫婦は娘には恵まれなかったらしく、親族も男ばかりであったらしい。養子をこれまで取らなかったのも、縁がないことと、大名として力も土地もそう持たぬことが理由であった。

そんな時に、若く育て甲斐のある女を養女に貰えるとのことで、実は内心喜んでいたのだと、夫婦は語った。

姫としての素養を学び、花嫁修業は思いのほか厳しかったが、苦とは思わなかった。

紫月の花嫁になるか否かという返事をうっかりしそびれていたものの、まあミタケが上手くなんとかとりなしてくれるだろう。

遠く離れた地で暮らすうち、フジは楽観的になっていった。


「ああ、こんなに娘が可愛く思えるなら、早く養子に貰っておくんだったわね」

「まったくだ、嫁にやることを考えると寂しくなってしまうのお」


などと夫婦は笑った。

そんな冗談を耳にすると、不意にフジは胸が苦しくなった。

故郷を捨てることを決断させられたあの夜と同じ、張り裂けるような寂しさが襲った。

姫としての偽りの日々を送るうち、この豊前の地を故郷と同じくらい大事に思うようになっていったのだ。

──どうせこの身は男なのだから、嫁入りなど出来ようもないのに。

いっそ全てを明かして楽になれたら、どれだけいいか!


そんな苦悩を抱き続けていたある日。

如月の冷たい風が、手紙を運ぶ鳥を連れてきた。

手紙を受け取った十波は、書かれていた内容を見ると、渋い顔をしてフジのもとに向かった。

そして、言い出すかどうか十分に悩んだうえで、打ち明けることにした。


「丹藤姫様、紫月衆から手紙が届きました。そちらの殿様は、戦で大変苦戦しておられるようです。紫月衆も、敵方のやり口に手を焼いているとか」

「然様ですか。何事もなければいいのですが」

「それと、これは火叢からの報せなのですが……」

一度口を噤み、息をひとつして、言葉をつづけた。


「此度の戦。我らの住んでいたあの村も、戦火の手が伸びるやも、とのことです」



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