其の八


火叢が城仕えを始めて、暫く経った。

戦火はますます勢いを増して、勢力図は目まぐるしく変わりゆく。

お殿様も何度か戦場に出向くことも増え、その度に紫月衆が伴い、戦場を掻きまわし、自軍の勝利に貢献してきた。

お殿様は弟と臣下たちの働きぶりに毎度のことながら感心し、時には冗談めかして「この首が落ちたその時は、信月に全てを任せられるな」などと口にするくらいであった。


ある年の文月の半ば、城下町から五十里約196㎞ほど離れた土地で、合戦が起きた。

大きな川を境に、山側に青い旗の軍、平原側に黒い旗の軍が陣取り、かれこれ二刻約4時間ほどぶつかり合っている。

旅の行商人一行になりすました紫月衆は、合戦を見渡せる見晴らしのいい丘に陣取り、屋台を広げて観察していた。

この合戦の勝敗次第では、お殿様がどちらの軍に与するか変わる。

そのため、近隣で起きた戦の戦況を逐一把握しておくことは、とても大事な諜報活動であった。


「やあやぁ、この様子だと青軍が優勢だな」

「山の利を生かしての籠城が功を奏しているようだねェ。

でも黒軍にゃ諏訪の大名が後ろ盾にいるって話だろ。そっちから援軍が来る限り、戦はだいぶ長引きそうだな、こりゃ」

 

酒を飲みながら、農民親子に化けた鞍馬と高雄狐がやいやいと言い合う。

周りで話を聞いていた農民たちも「そういうもんなのか」と感心しながら、激しく響き渡る鉄砲や大砲の音を聞いていた。


このご時世、合戦あるところが商売どころであった。

物売りたちが屋台を開き、市場が開かれると、武士たちだけでなく、庶民も屋台の市場に現れた。

というのも、娯楽がない一般庶民にとって、合戦は数少ない刺激的な娯楽となっていったのである。

見晴らしのいい場所で、持ち寄った弁当や屋台の飯をつつきながら、合戦の行方を眺めることも多かった。

殺伐とした合戦場と異なり、市場は賑やかな類の忙しなさであった。


「こぅれボンクラども!ぼさっとしとらんと、仕事に戻らんか!」

「あいたぁ!」

「いでえっ!ミタマ、何すんでぇ!おたまで頭を叩くでないよ、石榴みたいに砕けるかと思ったぜ!」

「蝶子や儂に屋台仕事を任せて、昼間から酒を飲んで油売ってる奴が文句を言うでない!イノメ、こやつらの尻を叩いて背筋を正しておやりッ!」

「おうおう、合点承知だミタマの姉さん!お前らそこに並びな、喝を入れてやる!」

「おいおい、売ってるのは只の油じゃなくて蝦蟇から取った痛み止めの油……。

ぎゃああーッ!分かった、仕事はちゃんとするから、尻を殴るでないわッ!」

「うわーん、尻が六つに割れちまうよお!童萬姉さん、助けてぇ!」


共に働くようになってから、一行の中でも立ち位置が定まるようになっていった。

大抵は頭をひねらせ謀略を練るのは、ミタケや鞍馬の仕事。

計画の実行を行う破壊工作や隠蔽担当には、高雄狐が指揮をとることが多い。

イノメやミタマは主に力仕事や主となる武力となり、時には油を売る男衆の尻を叩く役回り。

童萬蝶師は煎薬で傷や病を癒したり、さとりとしての力で状況を把握したりと、それぞれ特技や自身に合った立ち回りで仕事をこなしていた。


「あれれ、ところでフジは?」 ぐずぐず泣きながら、高雄狐が問う。

「紫月様と共に山へ参られましたよ。山の地形を記録して報告せねばなりませんから」 

童萬蝶師が返しながら、高雄狐の尻を冷えた雑巾で冷やしてやる。

それを聞いたイノメが片眉を吊り上げ、溜息をついた。


「危ないことするなあ。フジだけじゃ心もとないだろうにね」

「どうせミタケが影でこっそり見守ってるから大丈夫でしょ。

輪に交わらないくせに、妙に気を回すことは上手いからね。アイツ」と高雄狐。

紫月衆の中で、フジだけは大した武力や特技も持ち合わせておらず、専ら面々の雑用や手伝い程度。

火叢が刀を打ってやってからというもの、「これからは私も技を磨き、紫月様に貢献しまする」とフジはすっかり鼻息荒くなり、ミタマに弟子入りし剣技を磨くようになった。

意外なことに、フジの器用貧乏ぶりが功を奏してか、ミタマの教えがよかったこともあり、二刀流という技を編み出して、一丁前に戦えるようになっていた。

尤も、純粋な武力ではイノメやミタマ達には劣る。イノメが釈然とせん、とばかりにふん、と鼻を膨らませてた。


「紫月様って何かにつけてフジを連れ回すよねぇ。鍛えてやってるつもりなのかね。

フジもあんまり無茶しないでほしいねえ、あの子は体力も腕力もないし、紫月様だってフジよりお強いくらいなんだから」

「くくく。一番付き合いの長いくせに、なんと鈍いこと。

お前様のような猪娘には、紫月様の御心は、百年経っても分からんでしょうね」 

「お?喧嘩売ってんのかい小娘!売られたもんは以外何でも買うよ、私ゃ」


童萬が冷ややかな笑みでし、イノメが青筋をこめかみに刻んで鼻同士を突きつける。

何かとこの女二人は、隙さえあらば口喧嘩が止まらないのも、もう慣れたもの。

剣呑なやりとりを横目に、ミタマが苦笑いを浮かべて高雄狐の頭を撫でた。


「まあまあ、今は見守らねばの。問題は寧ろ、ミタケのほうじゃ。

 妹に対してああもべったりだと、今後が心配じゃわい。あやつ、フジが結婚しても

ああ過保護だと、フジもやりにくかろうや……」


──そんな会話をしているとも知らず、紫月とフジは山の中を馬で駆けていた。

時刻は既に夕暮れ。日は駆け足で山の西側に沈み始めていた。

山中に築かれた陣地は賑わい、火薬と血の匂いが山のそこかしこに漂っている。

獣たちは喧しい戦に怯えてかすっかり姿を消し、小鳥の囀りすら聞こえない。紫月はふうと溜息ひとつつくと、「そろそろ戻ろうか、フジ」と声をかけた。


「人員、配置、装備、諸々は分かった。調査はこれでいいだろう。

後は見張りの連中に気づかれぬよう、山を下るだけだな」

「はい、紫月様。おつかれではございませんか」

「これくらいで弱音は吐いてられんさ。忍びのかしらがこれしきでばてているようでは、皆に申し訳ないよ」


合戦もひと段落ついたようで、負傷者たちが次々と陣地へ運ばれていく。

物売りに化けた二人は馬を走らせ、その場を離れた。

暫く走っていると、夜の帳が星空を連れてきた。天上には天の川がかかり、満天の星空が暗闇を彩っていた。

その目を見張る輝きに、二人はいつしか馬の足を止め、ぼうっと見上げていた。

梟の歌と夏の匂いが、夜風に舞う。


「美しい夜にございますね。こんな綺麗な綺羅星がまたたいているというのに、なぜ人は空を見上げる暇もなく殺し合うのでしょうか」

「然り、互いの首を突き合うには勿体ない夜だな」


紫月はやや疲れを滲ませた笑みを零し、その場に腰を下ろした。

フジは急いで自分の上着を脱ぐと、「お召し物が汚れてしまいます」と言って紫月の足元に敷いた。

二人して着物の上に座り込み、しばし時を忘れて空を見上げた。

しゃあんと流れ星が一つ落ちていく。「おお、天狗が走っておるな」「鞍馬の逃げ足より速そうです」と言い合って、からから笑う。

暫くそうして夜の闇に身を任せていると、ぽつりと紫月が話し始めた。


「私が生まれた夜も、こんな天の川が鮮やかに見えていたそうだ。

私の実父は、兄上の亡き御父君の、無二の親友であったと聞いている。

母を取り合って一時は不仲になったそうだが、和解し、兄上のお父君が私の名付け親になってくれた」


突然、紫月が身の上を語りだしたので、フジは初め不意を突かれた。

その穏やかな声色に、ただ黙って耳を傾けていた。


「私が生まれて半年も経たぬうち、戦が起きた。父と母は焼け落ちる城と運命を共にし、私だけが残されたそうだ。

御父君は私を哀れに思い、血の繋がりはないが、弟として迎え入れてくださった。

その話を、私はお前たちが病を治してくれた次の日に、兄上からお聞きしたのだ。

それ以来、私は兄上の為に、心も命も尽くして仕えると決めたのだ」

「……私も、初めて知りました。そのような事情がおありだったのですね」


うむ、と唸り、紫月は再び黙りこくった。

なぜそんな話を唐突に繰り出したのか、まるで分からなかったが、まあ胸の内を吐露したいときもあるのだろうと納得して、やはり黙って聞いていた。

ざわざわと足元の叢が囃し立てる。

不意にまた、紫月が口を開いた。


「すまない。火叢殿とそなたらの会話を、通りすがらに立ち聞きしてしまったのだ。

 盗み聞きするつもりはなかったのだが、つい気配を隠してしまって……」

「えっ」 


ぎくり、とフジが身をこわばらせた。まさか、嘘を知られてしまったのか。

蒼褪めるフジの横で、紫月が言葉を続ける。


「違う村の生まれであること、やむをえぬ事情があって村を出たこと。

それに、そなたらが真の兄妹でないと知って、とても驚いたぞ。」

「も、申し訳ございませぬ。これにはその、深い訳がございまして……」

「良い、兄上には知らせぬし、我らだけの秘密としよう。

訳ありならば、深く詮索するつもりもない。

私によく仕えてくれているのだ、信頼しているとも。そう身構えるな」

「は、はあ……」

「だが、心がざわめいたのも事実だ。フジよ、ミタケと兄妹でないならば、どういった間柄なのだ?」


フジは唇を嚙み締めた。

そもそも自分は妹どころか女ですらないし、まさか親の仇の子で、元は奴隷と主人ですとは、とても言えなかった。

あれほどお殿様や紫月に可愛がられているミタケを、昔は虐めてこき使っていると知ったら、きっと幻滅され、侮蔑されると思ったのだ。

それに、女であるという嘘がもし明るみになったら、周りの目もすっかり変わってしまうだろう。どんな酷い扱いを受けるかは、想像に難くない。


「言えぬ仲ということか?」

「……申し訳ございませぬ、紫月様。私とミタケには、たとえこの身が八つ裂きにされても申し上げることのできぬ事情が御座います」

「そうか……」


紫月はぽつりと呟くと、「では、先手必勝ということか」と呟いた。

何のことかと問うより早く、紫月はフジの手を取り強く握ると、熱い眼差しを向けてくる。


「夏藤。そなたが何者であろうとも構わぬ。私はそなたを、ミタケにも、兄上にも取られたくはない」

「は、はあ?紫月様、突然何をおっしゃるのです」

「私は小難しく語るのは苦手だ。率直に申し込もう。

夏藤、そなたさえよければ……どうか私の妻に、なってほしい」


ざああっ、と夏の風が山を吹き下ろし、二人の長い髪をさらう。

今度こそフジは、紫月の言葉に頭が真っ白に染まって、呆けるほかなかった。

紫月は「返事は秋まで待つ」と告げると、再び馬に乗り、フジを同じく馬に乗せて走る。

ただただ、フジは混乱していた。最初に考えたことは、「どうしよう」であった。


「(どうしてこうなった。俺、……男なのに!)」



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