其の七


紫々丸が信月の名を改め、一行が「紫月衆しんげつしゅう」と名乗り始めて半年ほど経った頃。

ミタケやフジにとって、思わぬ客が城に招かれることとなった。

お殿様は朝から大変上機嫌で、朝餉の後、二人にそわそわとした様子で声をかけた。


「実はな、音に聞こえた名うての鍛冶師を城で抱えることになったのだ。

前に佩いていた刀が合戦で折れてしまったからのお、弟の元服祝いも兼ねて、新しく打ってもらうつもりでな。

そなたらもよく働いておるし、望みとあらばその鍛冶師に頼んで、新しく刀や金具をこしらえてやってもよいぞ」

「ははっ。恐悦至極にございます」


太陽が真南に上がる頃、鍛冶師はお殿様の元へ挨拶に訪れた。

お許しを得て共に挨拶の場で控えていたミタケとフジだったが、鍛冶師の顔を見ると、驚きのあまり声を失った。

なんと、お殿様に仕えることになった鍛冶師とは、二人の住んでいた村で刀を打っていた男だったのである。

お殿様は上機嫌に、鍛冶師へ面をあげるよう言った。


「よくぞ参られた、刀工火叢ほむらよ。派は確か、影里かげざとと申したか。噂に聞く刀鍛冶の腕前、我が元で存分に振舞うことを期待しておるぞ」

「はっ、お殿様。仰せのままに」

「話は聞いておる、住んでいた集落を追い出され、行く当てもなかったそうだな。

ここを第二の故郷と思ってくれ。そなたを歓迎するぞ」


間違いない、あの刀鍛冶だ。

二人は生きた心地がしないまま、会話を聞いていた。

村を追い出されたとは、どういうことだろう。故郷で何が起きたというのだろうか。

肝が冷える思いで立ち聞きしていると、遂に刀鍛冶の火叢が二人の姿を認め、訝るように片眉を吊り上げた。


「お殿様。失礼ですが、あの若い男女は?」

「ああ、御嶽と夏藤、兄妹だ。二人とも弟の近習のようなものでな、何かあれば二人に遠慮なく言いつけてくれ」

「然様ですか」


その後もお殿様は火叢と雑談を幾ばか交わして、挨拶は終わった。

お殿様は早速二人を呼びつけると、火叢のために城の中を案内するよう命じた。

そうして三人だけになると、火叢は二人にこう尋ねた。


「時に二人は、俺の顔に見覚えはないかな」

「いいえ、初めてお会いしました」 すかさずミタケが返した。

「そうだったか。二人の生まれはどこかな?

俺は山の生まれなのだが、こんな都会で暮らすのは初めてでね」

「この城下町より四つ山を越えた先です」


ミタケは努めて平静に、すらすらといつもの嘘を火叢に返す。

仲間内ですら、ミタケの嘘を信じていた。だが火叢はその答えを聞くと、わざとらしく相槌を打った後、冷ややかな声でこんなことを言った。


「それは妙だ。四つ山を越えた先の村は、もう三十年も前に無人になったはず。

そなたたちはどう見ても三十を超えているはずがない」

「別の村と勘違いしておられるんじゃないでしょうか」

「いいや、そんな筈はない。四つ山を越えた先に村は一つしかないさ。

この俺が幼い頃に住んでいたから、間違いない」


今度こそミタケの平静な顔が蒼褪めた。

こんな形で、よりにもよってばれたくない相手に、嘘がばれてしまうなんて!

凍りつく二人の顔をそれぞれ見ると、「やはり」と火叢は呟いた。


「ケンとニトウ様ですね?」


沈黙が答えだ。

はっとフジは嫌な予感がした。俯いたミタケ瞳には、冷たい殺意が宿っている。

だが二人の心境を、火叢は意外な形で裏切った。

やおら二人を、その逞しい両腕で抱きしめ、頭を撫でる。


「良かった、二人とも。よくぞ生きていてくれた……!」


二人は唖然として、抱きしめられるままであった。

火叢ははらはらと涙をこぼしながら、更に力をこめて二人を抱きしめる。

親にすら抱きしめられたことなどなかったので、ミタケもフジもどうしてよいやら困って、されるがままであった。

やっと二人を離すと、火叢は何が起きたかを語り始めた。


「二人が居なくなったあと、水神はひどく怒って、山じゅうを水浸しにするほど暴れたのだ。あれほど死を覚悟したこともなかったな。

七日以内に新たな生贄を捧げなければ、今度こそ村を沈めてやると脅されたよ。

誰を捧げるかで、村はひどい騒ぎになってな。

俺の妻のおひなが捧げられることが決まりかけた時、天女に導かれたお坊様が現れたのだ。

お坊様は霊験あらかたな方でな。水神を倒す方法を教えてくださって……俺の打った刀で、村の若者が見事、水神を倒したのだ。村は救われたのだよ」


ぽかあんと、二人は呆気にとられて、その顛末を聞いていた。

二人の知らぬ間に、あの水神が討たれていたなんて、にわかには信じられないことであった。

しかし、水神が討たれた後も、村に平和が訪れることはなかった。

お坊様は村人に危険視されて殺されてしまい、水神を殺せるほどの刀を打った火叢は「鬼の刀鍛冶」と揶揄され、村八分にあったという。

水神を討った若者は身の危険を感じて早々に村を降りたらしいが、ようとして行方は知れずとのことであった。


「村長は村人を捧げ続けたことで、ひどく荒れてなあ。

しまいには「鬼の刀鍛冶を村に住まわせ続けるわけにはいかん。出ていけ」と追い出されたのだ。

うちには妻と七人の子供がいるし、刀を打てば稼げはするが、客も少なくてな。

途方に暮れていたところ、お殿様が俺の腕前を聞きつけて、お抱えの鍛冶師になってくれと声をかけてくださったのだ」

「大変だったのですね」 


フジは心の底から火叢に同情し、再び会えたことにやっと嬉しさを覚えた。

同時に、火叢の着物から、懐かしい油と煙の臭いがして、不思議と心が落ち着いた。


「お殿様には感謝せざるをえんよ。

俺が鬼の刀工と呼ばれていると聞いても、「なに、うちには天狗やら人魚やら狐やら、しまいにゃだのを抱えておるんだ。鬼が増えるくらい、どうってことない」と笑いとばしてくださってな」

「お殿様は懐がとても深いお方なのです。我々の素性もろくに聞かず、それでも傍に置いてくださるくらいですから」

「であろうな。まさかケンとニトウ様が兄妹を名乗っているなど、驚くばかりだ。

身を偽っている事情は察してあまりある。

二人のことは、お殿様には黙っていることにするよ。お互い、過去は忘れよう。生きていてくれただけでも、お天道様に感謝せねばな」

「火叢どのこそ、息災で何よりです」 


フジは初めて心から笑った。

ケンも二人の笑顔につられるように、少しだけ破顔した後、いつもの顰め面に戻って「お城をご案内いたします」と切り替えた。

火叢の刀鍛冶としての腕前は相変わらずで、お殿様と信月のために新たな刀をこしらえた。

それだけでなく、ミタケやフジの為にも、それぞれ短刀と脇差を打ち、「役立ててやってくれ」と贈った。

その器用さと武器の頑丈さには、お殿様も大変感心され、火叢のために大きな鍛冶場を建てたほどであった。

程なくして、鍛冶場は紫月衆のたまり場となり、火叢は紫月衆の面々とも打ち解けて、様々な武器や罠をこしらえるようになった。

火叢は紫月衆の身の上や正体を聞くと、毎度驚いては愉快そうに笑った。


「そなた達のような者がお殿様に仕えているとは、不思議な縁もあるものだ」

「勘違いしてもらっちゃ困るぜ。俺たちはあくまで紫月様にお仕えしているんだ。

お殿様の命とあらば働きはするけども、あくまで忠義を捧げるのは紫月様お一人さ」


ある日の鍛冶場で、火叢との会話のさなかのことである。

高雄狐が不服そうに頬を膨らませて言い返すと、一同はうんうん、と高雄狐の言葉に同調した。

それを聞くと、鍛冶師は目を丸くして、これはどうしたことかとミタケとフジに目配せをした。


「お殿様と紫月様の御意向なのです。

紫月様はお殿様の為に忠誠と義を誓い、私たちは紫月様に忠誠を誓い命を捧げる覚悟で任務を果たす。

お殿様ご自身も、「そなたらは弟のために集まった優秀な忍び達だ。ならば弟のために大いに働き、尽くせ」と仰ったのだから、それでよいのです」

「ははあ、豪胆なお殿様だなあ」

「おかげさまで、俺たちも心置きなく紫月様にお仕えしているのさ。

感謝はしているよ。だからこそ、一番は紫月様、二番目がお殿様なのさ。それがお殿様のお望みだからね」


ふうん、と火叢は納得はしたものの、妙に心にひっかかるものがあった。

男のミタケはまだしも、只の便女に過ぎないフジを、どうしてお殿様がいつも傍に置くのかということ。

そして、決まってフジがお殿様や紫月とお話をしているとき、ミタケが暗い色をした瞳で、じいっとその様子を見つめている時があることを。

果たして問うべきかと迷ったが、藪蛇かとも思いなおし、火叢は口を噤むことにしたのであった。



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