其の七
紫々丸が信月の名を改め、一行が「
ミタケやフジにとって、思わぬ客が城に招かれることとなった。
お殿様は朝から大変上機嫌で、朝餉の後、二人にそわそわとした様子で声をかけた。
「実はな、音に聞こえた名うての鍛冶師を城で抱えることになったのだ。
前に佩いていた刀が合戦で折れてしまったからのお、弟の元服祝いも兼ねて、新しく打ってもらうつもりでな。
そなたらもよく働いておるし、望みとあらばその鍛冶師に頼んで、新しく刀や金具をこしらえてやってもよいぞ」
「ははっ。恐悦至極にございます」
太陽が真南に上がる頃、鍛冶師はお殿様の元へ挨拶に訪れた。
お許しを得て共に挨拶の場で控えていたミタケとフジだったが、鍛冶師の顔を見ると、驚きのあまり声を失った。
なんと、お殿様に仕えることになった鍛冶師とは、二人の住んでいた村で刀を打っていた男だったのである。
お殿様は上機嫌に、鍛冶師へ面をあげるよう言った。
「よくぞ参られた、刀工
「はっ、お殿様。仰せのままに」
「話は聞いておる、住んでいた集落を追い出され、行く当てもなかったそうだな。
ここを第二の故郷と思ってくれ。そなたを歓迎するぞ」
間違いない、あの刀鍛冶だ。
二人は生きた心地がしないまま、会話を聞いていた。
村を追い出されたとは、どういうことだろう。故郷で何が起きたというのだろうか。
肝が冷える思いで立ち聞きしていると、遂に刀鍛冶の火叢が二人の姿を認め、訝るように片眉を吊り上げた。
「お殿様。失礼ですが、あの若い男女は?」
「ああ、御嶽と夏藤、兄妹だ。二人とも弟の近習のようなものでな、何かあれば二人に遠慮なく言いつけてくれ」
「然様ですか」
その後もお殿様は火叢と雑談を幾ばか交わして、挨拶は終わった。
お殿様は早速二人を呼びつけると、火叢のために城の中を案内するよう命じた。
そうして三人だけになると、火叢は二人にこう尋ねた。
「時に二人は、俺の顔に見覚えはないかな」
「いいえ、初めてお会いしました」 すかさずミタケが返した。
「そうだったか。二人の生まれはどこかな?
俺は山の生まれなのだが、こんな都会で暮らすのは初めてでね」
「この城下町より四つ山を越えた先です」
ミタケは努めて平静に、すらすらといつもの嘘を火叢に返す。
仲間内ですら、ミタケの嘘を信じていた。だが火叢はその答えを聞くと、わざとらしく相槌を打った後、冷ややかな声でこんなことを言った。
「それは妙だ。四つ山を越えた先の村は、もう三十年も前に無人になったはず。
そなたたちはどう見ても三十を超えているはずがない」
「別の村と勘違いしておられるんじゃないでしょうか」
「いいや、そんな筈はない。四つ山を越えた先に村は一つしかないさ。
この俺が幼い頃に住んでいたから、間違いない」
今度こそミタケの平静な顔が蒼褪めた。
こんな形で、よりにもよってばれたくない相手に、嘘がばれてしまうなんて!
凍りつく二人の顔をそれぞれ見ると、「やはり」と火叢は呟いた。
「ケンとニトウ様ですね?」
沈黙が答えだ。
はっとフジは嫌な予感がした。俯いたミタケ瞳には、冷たい殺意が宿っている。
だが二人の心境を、火叢は意外な形で裏切った。
やおら二人を、その逞しい両腕で抱きしめ、頭を撫でる。
「良かった、二人とも。よくぞ生きていてくれた……!」
二人は唖然として、抱きしめられるままであった。
火叢ははらはらと涙をこぼしながら、更に力をこめて二人を抱きしめる。
親にすら抱きしめられたことなどなかったので、ミタケもフジもどうしてよいやら困って、されるがままであった。
やっと二人を離すと、火叢は何が起きたかを語り始めた。
「二人が居なくなったあと、水神はひどく怒って、山じゅうを水浸しにするほど暴れたのだ。あれほど死を覚悟したこともなかったな。
七日以内に新たな生贄を捧げなければ、今度こそ村を沈めてやると脅されたよ。
誰を捧げるかで、村はひどい騒ぎになってな。
俺の妻のおひなが捧げられることが決まりかけた時、天女に導かれたお坊様が現れたのだ。
お坊様は霊験あらかたな方でな。水神を倒す方法を教えてくださって……俺の打った刀で、村の若者が見事、水神を倒したのだ。村は救われたのだよ」
ぽかあんと、二人は呆気にとられて、その顛末を聞いていた。
二人の知らぬ間に、あの水神が討たれていたなんて、にわかには信じられないことであった。
しかし、水神が討たれた後も、村に平和が訪れることはなかった。
お坊様は村人に危険視されて殺されてしまい、水神を殺せるほどの刀を打った火叢は「鬼の刀鍛冶」と揶揄され、村八分にあったという。
水神を討った若者は身の危険を感じて早々に村を降りたらしいが、ようとして行方は知れずとのことであった。
「村長は村人を捧げ続けたことで、ひどく荒れてなあ。
しまいには「鬼の刀鍛冶を村に住まわせ続けるわけにはいかん。出ていけ」と追い出されたのだ。
うちには妻と七人の子供がいるし、刀を打てば稼げはするが、客も少なくてな。
途方に暮れていたところ、お殿様が俺の腕前を聞きつけて、お抱えの鍛冶師になってくれと声をかけてくださったのだ」
「大変だったのですね」
フジは心の底から火叢に同情し、再び会えたことにやっと嬉しさを覚えた。
同時に、火叢の着物から、懐かしい油と煙の臭いがして、不思議と心が落ち着いた。
「お殿様には感謝せざるをえんよ。
俺が鬼の刀工と呼ばれていると聞いても、「なに、うちには天狗やら人魚やら狐やら、しまいにゃさとりだのを抱えておるんだ。鬼が増えるくらい、どうってことない」と笑いとばしてくださってな」
「お殿様は懐がとても深いお方なのです。我々の素性もろくに聞かず、それでも傍に置いてくださるくらいですから」
「であろうな。まさかケンとニトウ様が兄妹を名乗っているなど、驚くばかりだ。
身を偽っている事情は察してあまりある。
二人のことは、お殿様には黙っていることにするよ。お互い、過去は忘れよう。生きていてくれただけでも、お天道様に感謝せねばな」
「火叢どのこそ、息災で何よりです」
フジは初めて心から笑った。
ケンも二人の笑顔につられるように、少しだけ破顔した後、いつもの顰め面に戻って「お城をご案内いたします」と切り替えた。
火叢の刀鍛冶としての腕前は相変わらずで、お殿様と信月のために新たな刀をこしらえた。
それだけでなく、ミタケやフジの為にも、それぞれ短刀と脇差を打ち、「役立ててやってくれ」と贈った。
その器用さと武器の頑丈さには、お殿様も大変感心され、火叢のために大きな鍛冶場を建てたほどであった。
程なくして、鍛冶場は紫月衆のたまり場となり、火叢は紫月衆の面々とも打ち解けて、様々な武器や罠をこしらえるようになった。
火叢は紫月衆の身の上や正体を聞くと、毎度驚いては愉快そうに笑った。
「そなた達のような者がお殿様に仕えているとは、不思議な縁もあるものだ」
「勘違いしてもらっちゃ困るぜ。俺たちはあくまで紫月様にお仕えしているんだ。
お殿様の命とあらば働きはするけども、あくまで忠義を捧げるのは紫月様お一人さ」
ある日の鍛冶場で、火叢との会話のさなかのことである。
高雄狐が不服そうに頬を膨らませて言い返すと、一同はうんうん、と高雄狐の言葉に同調した。
それを聞くと、鍛冶師は目を丸くして、これはどうしたことかとミタケとフジに目配せをした。
「お殿様と紫月様の御意向なのです。
紫月様はお殿様の為に忠誠と義を誓い、私たちは紫月様に忠誠を誓い命を捧げる覚悟で任務を果たす。
お殿様ご自身も、「そなたらは弟のために集まった優秀な忍び達だ。ならば弟のために大いに働き、尽くせ」と仰ったのだから、それでよいのです」
「ははあ、豪胆なお殿様だなあ」
「おかげさまで、俺たちも心置きなく紫月様にお仕えしているのさ。
感謝はしているよ。だからこそ、一番は紫月様、二番目がお殿様なのさ。それがお殿様のお望みだからね」
ふうん、と火叢は納得はしたものの、妙に心にひっかかるものがあった。
男のミタケはまだしも、只の便女に過ぎないフジを、どうしてお殿様がいつも傍に置くのかということ。
そして、決まってフジがお殿様や紫月とお話をしているとき、ミタケが暗い色をした瞳で、じいっとその様子を見つめている時があることを。
果たして問うべきかと迷ったが、藪蛇かとも思いなおし、火叢は口を噤むことにしたのであった。
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