其の五
へべれけ妖怪たちの間をぬって、イノメ姫はひょこひょこと町並みの奥へと歩く。
一行もなるべく着かず離れず、姫を追って先へと進む。
殆どの妖怪たちが、すれ違うたび「あんまり見ない顔だねえ、どこの山から来たんだい」と気安く声をかけてきた。
特に女の姿をしたフジは、よくよく妖怪たちの気を引くようで、「女の癖に細っこいなあ」「食いでがなさそうじゃ」とからかわれては、ミタケと紫々丸が急いでフジの手を引き、逃げるようにその場を後にする。
「やれやれ、あやかしも酔った時の面倒くささは人と変わらんな。大事ないか、夏藤」
「申し訳ございません、足手纏いになってしまい」
「いいや、旅仲間が困ったら助けるのは当然のことだろう」
「お優しいですね、紫々丸様。こんな愚図、放っておけばよいのです、目立つほうが悪いのですから」
「これミタケ。意地悪をいうものではないよ、妹だろう?」
紫々丸にたしなめられ、ミタケが不服そうに「申し訳ございません」とうなだれた。
あのミタケが叱られるさまを見るなんて、とても久しぶりのことだった。フジは少しだけ愉快になり、紫々丸の背中からこっそり舌を突き出してやった。
紫々丸の手前、何も言えず、ミタケはじろりとフジを視線で射貫くのだった。
何度か妖怪たちのちょっかいをくぐりぬけながら、一行は、歩くうちに気づいた。
あやかし達は皆、体の一部が欠けていたり、傷を手当しているようだった。
おそらくは人間の戦に巻き込まれ、方々から逃げてきたのだろう。行く当てもなく、心休まることもなく、きっと酒で恐怖を紛らわせているのだと想像がついた。
「乱世で犠牲になるのは、なにも民草だけではないということか……」
紫々丸も里のあやかし達の有様に気づいてか、悲しそうに呟いた。
しばらく歩くと、イノメ姫の足は、大きな寺院の前で止まった。
そこには何柱かの、明らかにこれまでの様相が異なる妖魔たちがいた。
皆、姿かたちは人によく似るが、獣の耳や鳥の翼が生えていたり、肌には鱗や毛が生えており、纏う気配は武将に勝るとも劣らない威圧を放っている。
すぐさまミタケが前に出ると、ここまで連れてきた馬たちを妖魔たちの前に並べた。
「かけまくも畏き摩利支天の御使い神と異国の神々よ。
どうか我らの心ばかりの贈り物をお納めいただきたく。馬は武士の財産にして戦場の友なれば。勿論、他にも……」
「ふん、ぐだぐだと長い口上を。要らぬわ」
「ぐうっ!?」
妖魔の一人が吐き捨てるように言って、ミタケの顔を強く打ち払った。
鈍い音がしてミタケがよろけ、歯を食いしばる。鼻からだらり、と血が垂れる。
出鼻をくじかれてしまった。
元より妖魔たちは、そもそも人間がこの場に現れたこと自体が不服極まるようであった。
ミタケの体を踏みつけ、金色の羽をもつ鴉がフン、と鼻を鳴らす。
それを見るやイノメは「おやめ!」と鋭い声で諫めると、ミタケを抱き起こす。
「それが客人に対する礼儀かい。さあ、その足を離して通しとくれ。母様のもとに、この者たちを連れていく」
「そう簡単に通すと思うかい?おひいさま。
あたしらがどれだけ人嫌いか、よぅく分かってのことなんだろうねえ?」
奇妙な被り物をした、女の胸と男の足を持つ、角の生えた妖魔が問いかける。
焦げた髪からは巻いた角がのぞき、山羊の瞳がぎょろり、と一行を見やった。
「人間を御母堂の寝所に通すと?馬鹿をお言いでないよ。罰当たりな」
金の髪の間から狐の耳を生やした青年が、扇子で顔を隠し、吐き捨てるように言葉をつづける。
同じく鮮やかな青髪の青年が、下半身を蕩かせて、悪臭を放ちながら一行を睨む。
「威之治主様に傅くならまだしも、そんな不遜な若造どもを里に入れただけでも度し難いね。それとも、頭からむしゃむしゃ食うてやろうかぃ」
「な、なんだ!?我々は兄上の命に従い、イノメ姫をお迎えに上がっただけのことで……」
紫々丸がそう告げた途端、「なんだと!」と妖魔たちに動揺が広まった。
鋭い視線が一斉に、イノメ姫の元に集まる。
明らかに非難と追及を伴う表情に、当の姫は「あちゃあ」と苦虫を噛み潰して、お茶目な苦笑いに変えて一同に手を振った。
「あ、あとでちゃんと話すから」
「まさかイノメ、また凝りもせず里へ下りるというのかい!」
「どういうわけかきっちり話してもらおうか!」
「御母堂様にどう申し開きするつもりだ!」
「ああもう、恨み言は後で聞くから通しておくれっ!」
イノメが拳を振るった途端、暴風があたりに巻き上がる。
妖魔たちは咄嗟にわが身を庇ったり、後ずさったりしたが、その隙をついてイノメは「早く中へ!」と喚き、走る。
フジは咄嗟に紫々丸を抱えて後に続き、ミタケも滑り込むようにして寺院の中に飛び込んだ。
妖魔たちが姿を変えながら「おのれ!」と怒り狂って追いかけてくる。
あわや捕まると思った刹那、イノメが手を突き出し何か唱えた途端、寺院の扉が乱暴に閉まった。
彼らの凶悪な鉤爪や足、熔けた体が無理やり寺院の扉をこじ開けようとするものの、イノメが力いっぱい掌に念をこめると、今度こそ扉はぴたりと閉まった。
「ふう、すまないね。どうにもわたしの育て親は分からず屋が多くてさ。
母様もそう思うだろう?どうにか説き伏せておくれよ」
イノメが言いながら振り返る。
広々とした寺院の中は真っ暗で、部屋とは名ばかり。
仕切りもなければ、畳もない。柱の代わりに巨大な木々が天井を支えているのみだ。
白い壁はところどころ苔がむして、床は草や花、蔓にまみれている。
たとえ広さがあったところで、とてもではないが人が住むような場所ではない。
だが暗がりに目が慣れると、一同は今度こそ言葉を失った。
苔むした壁だと思っていたものは、部屋に身を横たえた、巨大な猪の体だったのである。天井を支える木は、これまでに抜け落ちた猪の牙だと気づく。
木目に似た模様が全身をめぐっており、微動だにしないせいで、壁と見紛ったのである。
その大きさにただただ全員が、唖然としていると、
「娘よ。彼等は
遥か昔より、我らは母なる自然の中に生き、人に交わることを忌んできた。
山を切り開き川を埋められ、故郷を奪われた彼らの怒りは如何ばかりか。
乱世において、人の浅ましさと醜さが、彼らの持つ格も高潔さも殺してしもうた……」
囁きのような、地を這う声が部屋じゅうに響き渡る。
神を眼前にして、さしものミタケも口を開くことを忘れて立ち尽くすばかり。
人の頭ほどもある大きな瞳と向き合い、イノメ姫は眉尻をさげると、恭しく頭を垂れた。
「母上。それでもわたしは、己が身に定められた使命のために、人の里に下り、人に仕えます。それが我が宿業なのです。
贄として山に還るはずだった命を、これまで育てられた恩は忘れませぬ。皆と母上を置いて、この里を去ることをお許しください」
そう告げて平伏する鮮やかな頭を、猪神の瞳がしばし見つめていた。
威之治主が息をするたびに、突風が巻き起こるので、一同は膝をついて頭を下げるほかない。
呼吸のさなか、這うような声が、「行くがよい」と囁いた。
イノメ姫は面を上げると、小刀を己の長い髪に押し当て、ばっさり切り捨てる。
豊かな牡丹色の髪がはらはらと舞い落ち、こざっぱりとした少女がそこには在った。
「わたしはもう、山には居られぬ身となった。では、行こうか」
「あ、ああ……」
寺院を出ると、あやかし達が苛立ちながら通せんぼをして待っていた。
もはや正体を隠すこともせず、ある妖は狐の尾をばさばさ振るい、鬼は額から角をめぎめぎ生やし、体をぶくぶく膨らませる者もいた。
イノメが出てくるなり、めいめい口を開けようとした。だが切り落とされた髪を見るなり、皆一様に目を見開き、言葉を失い、逆立っていた毛が萎びていく。
「皆、世話になった。わたしはここを出る。里の皆を頼んだ」
凍りついた妖魔たちの脇をするりと抜け、イノメは皆に背を向ける。
途端、狐の一人がはっと我にかえり、牙を剥いて立ちはだかった。
妖魔たちが弾かれたように、立ち去ろうとする少女を取り囲んだ。
「待て!なぜ行く!都に降りて人に交わろうとする!?
戻るのだイノメ!人の里で暮らして何になる!
血に飢えたヒトどもが、栄誉を求め、土地を求め、金を求めて互いを殺し合う!
そんな醜悪な戦いにお前が巻き込まれる必要が、どこにある!?」
「……退いておくれ。もう決めた事。忍になって、殿様のために働くって、さんざ説いたじゃないか」
「それで「はいそうですか」と行かせるか!」
「山の皆を捨てるのか!私たちを捨てるのか!」
「あの日から……お前はおかしくなった!空から光の柱が落ちて、もう一人のお前と語らった時から!」
「やはりおかしなモノがお前に憑いたのだな!?そうだろう!」
「私が救ってやる、だから人なぞと交わるな!ここにいろ、イノメ!私と……!」
その時、ひとつの影が、イノメと妖魔たちの間に割って入った。
フジである。膝が笑うほど震えながらも、両手を広げた。
居並ぶ妖魔たちに単身向き合い、身を投げ出すようにして床に這いつくばる。
「お願いです。イノメ姫様を行かせて差し上げてください。
姫様は故郷を捨てるほどの覚悟をお持ちなのです。それがどれほどの心の痛みか、お分かりにならないのですか。
どうか、姫様の覚悟を無碍になさらないでください。
腹立たしいのであれば、許せないのであれば、代わりに私がこの身を差し出します。
八つ裂きにするなり、煮て食うなり、どうとでも!
外の世界では、イノメ様をお待ちになり、援けを求めている人がいるのです。お願いです、どうか、どうか私の身で怒りをお鎮めになってください」
「退け、小娘如きが!」
青獣の妖魔が鉤爪の腕を振り上げた刹那、寺院のほうから突風が吹き荒れた。
フジの、ミタケの、紫々丸の、そしてイノメの体は、爽やかな突風によって舞い、気づけば四人は、深い森の中にぽつねんと取り残されていた。
賑やかで華やかなあやかし達の里は消え、鳥の囀る声があたりに響く。
もうすぐ日暮れを迎えようとしていた。
紫々丸がぽつりと、小さく呟いた。
「摩利支天様の息吹が、行けと仰せになったのだ」
「ああ」 イノメの深緑の瞳が陽炎のように揺らぎ、声は濡れていた。
「母上、有難うございます。行ってきます」
フジは蹲っていた。
頭をずっと地面にこすりつけていたので、あやかしの里から放り出されたことに、未だ気づいていなかった。
「もういいぞ」と腕を引っ張って起こし、顔を泥だらけにしたフジを見て、ミタケは薄く笑った。
「呆れるほどの泣き虫のくせに、やる時はやるんだな。お前」
◆
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