其の三


ミタケとフジが、お殿様に仕えて数年が経った頃。

隣のクニで戦がまた始まった。

ひとたび戦が始まれば、連鎖のように戦場は広がりゆくもの。

ミタケたちの住むクニが、戦に巻き込まれるのも、時間の問題であった。

お殿様はある日、ミタケを呼びつけ、こんな話を切り出した。


「ミタケ、お前にしかできぬ頼みがある。引き受けてくれるか」

「ええ、如何様なご用命も、お殿様のためならば、命を賭して遂げまする」

「その答えが聞きたかった。

実はな、昨夜、夢で仏さまからお告げがあったのだ。

 京の都から北にのぼった先に、猪野治山という山がある。

 ここは妖怪たちのたむろする山で、摩利支天様の使いである猪神が山を治めているのだ」

「摩利支天様とは?」

「なんだ、知らぬのか。摩利支天様はな、陽炎と太陽の化身であり、戦う武士の守り神様だ。

かの軍神・楠木正成も加護を賜っていたという、とてもありがたい守り神様だぞ。

……話を戻すが、その猪神には娘がいて、イノメ姫というらしい。

仏様は、このイノメ姫が、我が領土で戦が起きた時、援けになってくさだるとお教えくださった。

 どうか、弟と共にこの姫を丁重に迎えに行き、どうかあやかし達と共に、私に力を貸してくれないかとお願いしにいってほしいのだ」

「分かりました。すぐにでも行ってまいります」


ミタケはしっかりと首を縦に振った。

その様子に安堵すると、お殿様は「乱世において、お前のような者が配下であることが、これほど安心なこともない」とたいそう喜ぶのであった。


紫々丸はミタケとフジを連れ、猪野治山を目指した。

フジを伴わせたのは、ミタケの要望たってのことであった。

「姫をお迎えするなら、相応に侍女をおつけしなくては」とミタケが提言すると、紫々丸はこれを許した。

フジからすればたまったものではない。

なにせ、道中は穏やかな旅とはいえなかった。どこもかしこも、小さい戦を繰り広げていた。

落ち延びた武者が山賊となり、一行を襲うこともあった。


「なんと危険な旅路でしょう!いつ命を落とすかと思うと肝が冷えます」

フジが喚くと、「文句を言うな、妹のくせに」とミタケは嗜めた。

二人の兄妹喧嘩を見ると、紫々丸は決まって楽しそうに目を細め、「仲が良いのだなあ、そなたらは」と呟いた。

一行はなるべく戦場を避け、北東を目指した。

国境を二つ越え、山をいくつも登り、どれほど経ったろうか。

一行はついに猪野治山の麓にたどり着いた。

早速イノメ姫にお目通を、と山に入ろうとすると、麓の村人たちが一行を止めた。


「おやめなされ、お侍様がた。

迂闊に人が山に入れば、命を落としまする」

「なぜ止める。猪野治山は摩利支天様の加護が受けられると聞いたのに」

「ええ、ですがそれも昔の話。

戦が起こってからというもの、あちこちの国から妖魔が集まって、あの山に巣食っているのです。

あすこは妖魔の根城、人喰い山です。命が惜しいのなら、入ることはすすめませぬ」

「ううむ、困ったな。このままではイノメ姫に会うことも叶わぬ」


紫々丸はすっかり参ってしまった。

こうも強く止められた上、人喰い山と聞けば、流石に躊躇うというもの。

しかしミタケは事情を聞くと、「お任せあれ、紫々丸様」と我が胸を叩いた。


「このミタケ、必ずやイノメ姫に御目通りがかかなうよう、働いてみせます」

「おお。では何か策があるのか、ミタケよ」

「ええ、勿論。しかし、紫々丸様には少々苦痛を強いてしまうやもしれませぬ」

「構わん。国を、ひいては兄上や城を守るためには、イノメ姫の助力が必要と仏様は仰せになった。

であらば、この紫々丸、いかような痛みも苦痛も耐えてみせる」

「分かりました。では一日、猶予をくだされ。下拵えが必要ですので」


ミタケは一日姿を消すと、翌日、奇妙な壺を持って戻ってきた。

蓋をしていても漂う異臭に、紫々丸とフジは顔を顰めた。


「ミタケ、この壺には何が入っているのだ?」

「山の麓に生えている野草に加え、蝦蟇のはらわた、虫の汁、赤土、鹿の……んん、まあ他にも諸々を煮込んでこして、まじないをかけたものです。

これを肌に塗れば、妖魔達に頭からばくり、と食われることはございませぬ」

「す、凄まじい匂いだ。これを肌にぬって、病気になったりしないのか?」

「勿論です、ああでも吹き出物や、切り傷のあるところには塗らないで。とてつもなく痒くなります」

「うえええ、へどろみたいで気持ち悪い……」


全員がこれを肌にべたべたと塗り込むと、やがて乾燥し、ぱりぱりに乾いて剥がれ落ちた。

乾いたことで更に、むせかえるような甘さと、雨に濡れた草木のような匂いが漂ってくる。

果たして、こんなまじないで、本当に安全に山を登れるのだろうか。少し不安がよぎった。


「それから、紫々丸様の馬は村人達に預け、別の馬を買い山に登りましょう。

くれぐれも馬に乗ってはなりませぬ。手綱を引いて連れていくのです」

「では、歩きで山に登れと?かなり険しい山道のようだが」

「まさか、紫々丸様を歩かせるだなんて致しません。別の乗り物を呼ぶのです」


ミタケは言うと、笛を取り出して吹いた。

笛は音色こそ奏でなかったが、しばらくすると、大きな狼が三頭現れ、ミタケたちの前で忠犬のように伏せた。


「お、おお!?野の狼がかように大人しく背を差し出すとは」

「紫々丸様や我々に忠実であるよう、笛で言い聞かせております。

さあ参りましょう、猪野治山のイノメ姫の元へ!」


狼に跨ると、彼らは風の勢いで山を登る。

紫々丸は背中の毛皮をしっかと掴んで、振り落とされぬよう必死だった。

それはフジも同じであったが、狼の背の上で受ける風に、懐かしさを覚えた。


そうだ。この風には憶えがある。

故郷を離れたあの日、ケンに手を引かれて走ったあの山道の夜。

幼く傷だらけの手を繋いで走る中、あの時もこんな風を感じていた。

あの日と、心の故郷から遥か遠くまできてしまった。

そう思うと、わけもなく、フジの目からは涙が溢れて止まらなかった。



山道を奥へ、奥へと突き進む。

するとやおら、山の纏う気配が変わった。

獣の妖が放つ匂いだ。場の空気が重くなり、狼達の足取りが緩む。

馬たちは長い時間走らされ、少し息が上がっているようだった。

狼達も舌を垂らしている。紫々丸の汗を手拭でぬぐいながら、ミタケは声をかけた。


「あそこに泉があります。少し休んでいきましょう」

「ああ、そうだな。狼達にも休息が必要だろう」


一行は森の奥にひっそり湧き出ている泉に集まり、しばし休むことにした。

水を飲み、小さな滝のせせらぎを聴いていると、ここが妖魔の巣食う人食い山だなんて忘れそうになる。

フジはほっと一息ついて、何気なく森を見回した時、ひゅっと息を呑んだ。

「いる」。人ならざる何かの目玉がいくつも、一行をじろじろと睨め付けていることに気づいたのだ。

紫々丸も気配に気づいてか身構える中、ミタケだけがのんびりと胡座をかいて、もいだ山桃を齧っていた。


「紫々丸様、フジ。彼等と目を合わせてはなりませぬ。

彼等は闖入者である我らを見定めております。下手に目を合わせると、喧嘩を売ったとみなされ、襲われますぞ」

「あ、ああ。わかった。しかし、落ち着かぬ休息だな」

「今更です。山に入った時から、彼等はずうっと我々を見ておりましたとも」


紫々丸が気まずそうに立ち上がろうとしたとき、木の上から何かが落ちてきた。

ばしゃあん、と泉へ派手に飛び込んだので、飛沫があちこちに飛び散り、全員がぐしょ濡れになってしまった。

当の落っこちて来た何かは、泉の中からざばんと立ち上がると、きゃははは、と呵呵大笑した。


「やあやあ、すまんの。驚かそうと思ったら、木の上から滑り落ちてしもうたわ」


落ちてきたものは、年端もいかぬ少女であった。

この山の中に似つかわしくない艶やかな着物。

髪は牡丹のように鮮やかで、目は針葉樹のようにつりあがり、瞳は夏に萌える若葉のような色をしていた。

一行が呆然としていると、少女は紫々丸の手を掴み、にっかり白い歯を見せて笑った。


「ようこそおいでになったな、紫々丸とやら!

我が名はイノメ!猪野治山の神、威之治主いのさのぬしが娘だ!

この先は我らが里、我らの土地。ここから先は、わたしが案内しようじゃないか!」


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