其の二


次の日の朝、二人は目を覚ますと、人里を目指し歩いた。

ケンは上機嫌で、頓珍漢な歌なぞも歌っていた。


「お山の千疋狼たちは 草場にまぎれて かくれんぼ

 馬とって食おか 人とって食おか 舌なめずっこして見ているぞ

 いきはよいよい かえりはないさ 肉食って骨ばみ 腹のなか」

 

どうやって村に帰ろう。ニトウは何度も、故郷の山を振り返りながら歩いた。

夏だというのに、道すがらには季節外れの藤が咲いている。

ニトウがその藤の美しさに見とれて、つい足を止めると、ケンが問いかけた。


「そんなに藤が気になるか」

「春の花なのに、狂い咲いているから、つい。美しい藤だ」

「ふうん。……そうだな。そんなにその藤が気に入ったなら、今日からお前は夏藤と名乗れ。フジと呼んでやろう」

「夏藤?やだ、花の名前なんて、女みたいじゃないか」

「知ったことか、いっそ女として振舞ったらどうだ。

 男二人より、男と女で連れ歩くなら、ムラから追っ手がきたところで、奴等も気づくまい。俺が兄を名乗るから、お前は妹のふりをしろ。

 俺に従うと約束するなら、縄をほどいてやってもいいぞ」

「なんて勝手な……」


そうは言うものの、縄が首から外れるならば、これ以上の最善はない。

縄さえほどけば、ケンの元から逃げ出して、ムラに帰ることが出来る。

そう考えていた矢先、いやな視線を背中に感じ、ニトウは辺りを見回してみた。

するとどうだろう、ケンとニトウを囲うようにして、遠くに何頭もの狼の姿が見えるではないか。

すっかり震えあがったニトウは、ケンにしがみつき「お、お、狼だ!食われる!」と喚く。

ケンはにたにた笑うと、狼たちに手を振った。


「案ずるな、フジ。あれは俺が呼んだ狼だ」

「お、お前が呼んだ?」

「首の父様は、俺に沢山の妖術やまじないを教えてくれた。

 あの狼たちは、俺が術で呼び寄せたんだ。

 お前が俺の元から逃げたら、あいつらに捕まって、骨まで残さず食っていいと教えておいたのさ」

「ひ、ひいぃ……」


なんて恐ろしい子供だろう!とても同い年とは思えない残忍さに、ただただニトウは震えた。

逃げようという心はへし折られてしまい、ニトウは「夏藤」と名乗って、ケンの妹のふりをすることにした。

ケンはというと、すっかり離れた故郷の山を見やった。

そして、あの険しい嶽のような辛い日々を、一生忘れず、故郷に戻るまいと心に誓った。


「よし、今日から俺はミタケだ。ミタケ兄さまと呼べ。いいな」

「……はい、ミタケの兄さま」


なんという屈辱か!

女であることをを強いられ、あまつさえこの犬ころを兄と慕わなくてはならないなんて!

しかし、逆らうことはできない。今は耐えて、機を見るしか道はなかった。


人里に下りると、ミタケとフジはさっそく仕事を探した。

十を過ぎたばかりではあったが、ミタケは力仕事が出来たので、すぐに奉公先が見つかった。

一方でフジは力も弱く、すぐにばてるので、下女の仕事では役立たずだと追い払われた。

致し方ないので、ミタケは自分の世話をフジにさせることにした。

小さな長屋を借りて暮らし、ミタケは毎日フジをこき使った。


「やいフジ、飯がまずいぞ。魚が炭のようじゃないか」

「申し訳ありません、兄さま」

「フジ、お前はこんな狭い長屋もきれいにはらう(掃除)ことも出来ないのか。愚図だな」

「申し訳ありません兄さま、今すぐに」

「おいフジ、服が臭うぞ。こまめに洗えと言ってるだろう」

「はい兄さま、すぐやります」


そんな具合に、フジはどうにか雑用というものを覚えていった。

毎日あくせく働くということをしたことがなかったので、フジの手や足の裏は、すぐあかぎれや傷だらけになっていった。

手足がじくじく痛むし、安い給金では満足にご飯も食べられない。

夜ごとに、フジは部屋の隅で小さくなって、格子窓から月を見上げて、故郷を思ってこっそり泣いた。

ミタケは何も言わなかったが、フジの泣き声が大きい日は、決まって夜に森へ向かい、あかぎれや切り傷に効く薬草を取ってきた。

そうして、泣き疲れて眠ったフジの手や足にこっそり塗り込んでから、眠りにつくのだった。


故郷を出て半年ほどたった頃、ミタケはフジに突然こう切り出した。


「おいフジ、字と金勘定を教えろ」

「ええ?なんでまた急に。奉公先じゃ必要ないだ……でしょう、そんなもの」

「俺の勘だが、主人が俺の給金をごまかしてやがるんだ。

 でも俺は勘定の数え方が分からんから、減っているのか増えているのか見当がつかん。

 それに、書いている字が分からんから、文書を見ても何がなにやらだ」

「分かっ……りました。そういうことなら、今日から暇を見つけて教えましょう」


ミタケはフジの分まで働いている。その給金が減らされるとなると、フジにとっても死活問題だ。

仕事をしていない時は、フジがミタケに字の書き方や読み方、それに金の数え方などを教えた。

村長の息子というだけあって、フジは色んなことを知っていた。

ミタケはみるみる字を覚え、金勘定が出来るようになると、奉公先で重宝されるようになった。


「フジ、喜べ。新しい奉公先が見つかった。お殿様だぞ、お殿様。

 俺のように、若くて強く、字が読める者を探しているらしい。家族も下女として働かせてくれるとよ。

 運がよければ、お前も働けるやもしれん」

「本当ですか!行きましょう、兄さん!」


二年が経つ頃、すっかり二人は兄と妹という演技が板についていた。

はたから見れば、背こそ低いが力自慢な兄と、従順な妹に見えたことだろう。

ずっと髪を切っていなかったので、フジの髪は腰まで伸びて、艶がかかっていた。

彼岸花の色をした前髪は、歳を経てか色が落ち、藤色のような色味に変わったが、それもまた落ち着いた華があった。


二人が殿様の元に向かうと、大勢の人がお殿様の元で働こうと集まっていた。

お殿様は若く、まだ十八であった。

同じような年頃で、かつ字が読めて、武芸が出来る者を傍に置きたいとお殿様は言った。

集められた若者たちは、お殿様の前で武芸を披露することになった。

ある者は刀で瓦を沢山割ったり、矢を的に射たり、槍さばきを見せた。


「困りましたね。どうしますか、ミタケ兄さん。私たちは刀も弓も、薙刀や槍も持ってません。

これじゃ他の若者たちに見劣りして、見向きもされません」

「案ずるな、フジ。もとより不要だ」


ミタケはにんまり笑うと、小さな小刀ひとつだけを手に、お殿様の前に立った。

若いお殿様は小さいミタケを見て、いぶかる顔で見下ろした。


「さて、そちはどのような武芸を見せてくれるのだ?」

「はい、お殿様。わたしは妖魔をこの目で見て、この小刀ひとつで倒すことが出来ます。

 それをお殿様にご覧に入れましょうぞ」

「ほほう、面白い!この城にあやかしの類がいるとでも申すか?」

「ええ、勿論。お殿様、弟君のご病気はまだ治られていないようですね」


ミタケが言うと、お殿様はぎょっとした表情を浮かべた。

若者たちは皆、お殿様に弟がいることも、病気のことも知らないので、きょとんとして目を見合わせる。

続けてミタケはこう言った。


「お殿様、その病気は、弟君の部屋の天井裏にひそむ、犬神の呪いのせいなのです。

 それを退治してみせましょう」

「ほ、本当か。それが真であれば、この場ですぐにでも犬神を退治してくれ」


.

ミタケは頷くと、お殿様に連れられ、弟君である紫々丸(ししまる)の眠る部屋に連れていかれた。

フジや若者たちも、城に上がることを許され、共に向かう。

立派な部屋では、弟君が寝台に寝かされ、熱をはらむ病にうなされていた。

肌は青白く奇妙なあざが浮かび、滝のような汗を流して、風前の灯であった。


「ミタケ、そなたの言う通り、弟の紫々丸はもう半年以上も病に侵されている。

 弟と血の繋がりはないが、それでも大事な家族なのだ。どうか救ってほしい」

「お任せくだされ、殿様。必ずや」


ミタケはすぐさま天井裏に向かうと、「しばらくお待ちを。犬神はとても小さいのです」と告げて、暗がりに消えていく。

そして暫くすると、凄まじい絶叫と共に、肉や虫が腐るようないやな匂いが、天井裏からなだれこんできた。

誰もが固唾を飲んで見守っていると、黒い血にまみれたミタケが、やれやれという顔で降りてきた。


「お殿様、犬神を退治いたしました。これがその証拠です」


ミタケの手には、大きな布袋が抱きしめられていた。

中を開けると、確かにそこには、小刀で引き裂かれた犬神の骸があった。

なにより、犬神が退治されるや否や、半日もすれば弟君の熱は下がり、顔色はつややかな林檎色になって、食欲も戻った。

殿様は大変これを喜んで、ミタケを傍に置くことに決めた。


「返しきれぬ恩が出来てしまったな。なんでも言ってくれ、そなたの願いをなんでも聞こう」

「ではお殿様、妹の夏藤も城に置き、働かせてやってください。

 私は、お殿様の傍で妖魔から城を守り、立派に働くこと以外に、求めるものはございません」

「そなたは何と謙虚な男か。ああ、そのようにはからおう。これからも私たちをどうか、悪しき妖たちから守っておくれ」


こうしてミタケとフジは、お殿様の信頼を得て、城で働くことになった。

一年も経つ頃には、ミタケはお殿様の付き人になり、暮らしに不自由することはなくなった。

ひとつ、フジが妹であるという嘘を隠すことは忍びなかったが、今更明かすこともためらわれるような気がした。

初めてお殿様から給金を貰うと、ミタケはフジに新しい着物と足袋、それから櫛を買ってやった。


「城で働くのだから、いつまでもぼろの姿でいてはお殿様にも失礼だからな。

 身綺麗にして、くれぐれも男とばれぬようにしろよ。嘘がばれたら、追い出されてしまうだろうからな」

「はい、ミタケ兄さん」


それからも、何度か城に、あやかしが忍び込み、呪術が張り巡らされることがあった。

そのたびにミタケが妖魔をやっつけ、呪いを解き、どんどんお殿様の信頼を得ていった。

暫くすると、お殿様は、ミタケに「大山」という名字を与えた。

ミタケは喜んで、これからは大山と名乗るようになった。


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