狼と夏藤
上衣ルイ
其の一
◆
今は昔。
日の本が天下統一されず、武士同士がクニを巡って争い合っていた時代のこと。
西の果てに、山々と川に囲まれた、小さなムラがあった。
かつては神々やあやかしたちが山に暮らしていたが、戦で山は焼かれ、川には鉄と血が流れ、彼らは姿を消した。
代わりに人間が住み、山を刈り川を埋め、少しずつ人が増えていった。
ムラを治めていた村長は、かつて京の都に住んでいた商人の一族であった。
彼らは元々高名な武士の一族であり、持っていた名字にあやかり「高橋」と呼ばれていた。
戦や干ばつでムラに危機が訪れるたび、高橋家は奇策を用いてムラを守り、慕われるようになった。
さて、そんな村長には子供が沢山いた。
長子の名はニトウといい、美しい黒髪に、前髪は彼岸花色の鮮やかな差し色が浮かんでいた。
長子であるがゆえに、周りから甘やかされて育ったので、ニトウは大変にわがままで傲慢な子供になっていた。
ニトウには七人の妹と二人の弟がいたが、その中でも特別、ニトウは自分がえらいと信じていた。
そんな彼には、同い年の男の子の奴隷がいた。
「ケン」という名前が与えられたが、周りはもっぱら「犬ころ」と呼んでいた。
というのも、ケンは「山人」の子供であり、忌み子でありながら生かされていたためであった。
ケンは狼のようなぴかぴかの金色の目をしていた。
体はいつも薄汚れて、髪は伸び放題、爪は鋭く、手足にいつも枷をつけていた。
ニトウは毎日、朝から晩までケンを連れまわしたり、あれこれ雑用を命じていた。
ケンが少しでも失敗したり、口答えをすると、人前で罵ったり、蹴飛ばしたり、鞭で叩いたりした。
ケンはいつもビクビクと背を丸めながら、
「はい、ごしゅじんさま」
「ごめんなさい、ごしゅじんさま」
とめそめそ泣いて、頭を下げていた。
けれど、いつもその瞳には、ぎらぎらとした憎しみのきらめきがあった。
ニトウにいじめられ、家にすらあげてもらえない時、決まってケンは村の外れにある首塚の元で眠った。
この首塚は、かつて村を襲った山人たちの首を埋めた場所とされ、近寄るものは殆どいなかった。
そんな場所で眠る不気味さゆえか、ケンを庇ったり、可愛がるものなど誰一人いなかった。
彼らが十つになるころ、村長は山へと登った。
村では毎年、空に天の川がかかるころ、山に住む川の神様に生贄を捧げるのである。
もし生贄がなければ、川の神は怒り狂い、嵐を呼んで川を壊してしまうのだ。
さて、今年はいったい誰が神様の贄となるのだろうと、ひそかにびくびく怯えていた。
川の神は、村長にこう告げた。
「若い娘を一人、差し出せ。さもなくば、お前の村は川水と土砂崩れに沈むだろう」
村長は悩んだ。
川の神は女の肉を欲しがる。けれど、村の女たちの大半は、誰かの妻だ。
こうも毎年、お前の妻を差し出せと言われたら、村人たちは怒って暴れ出すかもしれない。
悩んだ末、村長は川の神にこう返した。
「川の神よ、差出せる女はもういません」
「ならば、美味い子供を二人差し出せ。年は十ほどがよい」
「では、私の息子と、奴隷の子をお召し上がりください」
「よかろう」
そうとは知らず、ニトウは相変わらずケンを引きまわし、遊んでいた。
ニトウは刀鍛冶が好きであった。
元は武家の血ということもあり、刀に惹かれるものがあったのである。
毎日、暇さえあれば鍛冶屋に向かい、とんてんかん、と刀を叩くさまをじっと見ていた。
鍛冶師はそんなニトウを可愛く思ってか、作業場に椅子を置いて、ニトウを歓迎した。
「やれ、ニトウ様も変わっておられる。玉鋼を打つさまを見るだけで時間を潰しておいでだ」
「だって、きれいなんだもん。火花がぱちぱち輝いて、お星さまみたいだ。なあ、犬ころ、お前もそう思うだろう」
「はい、ごしゅじんさま」
ケンはつまらなそうに返した。
この時だけは、ニトウに対してどれだけぞんざいな返事をしても、おしおきされないことを知っていたからだ。
それだけでなく、鍛冶師は仕事がない時は、刀の使い方を二人に教えた。
鍛冶師は武士でこそないが、刀の扱いをよく心得ていたのである。
ニトウは面白がって、よくケンに棒切れを握らせ、「ちゃんばら」をして遊んだ。
不思議なことに、ニトウにとってケンは、よき稽古相手となった。
誰に教わるでもなく、ケンには戦いの才があったのである。
その日も、ニトウとケンは日暮れまでちゃんばら稽古をして、汗だくになりながら戻った。
家につくと、村長である父親が、ニトウに「おいで」と声をかけ、珍しく湯で身を洗ってくれた。
ニトウだけでなく、ケンもざぶざぶと、水で丁寧に洗われた。
これは一体、どうしたことだろうと二人が顔を見合わせていると、豪華な夕ご飯まで出てきた。
いよいよもって、これは只事ではないぞ。
二人は不思議に思いながらも、夕ご飯を全て平らげると、村長は笑みを浮かべてこういった。
「よくお聞き、二人とも。
お前たちは今年の祭りのハナに選ばれたのだよ。
きれいなおべべを着て、輿に乗って、神様の元に向かうんだ。いいね」
それを聞いて、ニトウもケンも顔から血の気が失せた。
村長の言葉を噛み砕くならば、つまりは自分たちは生贄に選ばれたのだ、と宣告されたも同然だった。
ニトウはケンの前だというのに、みっともなくめそめそ泣いた。
「あんまりです、お父様!
可愛い息子を、あんな蛇の化け物に食わせてやるというのですか!
ムラの跡目は誰が引き継ぐのですか!文字が読めて、そろばんが打てる子は、わたしだけだというのに!
お願いです、神様の元になんて行きたくないです。後生ですから助けてください」
「なんと親不孝なんだ、お前は。
名誉ある役目を喜ぶどころか、そんな風にみっともなく喚いて犬のように媚びるとは。
わがままばかりで、ろくにムラの手伝いもせず、卑しい鍛冶師(かぬち)の元に居座るような恥は、私の息子にはいらん!
いつも役立たずなのだから、最後くらいムラのために、その命で報いたらどうだ!」
村長は我が子の頬を強く叩くと、見向きもせずに二人の元から立ち去った。
まもなく二人は、蔵に閉じ込められ、祭りの日まで自由は許されなかった。
ニトウは毎日ぎゃあぎゃあ泣いて、ここから出して、と扉を叩き、ケンに八つ当たりをし、また泣いた。
一方でケンは、ずうっと押し黙ったまま、膝を抱えて丸くなっていた。
そうして、祭りの日。
真っ白な服を着せられて、二人は立派な輿に乗せられた。
逃げられぬよう、二人の足には枷がはめられた。
輿の中でもニトウは泣いていて、ケンは貝のように黙りこんだままだった。
川の神が祀られる神社の前まで辿り着くと、村人たちは祭りを始めた。
一年もの間ためこんだ、米や麦、魚や野菜、酒を供えて、川の神をたたえる歌や踊りを舞った。
そうして夕暮れになると、二人だけを残して、村人たちはそそくさと去っていった。
川の神が食事をなさるところは、誰も見てはいけないという決まりだったからだ。
静かになると、やっとケンが口を開いた。
「おい、いつまでやかましく泣いてるんだ。みっともないやつ。さっさと逃げるぞ」
「うるさい、犬のくせに。逃げられるもんか。おれたち、これから死ぬんだ」
「あんな奴らの言いなりになるのか。捨てられたんだぞ」
「でも、おれたちが食われないと、川の神が怒って村を沈めちゃう」
「そんなこと、川の神はしないさ。食うものがなくなって困るのは、川の神のほうだろう。
毎年たらふく食ってるんだ、一年くらい空きっ腹になって痩せればいい」
好き放題罵ると、ケンはニトウを引きずって外に出た。
枷がついているにも関わらず、ケンは器用に山道を走る。
ままならぬニトウは、なかば引きずられるようにして、ケンと共に山道を走った。
途中、山の頂から、地が揺れるほどの低く這うような音が轟いた。
川の神が怒っているんだ。ニトウは恐ろしくてたまらなかった。
「お、おまえ、どうやって走ってるんだ」
「こちとら物心がついたときから、鎖をつけて歩いてたんだ。これくらいわけないさ」
途中、ケンは固い岩を見つけると、エイエイと枷をぶつけて、力任せに壊した。
そうしてニトウの枷も外すと、無理くりにひっぱる。いつもとは真逆の立場だった。
ドウドウと川が吼えている。腹が減った、と喚いていた。
暗い暗い、月もない山道を、二人はがむしゃらに走る。
見つかる前に、追いつかれる前に。
ニトウは不思議な気持ちだった。ケンに引っ張られて走っていると、まるで足の感覚がなくなって、風になったようだ。
それに、一寸先すらも見えない夜の暗さだというのに、ケンにはまるで森の中のすべてが見えているみたいに走った。
「おい、ケン。どこに行くんだ。お前、何をするんだ」
「あんなムラ、捨ててやる。俺は俺の生き方を探す。お前もこい、ニトウ」
「やだやだ!お父様の元に帰る!なんでお前なんかと一緒にいなきゃいけないんだ!」
ケンは立ち止まると、力いっぱいニトウを殴った。
ぎゃあ、と悲鳴を上げて倒れた所を狙って馬乗りになり、ケンは隠し持っていた小刀を、ニトウの首につきつけた。
「黙れ、逆らうな泣き虫。お前たちは俺の仇だ、ニトウ」
「な、なんの話だよう」
「俺は知ってるぞ。あの男が、お前の父が俺の父を殺した。
山人の村を襲い、村の者を皆殺しにし、妻たちをさらって自分のものにし、父の首を生きたまま切り落として土に埋めたんだ」
「なんだよそれ!聞いたことないぞ!」
「俺は聞いた。村のはずれにある首塚から、父の声が毎日恨みの言葉を連ねながら教えてくれた。
何度、お前を殺してやりたかったことか。何度、お前の首をさばいて、あの村長の前に投げ捨ててやりたかったことか。
だが残念だ。奴の方がお前を捨てた。なら俺はやり方を変える。
お前の人生をむしゃむしゃ食いつぶしながら生きてやる。
山の外の者たちは、俺たちを知らない。どんな生き方だってできる」
ニトウはすっかり恐ろしくなり、震えあがった。
あの臆病で、従順で、人の顔を伺ってばかりの犬ころが、牙を剥きだしにして憎しみをぶつけてくるのだから、当然だった。
ケンは枷についていた縄でニトウの首をくくると、ぐいぐいと引っ張った。
首をしめられると首が苦しいので、ニトウは這うようにして、ケンの後を着いていかなくてはならなかった。
「お前は文字が読めて、そろばんが打てる。山の外で働き口を探そう。
お前が俺の目と頭になれ。ニトウなんて名前は捨てろ。
俺もケンという名前は捨てる。もっといい名前がいいな」
「そんな、あんまりだ。名前まで捨てるだなんて」
「口答えするな。今日からお前は、おれの奴隷だということを忘れるな」
めそめそ泣きながら、ニトウはケンについていくしかなかった。
殺されるのも、山の中で捨てられることも勘弁だったのだ。
やがて険しい山を下り、人里が見えてくると、二人はすっかりくたくたに疲れていた。
二人は、ぼろの家を一つ見つけると、そこで石のように丸くなって眠った。
◯
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