狼と夏藤

上衣ルイ

其の一


今は昔。

日の本が天下統一されず、武士同士がクニを巡って争い合っていた時代のこと。

西の果てに、山々と川に囲まれた、小さなムラがあった。

かつては神々やあやかしたちが山に暮らしていたが、戦で山は焼かれ、川には鉄と血が流れ、彼らは姿を消した。

代わりに人間が住み、山を刈り川を埋め、少しずつ人が増えていった。


ムラを治めていた村長は、かつて京の都に住んでいた商人の一族であった。

彼らは元々高名な武士の一族であり、持っていた名字にあやかり「高橋」と呼ばれていた。

戦や干ばつでムラに危機が訪れるたび、高橋家は奇策を用いてムラを守り、慕われるようになった。


さて、そんな村長には子供が沢山いた。

長子の名はニトウといい、美しい黒髪に、前髪は彼岸花色の鮮やかな差し色が浮かんでいた。

長子であるがゆえに、周りから甘やかされて育ったので、ニトウは大変にわがままで傲慢な子供になっていた。

ニトウには七人の妹と二人の弟がいたが、その中でも特別、ニトウは自分がえらいと信じていた。


そんな彼には、同い年の男の子の奴隷がいた。

「ケン」という名前が与えられたが、周りはもっぱら「犬ころ」と呼んでいた。

というのも、ケンは「山人」の子供であり、忌み子でありながら生かされていたためであった。

ケンは狼のようなぴかぴかの金色の目をしていた。

体はいつも薄汚れて、髪は伸び放題、爪は鋭く、手足にいつも枷をつけていた。


ニトウは毎日、朝から晩までケンを連れまわしたり、あれこれ雑用を命じていた。

ケンが少しでも失敗したり、口答えをすると、人前で罵ったり、蹴飛ばしたり、鞭で叩いたりした。

ケンはいつもビクビクと背を丸めながら、

「はい、ごしゅじんさま」

「ごめんなさい、ごしゅじんさま」

とめそめそ泣いて、頭を下げていた。

けれど、いつもその瞳には、ぎらぎらとした憎しみのきらめきがあった。

ニトウにいじめられ、家にすらあげてもらえない時、決まってケンは村の外れにある首塚の元で眠った。

この首塚は、かつて村を襲った山人たちの首を埋めた場所とされ、近寄るものは殆どいなかった。

そんな場所で眠る不気味さゆえか、ケンを庇ったり、可愛がるものなど誰一人いなかった。


彼らが十つになるころ、村長は山へと登った。

村では毎年、空に天の川がかかるころ、山に住む川の神様に生贄を捧げるのである。

もし生贄がなければ、川の神は怒り狂い、嵐を呼んで川を壊してしまうのだ。

さて、今年はいったい誰が神様の贄となるのだろうと、ひそかにびくびく怯えていた。

川の神は、村長にこう告げた。


「若い娘を一人、差し出せ。さもなくば、お前の村は川水と土砂崩れに沈むだろう」


村長は悩んだ。

川の神は女の肉を欲しがる。けれど、村の女たちの大半は、誰かの妻だ。

こうも毎年、お前の妻を差し出せと言われたら、村人たちは怒って暴れ出すかもしれない。

悩んだ末、村長は川の神にこう返した。


「川の神よ、差出せる女はもういません」

「ならば、美味い子供を二人差し出せ。年は十ほどがよい」

「では、私の息子と、奴隷の子をお召し上がりください」

「よかろう」


そうとは知らず、ニトウは相変わらずケンを引きまわし、遊んでいた。

ニトウは刀鍛冶が好きであった。

元は武家の血ということもあり、刀に惹かれるものがあったのである。

毎日、暇さえあれば鍛冶屋に向かい、とんてんかん、と刀を叩くさまをじっと見ていた。

鍛冶師はそんなニトウを可愛く思ってか、作業場に椅子を置いて、ニトウを歓迎した。


「やれ、ニトウ様も変わっておられる。玉鋼を打つさまを見るだけで時間を潰しておいでだ」

「だって、きれいなんだもん。火花がぱちぱち輝いて、お星さまみたいだ。なあ、犬ころ、お前もそう思うだろう」

「はい、ごしゅじんさま」


ケンはつまらなそうに返した。

この時だけは、ニトウに対してどれだけぞんざいな返事をしても、おしおきされないことを知っていたからだ。


それだけでなく、鍛冶師は仕事がない時は、刀の使い方を二人に教えた。

鍛冶師は武士でこそないが、刀の扱いをよく心得ていたのである。

ニトウは面白がって、よくケンに棒切れを握らせ、「ちゃんばら」をして遊んだ。

不思議なことに、ニトウにとってケンは、よき稽古相手となった。

誰に教わるでもなく、ケンには戦いの才があったのである。


その日も、ニトウとケンは日暮れまでちゃんばら稽古をして、汗だくになりながら戻った。

家につくと、村長である父親が、ニトウに「おいで」と声をかけ、珍しく湯で身を洗ってくれた。

ニトウだけでなく、ケンもざぶざぶと、水で丁寧に洗われた。

これは一体、どうしたことだろうと二人が顔を見合わせていると、豪華な夕ご飯まで出てきた。


いよいよもって、これは只事ではないぞ。

二人は不思議に思いながらも、夕ご飯を全て平らげると、村長は笑みを浮かべてこういった。


「よくお聞き、二人とも。

お前たちは今年の祭りのハナに選ばれたのだよ。

きれいなおべべを着て、輿に乗って、神様の元に向かうんだ。いいね」


それを聞いて、ニトウもケンも顔から血の気が失せた。

村長の言葉を噛み砕くならば、つまりは自分たちは生贄に選ばれたのだ、と宣告されたも同然だった。

ニトウはケンの前だというのに、みっともなくめそめそ泣いた。


「あんまりです、お父様!

可愛い息子を、あんな蛇の化け物に食わせてやるというのですか!

ムラの跡目は誰が引き継ぐのですか!文字が読めて、そろばんが打てる子は、わたしだけだというのに!

お願いです、神様の元になんて行きたくないです。後生ですから助けてください」

「なんと親不孝なんだ、お前は。

名誉ある役目を喜ぶどころか、そんな風にみっともなく喚いて犬のように媚びるとは。

わがままばかりで、ろくにムラの手伝いもせず、卑しい鍛冶師(かぬち)の元に居座るような恥は、私の息子にはいらん!

いつも役立たずなのだから、最後くらいムラのために、その命で報いたらどうだ!」


村長は我が子の頬を強く叩くと、見向きもせずに二人の元から立ち去った。

まもなく二人は、蔵に閉じ込められ、祭りの日まで自由は許されなかった。

ニトウは毎日ぎゃあぎゃあ泣いて、ここから出して、と扉を叩き、ケンに八つ当たりをし、また泣いた。

一方でケンは、ずうっと押し黙ったまま、膝を抱えて丸くなっていた。


そうして、祭りの日。

真っ白な服を着せられて、二人は立派な輿に乗せられた。

逃げられぬよう、二人の足には枷がはめられた。

輿の中でもニトウは泣いていて、ケンは貝のように黙りこんだままだった。


川の神が祀られる神社の前まで辿り着くと、村人たちは祭りを始めた。

一年もの間ためこんだ、米や麦、魚や野菜、酒を供えて、川の神をたたえる歌や踊りを舞った。

そうして夕暮れになると、二人だけを残して、村人たちはそそくさと去っていった。

川の神が食事をなさるところは、誰も見てはいけないという決まりだったからだ。

静かになると、やっとケンが口を開いた。


「おい、いつまでやかましく泣いてるんだ。みっともないやつ。さっさと逃げるぞ」

「うるさい、犬のくせに。逃げられるもんか。おれたち、これから死ぬんだ」

「あんな奴らの言いなりになるのか。捨てられたんだぞ」

「でも、おれたちが食われないと、川の神が怒って村を沈めちゃう」

「そんなこと、川の神はしないさ。食うものがなくなって困るのは、川の神のほうだろう。

 毎年たらふく食ってるんだ、一年くらい空きっ腹になって痩せればいい」


好き放題罵ると、ケンはニトウを引きずって外に出た。

枷がついているにも関わらず、ケンは器用に山道を走る。

ままならぬニトウは、なかば引きずられるようにして、ケンと共に山道を走った。

途中、山の頂から、地が揺れるほどの低く這うような音が轟いた。

川の神が怒っているんだ。ニトウは恐ろしくてたまらなかった。


「お、おまえ、どうやって走ってるんだ」

「こちとら物心がついたときから、鎖をつけて歩いてたんだ。これくらいわけないさ」


途中、ケンは固い岩を見つけると、エイエイと枷をぶつけて、力任せに壊した。

そうしてニトウの枷も外すと、無理くりにひっぱる。いつもとは真逆の立場だった。

ドウドウと川が吼えている。腹が減った、と喚いていた。

暗い暗い、月もない山道を、二人はがむしゃらに走る。

見つかる前に、追いつかれる前に。

ニトウは不思議な気持ちだった。ケンに引っ張られて走っていると、まるで足の感覚がなくなって、風になったようだ。

それに、一寸先すらも見えない夜の暗さだというのに、ケンにはまるで森の中のすべてが見えているみたいに走った。


「おい、ケン。どこに行くんだ。お前、何をするんだ」

「あんなムラ、捨ててやる。俺は俺の生き方を探す。お前もこい、ニトウ」

「やだやだ!お父様の元に帰る!なんでお前なんかと一緒にいなきゃいけないんだ!」


ケンは立ち止まると、力いっぱいニトウを殴った。

ぎゃあ、と悲鳴を上げて倒れた所を狙って馬乗りになり、ケンは隠し持っていた小刀を、ニトウの首につきつけた。


「黙れ、逆らうな泣き虫。お前たちは俺の仇だ、ニトウ」

「な、なんの話だよう」

「俺は知ってるぞ。あの男が、お前の父が俺の父を殺した。

 山人の村を襲い、村の者を皆殺しにし、妻たちをさらって自分のものにし、父の首を生きたまま切り落として土に埋めたんだ」

「なんだよそれ!聞いたことないぞ!」

「俺は聞いた。村のはずれにある首塚から、父の声が毎日恨みの言葉を連ねながら教えてくれた。

 何度、お前を殺してやりたかったことか。何度、お前の首をさばいて、あの村長の前に投げ捨ててやりたかったことか。

 だが残念だ。奴の方がお前を捨てた。なら俺はやり方を変える。

 お前の人生をむしゃむしゃ食いつぶしながら生きてやる。

 山の外の者たちは、俺たちを知らない。どんな生き方だってできる」


ニトウはすっかり恐ろしくなり、震えあがった。

あの臆病で、従順で、人の顔を伺ってばかりの犬ころが、牙を剥きだしにして憎しみをぶつけてくるのだから、当然だった。

ケンは枷についていた縄でニトウの首をくくると、ぐいぐいと引っ張った。

首をしめられると首が苦しいので、ニトウは這うようにして、ケンの後を着いていかなくてはならなかった。


「お前は文字が読めて、そろばんが打てる。山の外で働き口を探そう。

 お前が俺の目と頭になれ。ニトウなんて名前は捨てろ。

 俺もケンという名前は捨てる。もっといい名前がいいな」

「そんな、あんまりだ。名前まで捨てるだなんて」

「口答えするな。今日からお前は、おれの奴隷だということを忘れるな」


めそめそ泣きながら、ニトウはケンについていくしかなかった。

殺されるのも、山の中で捨てられることも勘弁だったのだ。

やがて険しい山を下り、人里が見えてくると、二人はすっかりくたくたに疲れていた。

二人は、ぼろの家を一つ見つけると、そこで石のように丸くなって眠った。


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